【能登から伝えたいこと】祭りで力を合わせてきた、災害で助け合ってきた~姫地区連合会会長・水島力正より~
2024年元日の北陸地方を突如襲った能登半島地震。特に能登半島ではその被害が大きく、住宅の傾斜、液状化など、町もそこにある暮らしも、以前と同じではなくなった。同年9月21日、今度は観測史上最大の豪雨が襲った。能登にはもちろん、いまもそこに住む人たちがいる。能登を少しずつ動かし続ける人たちがいる。彼らのメッセージを受け取って、能登のいまを知ってほしい。姫地区の連合会会長、水島力正(りきまさ)さんに話をうかがった、2025年1月号からお届けします。
能登のいまを伝える人:水島力正
姫地区の幸ノ港、中組、向浜の三つを統合する連合会会長。石川県能登町出身。67歳。高校卒業後に家業の漁師を継ぐ。北洋サケマスやイカ釣り船に乗り、船を降りた時期もあったが、57歳まで漁師を続けた。姫の港からは、晴れた日には立山連峰も望める。毎朝この船に乗って、いまは趣味となった釣りに出かける。
祭りで力を合わせてきた、災害で助け合ってきた
能登町にある「姫」地区。その美しい地名に似合う、風光明媚な景色が広がり、自然に寄り添うやさしい暮らしがある。この地区をまとめる連合会の会長・水島力正さんに、「姫って素敵な地名ですね」と水を向けると、「いやぁ、うちらは恥ずかしいわ」と笑う。
能登町は地震で家屋の倒壊や津波でも甚大な被害が出たが、姫では倒壊した建物は他地域に比べると少なく、また津波の被害もなかった。それでも、しばらくは避難所での暮らしを余儀なくされていた。
数年前につくった自主防災の組織が活動を始めると、そこへみずから協力を申し出る住民たちが続々と現れてくれた。地域のために何かをしたいと思う人がたくさんいる、それがとても心強かったと振り返る。
「地域づくりには、普段からみんなで力を合わせる活動があることが大切。このあたりではそれが祭りなんです」
姫には夏の「どいやさ祭」がある。奴凧に似た巨大な燈籠「袖キリコ」が町を練り歩き、さらに船で港内を回る、諏訪神社の例大祭だ。遠洋漁業が主流になって祭りの担い手が減り、一時は勢いを失っていた。
だが25年ほど前に、地区長だった水島さんが住民や外に出た人たちも参加したくなる祭りにしたいと、開催日ほか祭りのあり方を柔軟にしていくことを提案。その後、にぎわいを取り戻してきた。
その祭りで要となる神社の鳥居や石垣は、地震で崩れたままだった。鳥居を直す費用はなく、石垣を直せる職人も手配できない。
考えあぐねていたとき、「自分たちでなんとかできる」と地元有志が集まって、木製の立派な鳥居を作り、崩れた石垣も直し、鳥居の注連縄(しめなわ)までも自作した。1カ月遅れとなったが、神社が直ったおかげで2024年も祭りを開催することができたのだ。
「こんな若いやつらがいるんだと本当にうれしかった。みんなの力が集まったのは、災害で助け合えたことが原動力になっているのだと思います」
大変なことの連続だったが、そのなかで絆を深め、みんなで一つになって復興が始まった。この鳥居は、レガシーとなって語り継がれていくに違いない。
文・写真=若井 憲