【グラマラス・ロック列伝】V系専門誌「Vicious」初代編集長が語る “音楽とライブ”
インディーズバンドのヴィクトリーロードとは?
インディーズバンドを数多く観ることで、自分なりの審美眼を鍛えるというかモノサシを持たないと── と思いました。『Vicious』編集長時代は大小問わずライブハウスに年間200本超えで足を運んでいたので、バンドの色合いや、楽曲の良し悪し、ステージング、ボーカル、演奏、パフォーマンスの力量をダイレクトに感じ取ることができ、ある程度バンドの華の部分を見極めることができたと思います。大先輩の編集長から “編集長の仕事はライブが終わってからメンバーと話すことだ──” という薫陶も受け、朝まで打ち上げを共にすることで、いろいろな企画が生まれました。大先輩同様痛風に見舞われましたけれど(笑)。
『Vicious』は1993年10月13日、翌94年2月5日に渋谷公会堂で行われた創刊記念イベント『Because The Night』が好評でした。それぞれヘッドライナーの東京YANKEES、GARGOYLEの他、L‘Arc〜en〜Ciel、黒夢、Eins:Vier、REDIEAN;MODEなど新進気鋭バンドが登場。そのステージはスペースシャワーTVで後日放送されました。
当時、インディーズバンドが渋谷駅界隈のライブハウスから、TAKE OFF7、エッグマン、渋谷公会堂、NHKホールや代々木体育館とステップアップしていくのを、業界では “ヴィクトリーロード” と呼んだそうです。
オムニバスイベント「BLITZ meets Vicious VITZ!」がスタート
とにかく、ライブの大切さとクチコミの威力を目の当たりにし、この溢れるようなマグマの勢いを、アンダーグラウンドではない形で誌面にフィードバックしたいと思いました。そんな頃、赤坂BLITZとイベンターの方から、ありがたいお声がけをいただきました。雑誌の推しや流れ、シーンの動きなどを読み込んでのアーティストブッキングを託され、会場、チケッティングは先方が担当というフォーメーションでした。
へッドライナーに伸び盛りのバンドを据え、ライブを観たい / 観せたいバンド4〜5バンドを集めたオムニバスイベント『BLITZ meets Vicious VITZ!』がスタート、97年から赤坂BLITZで年に4回程度開催しました。なにより、通常は100〜200人キャパのライブハウスで演奏しているバンドにとって2000人キャパのホールを体験できる良いチャンスになったと思いますし、観に来てくれるファン層の幅も広がり、よりよい音響空間、ライブ空間での演奏体験は両者共にシーンの見え方もステップアップしたのでは── と思っています。
バンドバブル、ヴィジュアルバブルと言われた歴史を振り返って
また、このイベントに出る時はバンドそれぞれが独自のメニューや出演方法を考えてくれたこと、ソールドアウトしたところに招待客がプラスされキャパを大幅に超えたこと、ライブで興奮したボーカリストがステージ終了後裏口から飛び出し、雪かきでできた雪山に突っ込んだこと── など色々な記憶が蘇ります。そうそう、バックナンバーもよく売れました。新しいファンにとってみれば、推しのバンドのこれまでのグラビアや記事がその場で手に入るわけですから。
雑誌、ラジオ、テレビ、ライブというメディアを縦断したプロモーションや作品で、様々なアーティストやファンたちと遊んだ数年間。歴史を振り返った今、バンドバブル、ヴィジュアルバブルと語られますが、瞬間的に時代がどんどん顔を変えていく、変容していく姿を見ることができたのは面白かった。ネットという時代がすぐそこまで来ていた頃、私は、雑誌から離れました。