「新選組」誕生の地から、鳥羽伏見の戦い前夜までの軌跡を歩く『京都歴史散歩』
いまも絶大な人気を誇る「新選組」は、風雲急を告げる幕末の京都において、反幕府勢力および過激派を取り締まる任務を行った武装組織だ。
結成当初は、京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)の配下にあったが、後に幕府直轄となり、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を戦った。
今回の散策では、「新選組」の結成から鳥羽伏見の戦い直前までの足跡をたどりながら、初期の屯所が置かれた壬生エリアを中心に、出陣前に駐屯していた二条城周辺を歩いてみたい。
「新選組」が誕生した2つの屯所がある壬生エリア
壬生へは、阪急大宮駅西口から四条通りを西へ真っすぐ歩けば、5分ほどで到着する。
壬生エリアには、発足時の新選組が屯所を構えた八木家や前川家がある。
また、境内で軍事演習を行ったとされる壬生寺や隊士達を葬った光縁寺などもあり、狭いエリアに史跡・旧跡が集中し、「新選組」の息吹を色濃く感じることができる。
八木家では、新選組パーソナルガイドツアー(有料)と称するガイドツアーがある。
壬生や島原など新選組ゆかりの旧跡を詳しく案内してくれるので、グループで散策する場合は利用してみるのもよいだろう。
八木家は、屯所が他所へ移った後も、当主八木源之烝と新選組の交流は続いたという。
いわば壬生の地は新選組隊士達の心の故郷でもあった。
壬生エリアの回り方は、
①壬生寺→(徒歩約2分)→②八木家・新選組壬生屯所跡→(徒歩約1分)→③旧前川邸・新選組屯所跡→(徒歩約3分)→④光縁寺
という順番がおすすめだ。
それでは、壬生エリアの各史跡・旧跡を紹介しよう。
①「壬生寺」~芹沢鴨らの墓が残る寺院~
寺伝によれば、991(正暦2)年に三井寺の僧・快賢により、宝幢三昧寺として開創したという。
同寺は、律宗の大本山寺院で、円覚上人が壬生狂言を始めたことにより、地蔵信仰が盛んになった。
「新選組」の本拠が、すぐ近くの八木家や前川家に置かれたため、境内は兵法調練場となったという。
そうした縁で芹沢鴨、平山五郎ら新選組隊士の墓所(壬生塚)や近藤勇像、遺髪塔がある。
②「八木家」~新選組の屯所が置かれた壬生郷士の家~
1863(文久3)年、14代将軍・徳川家茂上洛の際、その警護の任に就いた浪士隊の清河八郎と袂を分かった近藤勇や芹沢鴨ら13名が、ここで「新選組」を結成し屯所とした。
同年9月には、近藤勇らの天然理心流・試衛館派が、奥座敷で就寝中の芹沢鴨、平山五郎ら4名を暗殺。
これを機に、隊内では近藤勇、土方歳三らが実権を握った。
1865(慶応元)年になり、隊士の増加などで八木家では手狭になり、屯所は西本願寺太鼓番屋に移った。
ちなみに、八木家の主屋は1810(文化6)年の建築で、京都市指定文化財に登録されている。
八木家は、同家に伝わる文書によると、越前朝倉に端を発する武家で、室町時代後期に、京・洛西壬生村に居を構えた。
江戸時代には壬生住人士と呼ばれる郷士となり、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていたという、名字帯刀を許された郷士だった。
③「旧前川邸」~総長・山南敬助の悲劇を伝える屯所~
前川家は、八木家と親戚関係にある家で、結成当時から八木家同様に「新選組」の屯所となった。
「新選組」が、京都の治安維持に活躍するにつれ、敵対勢力からの攻撃に対し、守りを固めるために見張り用の出格子の増設や抜け道の新設を行っている。
池田屋事件の発端となった古高俊太郎を拷問した土蔵や、総長・山南敬助が切腹した部屋、落書きされた雨戸などが残されており、「新選組」旧跡としては八木家に匹敵する価値を持つが、個人所有のため、見学は外部からのみとなる。
ただし、土日祝日の10時~17時のみ、玄関にて旧前川邸オリジナルグッズの他、新選組に纏わるグッズ販売を行っている。
中でも、3枚組のモノクロ古写真絵葉書には、山南敬助と島原の遊女・明里が別れを惜しんだといわれる出窓が写っており、山南ファンに大人気だ。
④「光縁寺」~沖田総司の縁者の墓がのこる寺院~
「新選組」ナンバー2の総長・山南敬助と、同寺の22世良誉上人の間に親交があったため、多くの隊士の葬儀や埋葬が行われた。
墓地には、脱走の罪で切腹した山南敬助の墓や、山南を兄のように慕い、その介錯を務めた沖田総司縁者の墓も立つ。
墓の主は、総司の恋人とも、内縁の妻ともいわれている。本堂には隊士たちの位牌や新選組関連の古い資料が多数残されている。
鳥羽伏見に向かう「新選組」が駐屯した二条城
光縁寺の拝観を終えたら、神泉苑通を北へ、三条通近くの六角獄舎跡を経由して、千本通をさらに北上して二条城エリアへ向かおう。
このエリアには二条城の他、諸大名の宿舎となった小川家住宅(二條陣屋)、幕府の役所、東西奉行所跡、京都所司代跡がある。
二条城は江戸幕府開府とともに将軍家の宿舎として築かれ、260年後には15代将軍・徳川慶喜による大政奉還の舞台となった。
政権を朝廷に奉還した慶喜は、公家や薩長に政治能力はないと判断し、必ず自身を首班とする政治体制を再編できると確信していた。
しかし、王政復古の大号令によりその計画は崩れ、歴史は明治維新へ向かう。
大政奉還の後、近藤勇に率いられた新選組は二条城に駐屯。ここから鳥羽伏見の戦いを経て、各々が信じる道へ進んで行った。
二条城エリアの回り方は、
④光縁寺→(徒歩約9分)→⑤六角獄舎跡→(徒歩約7分)→⑥小川家住宅・二條陣屋→(徒歩約6分)→⑦東町奉行所跡碑→(徒歩約9分)→⑧二条城→(徒歩約8分)→⑨京都所司代跡碑→(徒歩約15分)→⑩西町奉行所跡碑
という順番がおすすめだ。
それでは、二条城エリアの各史跡・旧跡を紹介しよう。
⑤「六角獄舎跡」~日本で初の人体解剖が行われた刑務所~
平安時代に建てられた左刑務所・右刑務所を前身とする牢獄で、1708(宝永5)年にこの地に移った。
1754(宝暦4)年、山脇東洋による日本初の人体解剖が死刑囚の遺体で行われ、その記念碑が建てられている。
1864(元治元)年の禁門の変の際には、火災による囚人解き放ちで、収監されていた過激派志士たちの脱走を恐れた幕史たちの手により、未決囚の平野國臣ら37人が斬首されるという悲劇が起きている。
この時、「新選組」隊士たちが、首切り役として駆り出されたとも伝わる。
1877(明治10)年、西の京刑場跡から姓名を朱書した瓦片と多数の白骨が発見された。
これらは調査の結果、国臣らの遺骨であることが判明、西陣の竹林寺境内に移され墓が立てられている。
⑥「小川家住宅・二條陣屋」~大名の宿泊所となった京町家~
京都に残る町家の中でも最大級を誇る建築物。
その構造は、木造2階建て・一部3階建てで、商家でありながら大名の宿泊所である公事宿を兼ねていた。
屋内には30室以上の部屋があり、吊り階段などの複雑な内部構造を成し、その設えはさながら忍者屋敷のようだ。
⑦「東町奉行所跡碑」~京の行政・司法・警察を担当した役所~
京都町奉行は、江戸時代に遠国奉行の一つとして、京都の行政・司法・警察を担当、京都所司代のもとで職務を行った。
東町奉行所は、その役所の跡でいまは石碑が立つのみだ。
後述する西町奉行所と月替わりで職務を担当したが、京の自治組織である各町会の機能を活用し、その上部組織として活動していたともいわれる。
⑧「元離宮二条城」~大政奉還の舞台となった城郭~
江戸幕府の京都の拠点として、1603(慶長8)年に徳川家康により築城された平城。
家康はここで将軍就任祝賀の儀を行い、江戸幕府はスタートを告げた。
その260年後の1867(慶応3)年、徳川慶喜はここで大政奉還を行い、江戸幕府はその歴史に幕を下ろした。
つまり、江戸幕府の幕開けと終焉の舞台となった城郭だった。
大政奉還の後、慶喜が大坂城に退くと、二条城には水戸藩士が残ったが、「新選組」も入城し、どちらが城を守備するかで押し問答になったという。
しかし、若年寄・永井尚志の調停により、新選組は伏見奉行所に向かい、激烈な鳥羽伏見の戦いに臨むこととなる。
現在は、二条城は世界遺産・元離宮二条城として、国宝二の丸御殿・特別名勝の庭園など、多数の文化財を有する京都有数の観光地として、世界中から多くの人々が訪れる。
⑨「京都所司代跡碑」~京都の治安維持を担った行政機関~
1600(慶長5)年、徳川家康により京都の治安維持を目的として創設された。
幕体制が安定した元禄時代以後は、京都の治安維持にあわせ、朝廷や公家、西日本の諸藩を統制する機関として機能した。
所司代の定員は1名で、3万石以上の譜代大名から任命されたが、幕末の動乱期には所司代だけでは対応が難しくなり、その上位機関として京都守護職が設置される。
この時の所司代に任命されたのは、桑名藩主・松平定敬で、守護職はその実兄である会津藩主・松平容保であり、慶喜と三位一体となり京都において中央政局を主導した。
⑩「西町奉行所跡碑」~東とともに京都の行政を担った役所~
東町奉行所と月替わりに京都の行政・司法・警察を担当。
西町奉行は初代雨宮正胤から、最後の高力忠良まで39人が務めた。
この中には、江戸後期の奉行として長谷川宣雄がいるが、彼は鬼の平蔵として有名な長谷川宣以の実父である。
また、鳥羽の関門で薩摩藩士と問答となり、鳥羽伏見の戦いの端緒を開くきっかけとなった滝川具挙もいた。
さて、今回は「新選組」の軌跡をたどる歴史散歩を紹介した。
このコースは、ゆっくり歩いても約3時間ほどで一巡でき、所要時間には各史跡や旧跡の見学時間も含まれている。
散策を始める時間によっては、このあと「鳥羽・伏見の戦い」での新選組の足跡をたどって、鳥羽方面まで足を延ばしてみるのもおすすめだ。
また、千本通と堀川通を結ぶ三条会商店街は、京都の古き良き風情が残る商店街で、ぶらぶら歩きにぴったりの場所。
さらに、二条城周辺は、近年注目のグルメスポットとしても知られているので、歴史散歩とあわせて訪れてみてはいかがだろうか。
参考 :
京都歴史文化研究会 『京都ぶらり歴史探訪ガイド』メイツユニバーサルコンテンツ刊
文:写真 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部