コスパ・タイパ重視の文化 本当に得をしてる?
近年、若手を中心として「コスパ(コストパフォーマンス)」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視する風潮が広がっています。
具体的に言えば、
・サービスや商品の内容云々よりも
・まず費用対効果が高いほうがいい、
・ひいては、短い時間で成果をあげるほうが良い
という感覚です。
要は会社でもプライベートでもとにかく効率優先が正義、といい換えても良いでしょう。
しかしなぜここにきて「コスパ・タイパ」がもてはやされるようになったのでしょうか。
第一に、比較が楽になったこと。
主にweb、スマートフォンの普及は、何十社・何百商品の価格と配送スピードを横並びに表示できます。
そして、SNSには「コスパ最高」という投稿が溢れるようになりました。
そうした環境では、「いちばん安く、いちばん早いものを選ぶ」“正解”の発見が容易になります。
これが一つの「コスパ文化」の原因であることは容易に想像できます。
とはいえ。
実質的には「比較軸」を自分で検討しているわけではありません。
むしろ、比較サイトのランキングに踊らされて、自らの判断で比較検討をする能力を捨てている可能性すらあるのですが。
そして、こちらの方がむしろ原因として大きいかもしれません。
第二に、実質賃金の伸び悩みと可処分時間の圧縮があります。
要はみんな貧乏になった。
2024 年7月の内閣府調査では、20代から30 代の8割から9割が購入時に価格かコストパフォーマンスを「重視している」と回答し、40 代では約8割、60 代でも7割となっています(内閣府)。
家計にゆとりがなければ「コスパ重視」は合理的です。
こうした「安易に手に入るもの」を「安く入手」することが優先されるようになった結果、それを煮詰めて出現したのが、「コスパ・タイパ至上主義」という概念ではないかと思います。
コスパ・タイパの過剰な重視によって失われるもの
しかし、こういったコスパ・タイパ至上主義は、ちょっと考えものです。
というのも、「長期的な効果」の判定が抜け落ちるからです。
たとえば、私は知人の誘いで、10年以上「異業種読書会」に参加していました。
飲み会などはほぼなく、本当に本を読むだけです。
扱われているタイトルは、
「アフターデジタル」
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
「動物農場」
「武士道」
「人生がときめく片づけの魔法」
「三体」
「世界まちかど地政学NEXT」
など、ビジネス書だけではなく、SFや古典などかなり広範囲にわたります。
想像してください。
この読書会に、参加する価値があるかどうか、どのように判断をするでしょうか。
二千年にわたる人類の知啓を考察するのは楽しい。
「教養」が身につきそうだ。
そのように考える人もいるでしょう。
しかし、コスパ・タイパ至上主義者は「費用対効果が見えない読書は時間の無駄」というでしょう。
「爆速で成長したい」という若者にも、「別に必要ないんじゃない?」と言われそうです。
実際、「教養」は、重要だろうか?
という判断は、長期にわたる検証と、深い思慮を必要とします。
しかし、コスパ・タイパ至上主義に染まっていれば、
「わかりやすく」
「すぐに」
成果が見えるものを好み、
「読書会なんてするよりも、生成AIで本の要約だけを読むほうがいいじゃない」という判断をするかもしれません。
もちろん、教養が重要かどうかは価値観によります。
読書そのものに価値がある、という話をする気もありません。
しかし、「短期的な効果がわからない」というだけで、様々なものを切り捨てていくと、視野狭窄に陥ることは免れません。
「学び」「知識の習得」「能力向上」は、タイパ・コスパ重視と折り合わない
教養だけではありません。学校の勉強においても、試験に出ることだけを効率よく覚えようとするのは、短期的には一見合理的に思えます。
しかし本当の学びは、ときに遠回りな、非効率に見える過程を通して得られます。
立教大学名誉教授の小西一雄氏は、「テーマと出会う喜びを味わうための効率のよい勉強法などはありません。それは試行錯誤の連続です。その意味では「無駄」の積み重ねでもあります」と、無駄の大切さについて述べています。
多くの方がご存じのように、創造的な発見や深い理解を得るには、一見無駄に思える試行錯誤を避けて通れません。
高校生までは成績がよかったのに、大学生や社会人では、たいしたパフォーマンスを挙げられない人が少なからずいますが、それは「試験にでることしか」勉強しなかった人物の末路です。
実際、このことは研究者を志す人だけでなく、将来社会に出る多くの学生にとって重要だと小西氏は強調しています。
仕事やキャリアにおいても
「この選択はコスパが合うだろうか?」
「無駄な業務は避けよう」
「成長しそうな仕事だけをやろう」
と考えるのは無理からぬことですが、現実には「できる人」ほど、意図的に、すぐには成果に直結しない雑用や誰もやりたがらない仕事にあえて取り組んだ経験がある方が多いように見えます。
そうした一見地味で「コスパの悪い」努力が、実は職場での信頼を築いたり、意図しなかった活動が新たな人脈を作ったり、あるいは創造性の高い仕事につながったりすることはよくあります。
「タイパ・コスパ至上主義」は、単なる消費者から脱却できない
タイパ・コスパの最も良くない側面は、「現在の自分」が想像する範囲でしか、効果(パフォーマンス)を考えられない点です。
「自分にはまだ見えていない世界がある。」と考えられないのです。
そのため、「とんでもない大きな果実を得られる可能性もある。だから、あえて面倒なことでもやってみよう」という考え方を捨ててしまうのです。
だから、本質的に「タイパ・コスパ」の考え方が通用するのは、自分が
「消費する側」
「サービスを受ける側」
「教わる側」
である場合に限られます。
要するにスーパーでニンジンを買うように、「できるだけ安く買い物ができたらよし」という価値観と同等です。
しかし、人間の能力は、ニンジンを買うようには入手できません。
仕事はレベルが上がれば上がるほど、正反対の考え方が正解となります。
新人に
「先輩のマネをして、考えながらやりなさい」
というと、
「何をすればいいのか明確に教えてください」と、いつまでも
「教えてもらって当然、タイパ・コスパのわるいことはしたくない」
と子供のような考え方が抜けない人がいますが、これは仕事の本質を理解していません。
仕事は新人だろうと、「サービスする側」「生み出す側」「創り出す側」に立たねばならないのです。
「言われたらやります、言われたことだけすればいいでしょう」では社会人として困るのです。
いや、仕事だけではありません。
学び、キャリア、そして人生など、長期的に自分で「創っていく側」に立つ場合には、リスクを取ったり、予測のできない学びを得たりするために、短期的な「非効率」「無駄」を避けて通れません。
考えてみてください。起業家、研究者、プロスポーツ選手、芸能人、アーティスト、発明家、経営者など、新しい領域を切り開いて行く行為が必須の人々が「試行錯誤したくない」「最少の労力でやりたい」などと言っているのを見たことがあるでしょうか。
当然、普通の会社員であっても、顧客に良いサービスを提供し、友人を作り、結婚をし、子供を育て、転職をし、自分で人生とキャリアを切り開いていくときに、試行錯誤しないで済む、という事はあり得ないのです。
私たちは「タイパ・コスパ至上主義」「爆速で成長」という、未熟で受け身の姿勢から脱却し、「損して得取れ」という主体的な意思決定を行う言葉の意味を、もう一度振り返る必要があるのです。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」82万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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