11月28日は俳聖「松尾芭蕉」の命日 ゆかりの京都・金福寺「芭蕉庵」を訪ねる
11月28日(旧暦10月12日)は、俳聖「松尾芭蕉」の命日です。松尾芭蕉を偲び、ゆかりが深い京都・金福寺の「芭蕉庵」を訪ねてきましたので、その様子をご紹介します。
見所がいっぱいの「金福寺」
金福寺(こんぷくじ)は一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺で、苔と枯山水の庭、そして秋は紅葉の名所として人気です。
NHK大河ドラマ『花の生涯』のヒロイン・村山たか女が生涯を終えた寺としても有名で、たか女が創建した辨天堂が境内にあります。
そんな金福寺は俳聖・松尾芭蕉ともゆかりが深く、松尾芭蕉が滞在したその名も「芭蕉庵」があります。
松尾芭蕉が滞在した「芭蕉庵」
芭蕉庵は金福寺の庭園を過ぎた東側、瓜生山に連なる丘の上に佇んでいます。
侘びた佇まいの茅葺き屋根の庵(いおり)で、金福寺の「奥ゆかしい」と言われる雰囲気に溶け込んでいます。
内部は千利休の茶室・待庵に通じる「三畳台目」の茶室となっています。
芭蕉庵は、江戸時代中期、一時荒廃していた金福寺を再興した鐡舟和尚と親交の深かった松尾芭蕉が、京都を吟行中に訪れ、滞在した事から「芭蕉庵」と呼ばれるようになったとのことです。
その後、85年ほどして再び荒廃してしまいますが、松尾芭蕉を敬慕していた与謝蕪村が荒廃を嘆き、安永5年に再興しました。
今日では「俳句の聖地」として人々から愛され、俳句の愛好家が多く訪れています。
松尾芭蕉は芭蕉庵に滞在中、以下の句を詠んでいます。
うき我を さびしがらせよ かんこ鳥
この句は、意味の解釈を巡って今尚、議論がされています。
当時の松尾芭蕉の意気消沈したような心境を汲み取り「ものうい我を一層、寂しがらせてくれと」とかんこ鳥に自己憐憫する句とも、寂しさの果てを見極める為、より一層、寂しさを高めようとかんこ鳥に拍車をかけてくれと呼びかける句とも解釈されています。
垣根に隠れた手水鉢
「芭蕉庵」では一見すると茶室には必ずある手水鉢(ちょうずばち)が見当たりません。
不思議に思って近づくと、垣根の間に潜んでいました。
よくよく見ると、垣根の間に灯ろうの頭が少し見えているのですが、これが目印だったようです。
手や口を清める手水鉢での所作は、できれば他者に見られたくないという人もいるかもしれません。
こうした個室感覚で手水鉢を使用できる工夫は、そうした配慮なのかもしれません。
翁の水
芭蕉庵の裏手に、これまた「奥ゆかしい」古井戸があります。
こちらは「翁の水」と呼ばれる井戸で、鉄舟和尚が松尾芭蕉をもてなす際に使用した井戸だと伝わっています。
松尾芭蕉の碑
こちらは「芭蕉の碑」です。
与謝蕪村や俳人・樋口道立が碑で、松尾芭蕉の生涯を称えた文が刻まれています。
この碑を建てた際、与謝蕪村は「我も死して 碑に辺(ほとり)せむ 枯尾花」と詠み残したので、望み通り芭蕉庵を望む丘の上に墓所が設けられたそうです。
与謝蕪村の墓所
芭蕉庵を再興した与謝蕪村の墓は、その芭蕉庵からさらに丘を上がった高台に建墓されています。
与謝蕪村は芭蕉庵が落成した際、以下の句を詠んだそうです。
耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵
与謝蕪村は「写経社」という俳句結社を結び、芭蕉庵で句会を催したそうです。
落成時に詠んだ句の通り、身も心も「芭蕉庵」を通じて松尾芭蕉の敬慕に捧げていたようです。
与謝蕪村のお墓のある高台からは洛中を一望できます。
こうした景色を眺められるのも金福寺の魅力の一つです。
松尾芭蕉の命日にあたる11月28日は、ちょうど紅葉が見頃を迎える時期でもあります。
俳聖を偲び、芭蕉庵を訪れるには絶好のタイミングとなりますので、ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか?
基本情報
<金福寺>
◇拝観時間
・9:00~17:00
※定休日:水・木
※但し、11/1~12/10は連日開門
◇拝観料
・大人400円
アクセス
◇所在地
〒606-8157
京都府京都市左京区一乗寺才形町20
◇電車
・叡電:一乗寺駅より 徒歩13分
◇バス
・京都市バス:一乗寺下り松町より 徒歩5分
◇駐車場
・ナシ