伊藤銀次とウルフルズ ② トータス松本のアーティスト像はクレージーキャッツの植木等?
連載【90年代の伊藤銀次】vol.8
即レコーディングに入れそうな曲は「あの娘に会いたい」だけ
トータス松本、ウルフルケイスケ、ジョン・B・チョッパー、サンコンJr. とはじめて顔合わせする1994年1月7日の何日か前に、スタッフから彼らの次のアルバムのためのデモ曲を40曲ばかりもらっていた。それらはちゃんとフルサイズのものもあれば、Aメロやサビだけだったりするものもあったのだが、残念なことに、全部聞いてみて即レコーディングに入れそうな曲は「あの娘に会いたい」だけだった。そこで彼らとの初ミーティングで、挨拶もそこそこにまずそのことを彼らに告げることから作業は始まったのだった。
トータスはのちに ”銀次さんは僕らに喝を入れる意味であえて他の曲をボツにしたのだ” というようなことを何かの雑誌で語っていたが、それは勘ぐり過ぎで、僕の基準ではほんとに、すぐに “せーの” でレコーディングできる曲がない、とシンプルに感じたからだった。そこで、僕がわがままを言ってスタッフにお願いして、新たに曲作り期間を設けてもらい、さらにレコーディングスタジオに入る前に、比較的安価なリハスタでしっかりメンバーでプリプロしてからレコーディングに入るというようにスケジュールを組み直していただいた。
ウルフルズの運命を変えた伊藤銀次からの提案
そしてその新たな曲作りに関して、僕からメンバーにひとつ提案を。実はその時点まで、彼らの楽曲は、ウルフルズというバンドコンセプトを思いついてメンバーを集めて結成した、生みの親であり、バンドリーダーのウルフルケイスケが作曲をしてそのメロディーにトータス松本が詩をつけるという形になっていた。
それはバンドの成り立ちから自然にそういう形になっていたのだと思うが、僕は、それにとらわれず、メンバーの中から新たな切り口や、隠れたメロディラインが聞こえてくるのを試してみたかった。そこで、今回の曲書きでは、僕の本音として全員遠慮なくトライしてできた曲を持ってきてほしいとお願いすることにしたのだ。今思えばそれがのちのウルフルズの運命を変えることになるとはその時点では1ミリも僕の脳裏にはなかったよ。
クレージーキャッツ時代の植木等さんに匹敵するようなトータス松本
そうしてまずウルフルケイスケが曲を持ってきた。僕がすでにもらってた40曲のうちOKを出した唯一の1曲の「あの娘に会いたい」はケイスケの作曲。いまでもウルフルズの代表曲といわれる名曲「いい女」も彼の作曲で、ケイスケはヒューマンであたたかいメロディラインを紡ぎ出すなかなかのソングライター。
期待に胸をふくらませて曲を聴かせてもらったのだが、残念ながらその時点の僕の琴線を震わせてくれる曲ではなかった。彼のデモテープはきちんとドラムやベースまで入った完璧なサウンドでよくまとまっていた曲だったけれど、いまいちインパクトに欠けている気がした。
すでにライブでウルフルズの演奏を体験した後、僕の頭の中に浮かんでいたトータス松本のアーティスト像は、かつてのクレージーキャッツ時代の植木等さんに匹敵するようなまさに “怪人” 。エネルギッシュでどんな逆境にあってもそれをモノともせずガハハとばかり笑い飛ばしてしまう痛快な、ある意味 “超人的存在” で、そのイメージを創りだしてくれそうな曲ではなかったからだ。
そこで彼にもっとインパクトのある曲をとお願いしたのだが、残念ながら彼はふたたび僕のもとへ曲を持ってくることはなかった。僕のアドバイスを得て、彼がそこでがんばってパンチ力のある曲にトライしてくれてたら、オーティス・レディングやエディ・フロイド、ウイルソン・ピケットなどの歌い手としての才能を開いたソングライターでギタリストのステイーヴ・クロッパーのような存在となって、またちがったおもしろい展開になったような気ががするのだが...。
ひょっとしてその僕の言葉が彼のソングライターとしてのプライドを傷つけてしまって、逆に意欲をそいでしまったのなら申し訳なかったが、僕にはそんなつもりはこれっぽっちもなかったよ。ただただトータスの治外法権ともいえるエネルギッシュさをぎゅっとデフォルメしてくれる曲がすぐにでも欲しかっただけなのだ。
そして、トータスが僕の元に作品を持ち込んできたその時から、いよいよドラマチックなストーリーが始まることになった。