「パビリオンは予約しない」「急がない」「自分のペースですごす」と決めて、大阪・関西万博に行ってきた。
2025大阪・関西万博に行ってきた。
関西に住んでいながら、行くのが遅すぎやしないか…という感じだが、まあ色々と事情があって万博とは距離を置いていたこともあり、けったくその問題というかなんというか、とにかく自分からは行く気になれずにいたのである。
ところが先日、会社のメンバーで見に行こう、ということになり、渋々参加した。
しかし、やっぱり面倒だ。
まずは予約をするところから面倒である。
夜中にマイページに入ろうとするとサーバーが混雑しすぎていて2時間待ちとか出てくる。おまけにパビリオンを事前に予約する仕組みがまたわかりづらい。
2ヶ月前から予約が必要だとか、そのあとまた予約ができるタイミングがあるんだとか、果ては当日にも予約ができるんだとか。
ぼくはもうどうでもよくなって、どのパビリオンも予約しないことにした。
予約しなくても並べば入れるパビリオンもあるらしいので、もうそれでいい、と思った。
さて視察当日。
メンバーのチャットで通知が止まらない。
どのパビリオンが予約できたとか、どこは無理だったとか、今どこにいますとか、これからどこそこのパビリオンにチャレンジしますとか、もうそれだけで電池がなくなりそうだったので、ぼくはそっと非通知に切り替えた。
今日は、パビリオンは予約しない。
メンバーとも無理に合流しない。
とにかく自分のペースですごす。
そう決めて、スマホをカバンにしまって、入場ゲートに向かう。
ぼくのチケットの入場時間は9時だったのだが、もうとっくに時間はすぎていた。
ものすごく混むと聞いていたので、急いで行ってもしかたないと思ってゆっくり向かっていたのだ。
入場口はたしかに混んでいた。
ところが9時のチケットを持っている方はこちらを通ってきてくださいという表示があって、そっちはスイスイ進むことができる。あっという間に入場が済んで、拍子抜けだった。
会場にはわりと座るところがあるな、というのが印象的だった。
大阪はほんとに座る場所が少ない。
梅田駅周辺なんて、昔から、喫茶店に入らないと座って休めない。
休憩したいなら金を払えという暗黙のメッセ―ジに違いないと若い頃から思っていた。
ところが、万博はわりと座り放題である。
そびえたつ大屋根リングに向かって進み、屋根の下に入るとまた座るスペースがあって、ひんやりと涼しい。こちらはたくさんの人たちが座っていた。
ぼくも空いたスペースに腰かけて、持ってきた水筒のお茶を飲んで一息ついた。
とにかく今日は急がないと決めているので、何にも追い立てられることなく、涼しい屋根の下でゆっくりする。
小さい子を連れた夫婦や、老夫婦、誰かを待っているらしき年上の男性など、みんな一つ屋根の下で、静かに座って一息ついている。
休憩が終わったら、ようやく会場の中を散策開始。
中央部に「静けさの森」という空間を作る予定があると聞いたことがある。
ただ、それ以降なんの情報にもキャッチアップしていないので、果たして森があるのかどうかもわからない。
あるのかどうかもわからない森を目指して歩くのがなんとなく楽しくて、周りをウロウロと見渡しながら歩いていく。
途中でアメリカ館があって、どうやらここは予約しなくても入れるようだが、めちゃくちゃ並んでいる。
さすがに並ぶ気にはなれずに通り過ぎようとしたら、待っている人たちを対象にしているのか、ステージでのライブショーが始まったので、並んでいる人たちと一緒に手拍子したりして楽しんだ。
そこからさらに中央を目指して歩いていくと、緑の多い空間が現れてきたので、きっとこの辺が「静けさの森」なのだろうと思って、できるだけ緑の多い方向を目指してさらに進んでいく。
植樹もしているのだろうけど、背の低い草花たちが、よくこんな短期間で育ったなと思うぐらい元気に生えていて、ちょっと感動した。
どんどん緑の中に入っていくと中央に池が作られていて、なかなかほっとする空間になっている。
子どもや大人が何人も、張り巡らされたロープをまたいで池に近づこうとして、そのたびに警備員が走り回って、これ以上近づかないでください、と叫んでいる。
あとでニュースを見たら、何かの菌が繁殖していると問題になっていた日だったようだ。
しかしまあ池なんだから菌も繁殖するだろうし、勝手に入って、勝手に菌を持ち帰るのはしかたのないことのような気がする。
暑い中、走り回って嫌われ役をしないといけない警備員が気の毒だったなと思う。いずれにしても「静けさの森」がちゃんとできていて、よかったなと思った。
さて一つくらいは建物の中に入ってみたいなと思っていたら、ちょうど「コモンズ」という、単独でパビリオンを出さない国々のブースが集合しているエリアがまったく並んでいなかったので、涼みに行くついでと思って入った。
これがとても楽しかった。
スタッフもいなくて、現地の写真を大きく拡大したパネルを数枚展示しているだけの国もあれば、現地のスタッフも日本のボランティアも集まってみんなでワイワイ客寄せをしている国もある。
ブルンジというアフリカの国があって、そこのスタッフから聞くところによると、最貧国の一つなのだが、吹田のパン屋さんとコラボレーションしてパフェを売り出していたり、ハチミツやらコーヒーやらの陳列スペースも別にあったり、すごい盛り上がりを見せていた。
ブルンジ側が日本に対してかなり積極的に働きかけているようだ。
あるいはニュースにもなっていたイエメンのアクセサリー売り場は、値切れるという噂が回って、女性たちが大量に集まっていて、大阪のおばちゃんパワーで本当に交渉している。
万博では、おばちゃんが元気だ。
別の国のブースで、現地のスタッフに一生懸命、大阪弁で話しかけている。
ミャクミャクグッズを身に付けているおばちゃんたちに話しかけると、万博に来たのはこれで4~5回目というのは普通。もう10回以上来てるわ、という人もいた。
そう、このコモンズの中はコミュニケーションが楽しい。
椅子に座って退屈そうにスマホをいじっているスタッフに片言の英語で話しかけると、相好を崩して答えてくれる。
ぼくは地理が苦手なので、国名を見てもどこにあるのかわからない国がいっぱいある。思いきって、あなたの国はどこにあるの?と聞くと、怒らずにちゃんと教えてくれる。
その国の名産、主な産業、抱えている問題など、色々教えてくれる。
コモンズには90近くの国のブースがあるらしい。海外旅行をしてもそれだけの国の人たちとおしゃべりすることはまずない。
もうこれだけでチケット代以上の価値は十分にある。
ところで、コモンズに出展している小国や貧しい国のブースを回っていると、紛争や戦争という言葉が何度も出てくる。
このあたりはいま戦争しているから危なくて、このあたりは大丈夫だとか、あるいは紛争が急に拡大したので予定していた展示が十分にできなかったとか、教えてくれる。
あるいは気候変動の影響をもろに受けている国も多い。
ツバルのブースにはみんなの応援メッセージが貼られていたし、砂漠化が進んでいるという国もいくつもあった。
他にも色々と起きている問題はたくさんあるのだが、目立ったのはその二つだった。
あとは貧困というのは、わりとわかりづらい問題だとも思った。
というのは、そもそも国の中で大きな格差があり、日本にやってきて万博のブースに座ってスマホをいじっていられる人たちと、現地で貧困にあえいでいる人たちとでは状況がまったく違う。
また、普通にブースでの物販などの収益をアテにしている国も多く、うちが直面している地球課題はこれなんだとか、こんな社会問題にぶつかっているんだとか、そんな高尚なメッセージを発信しているところなどほとんどない(パレスチナやウクライナなどは別)。
いやまあ、万博に来てまで、世界の国々の貧困について考えたい人は少ないのかもしれないけど、ただ今回の万博は全体的にSDGsだとか持続可能だとか、地球におけるさまざまな課題を提示することも大きな主題になっていたはずなので、そう思ったのである。
いま目の前で戦争が起きている国の前で、やれ二酸化炭素がとか、やれ温暖化がとか言っても、何の意味もない気がする。
さて、夕方が近づき、ようやくみんな落ち着いてきて、連絡が取れるメンバー同士で落ち合うことになった。落ち合った後も、みんなずっとスマホを触っている。
いまから予約が取れそうなパビリオンを必死に探しているのである。
どうも、会場に来てから、多くのメンバーがずっとその調子らしい。
まあ東京から来ている人も多いので、できるだけ色々なパビリオンを見ておきたい、というのはよくわかる。
よくわかるけど、それって本当に楽しいのだろうか。
少なくともぼくは一切パビリオンを予約することなく会場を巡り、たくさんの国の人たちと話をして、会場に遊びに来ている人たちともおしゃべりをして、とても楽しんだ。
別にそれを自慢したいとかじゃなくて、あ、ぼくはそれでいいんだ、と思ったのである。
予定をぎゅうぎゅうに入れて効率よくタスクをこなしていくことよりも、気ままに歩いて、知らない人としゃべって、時々座ってあれこれ考える、そういう時間の過ごし方が心地いいのである。
めちゃくちゃ飛躍して、極端なことを言うと、人生についても同じような気がしていて、ぼくはもっと気ままに生きて、偶然の出会いや交流を楽しんで、時々落ち着いて内省する、そういう生き方のほうが向いているような気がする。
なのに今までずいぶん無理をして、ちゃんとした人間であるかのようにふるまってきたわけで、そりゃあうまくいかないよな、なんて思ってしまった。
1970年の大阪万博は、日本の高度経済成長期を象徴するような一大イベントだったという。
みんなが同じ方向に向かって進み、やればやるほど結果が出るような、そんな時代だったのだろう。
そこから55年経ったいま、果たして私たちは、広い会場の中で、ひたすらスマホを握りしめて次の予約の奪い合いをする程度の「進歩」しか遂げなかったのだろうか。むしろスマホがないと何もできない生き物へと退化しつつあるんじゃなかろうか。
…いや、そんな年寄りの恨み言のようなことを書くつもりじゃなかったのだ。
もっと前向きで、明るい、楽しい、軽やかな何かを書こうと思っていたのだ。だけど、ぼくが感じたのはそういうことなのだろう。
ぼくが感じているのは、個体としての人間の「進歩」についての疑問なのだろう。
人は、本当に進歩しているのだろうか。
***
【著者プロフィール】
著者:いぬじん
プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。
だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。
プロフィールって、むずかしい。
ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。
Photo by:Buddy AN