【感無量】中学生の頃よく行っていた「回転寿司」に約30年振りに行ってみたら……本当に泣いた
今から30年ほど前、あなたは何をしていただろうか? 私は現在47歳なので17歳の頃は高校生! 千葉ロッテとプロレスに熱中し、毎朝「日刊スポーツ」を読みながら登校するのがルーティンであった。
さて、それよりもさらに少し前、私が中学生だった頃の話だ。詳細は後述するが、私はとある回転寿司に月2くらいのペースで通っていた。今回はその回転寿司に、30余年の時を経て出かけたときの話をさせていただきたい。
・父と渋谷
私が中学生の頃、父は渋谷クアトロの隣のビルでカラオケ店を営んでいた。冷静に考えると我が家の経済が傾き始めていた時期なのだが、そうとも知らない私はいわゆる “お坊ちゃま” だったのだろう。普通に週2でお手伝いさんもいた。
父は平日の帰りがとても遅く、顔を合わせるのは朝ご飯の時間と週末くらい。とはいえグレるなんて概念は我が家には無く、お坊ちゃまは中学3年まで性に目覚めぬまま妖精のような暮らしをしていた。
そんな時期、父からある提案が。「毎週日曜日の朝、渋谷のカラオケの掃除に行くから手伝え。手伝ったら1000円やるぞ」と。提案を受けた私と2人の妹は即座に了承した。1回1000円、1カ月で4000円はとんでもなくデカい。
きっとこれは平日ほとんど子供と会えない、父なりの作戦だったのだろう。そんなこともつゆ知らず、私と2人の妹はしばらく「毎週日曜日に渋谷に行く生活」をしていたのだ。
・兆楽と天下寿司
で、午前中には掃除も終わり、お昼ご飯を食べてから車で市川に帰るのが基本的な流れ。その中でお昼ご飯を食べる店はほぼ決まっており、基本は「兆楽」か「天下寿司」の2択であった。(父は嫌がっていたが、稀にシェーキーズもあった)。
そう、この天下寿司こそが私が30年以上の時を経て訪れた回転寿司であり、ぶっちゃけた話「天下寿司ってまだあんの!?」と知ったのは、中澤記者が書いた記事を読んだからである。
週1の渋谷生活がどう終わったのかは記憶にないが、やがて父が営んでいたカラオケ店も閉店。その後も1人で渋谷に行くと「兆楽」にはよく行っていたが、なぜか「天下寿司」には足が向かなかった。
……が、私の回転寿司人生が「天下寿司」から始まったことは紛れもない事実であり、1年くらいは月2ペースで通っていたので「常連客だった」と言ってもいいだろう。
・涙がキラリ
JR渋谷駅から道玄坂を登り始めてすぐに左手、30年前と変わらぬ場所に天下寿司はあった。よくぞ30年間潰れないでいてくれた……! 店の景観を見ただけで、正直ちょっとウルッと来た。
ただし最もヤバかったのは、店に入った瞬間! 鼻を天下寿司のにおいが通り抜けていった時!! 30年以上も訪れていないのに「あ、このニオイだ」と脳が勝手に天下寿司を思い出したのである!
正直なところ、私が最も濃厚に天下寿司を感じ取ったのは、寿司の味よりも「店のにおい」であった。とはいえ当時食べまくっていた「びんとろ」「しめさば」「赤貝」はやはり感慨深いものがある。
また当時は扱っていなかった「サーモン」や「マンゴープリン」を見ると、時の流れを感じずにはいられない。そうか、天下寿司。お前も30年以上、時代と渋谷に必死に喰らい付いていたんだな……。
ついでに言っておくと、感傷抜きに天下寿司はマジでレベルが高かった。どのネタも非常に質が良く、特に「まぐろ」はすごい。30年以上も飲食店の大激戦区・渋谷で生き抜いて来られた事実が、天下寿司のすごさを物語っている。
というわけで、30年以上の時を経て訪れた「天下寿司」は現役バリバリの超優良店なので、渋谷へ出かけたら自信を持ってオススメだ。今度はヨレヨレになった父を連れて伺います。
参考リンク:天下寿司
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.