作曲家・筒美京平がオリコン週間1位を初めて獲得した出世作で、日本レコード大賞作曲賞を受賞した〝横浜〟のご当地ソングの決定版 いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」
いしだあゆみと言えば、若い世代には女優としてのイメージが強いかもしれないが、昭和40年代後半には数々のヒット曲を連発し、各テレビ局の歌謡番組に連日のように出演し、歌手をメインに活動していた。その「歌手・いしだあゆみ」のイメージを確立したのが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」である。
いしだあゆみは、大阪府池田市の3代続いた喫茶店とパン屋を営む家の四人姉妹の次女として生まれた。なかにし礼が、いしだあゆみの妹で、歌手時代には石田ゆりとして活躍していた妻の家族を描いた小説『てるてる坊主の照子さん』は、NHK連続テレビ小説「てるてる家族」(主役は石原さとみが演じる四女)としてドラマ化され、いしだあゆみの役はSPEEDのメンバーの上原多香子が演じており、いしだあゆみ自身も出演していた。児童劇団でも活動しており、14歳で上京後は、作曲家のいずみたくに師事し、1964年にはいしだあゆみの名で日本ビクターから「ネェ、聞いてよママ」でアイドル歌手としてデビューしている。
また、同年から65年にかけてはTBS系の連続ドラマ「七人の孫」にも、主演の森繁久彌の孫の一人としてレギュラー出演し、歌手と女優の両輪で活躍していた。映画でも『千曲川絶唱』、『続・何処へ』、『颱風とざくろ』などの東宝映画に出演していたが、妹役的な役柄が多かった。「七人の孫」に触れておくと、同時期にやはりTBS系で放送された連続ドラマ「ただいま11人」と並び、大家族構成のホームドラマとして人気を博した。「七人の孫」には、大坂志郎、加藤治子、藤間紫、月丘夢路、高橋幸治、松山英太郎、石坂浩二らが出演しており、悠木千帆(後に樹木希林)演じるお手伝いさんと森繁とのかけあいが人気を呼んだ、脚本家・向田邦子、演出家・久世光彦の出世作とも言えるドラマである。「ただいま11人」は石井ふく子のプロデュースによるもので、山村聰、池内淳子、渡辺美佐子、大空眞弓、山本圭、香川京子らが出演し、いずれも高視聴率を誇った。いしだあゆみは、67年には森繁主演のミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』初演にも四女役で出演している。
歌手活動では、日本ビクターから「サチオ君」、「みどりの乙女」など23枚のシングル盤をリリースしているが大きなヒットには結びつかなかった。68年に日本コロムビアへ移籍し、最初のシングル「太陽はないている」(橋本淳作詞、筒美京平作曲)が、初めてランキングされ最高位18位とスマッシュヒットとなった。この曲は、後にサザンオールスターズの桑田佳祐や原由子もカバーしている。また、カップリングの「夢でいいから」(林春生作詞、筒美京平作曲)も記憶に残るいい曲で、南沙織、小林麻美、浅田美代子など、多くのアーティストにカバーされている。
そして、同年12月25日、いしだあゆみ26枚目のシングル曲として「ブルー・ライト・ヨコハマ」がリリースされた。作詞は橋本淳、作・編曲は筒美京平のコンビ。当時の横浜には、<Ricksha Room(リキシャ・ルーム)>や<ゴールデン・カップ>、<クリフサイド>など、時代の最先端の音楽が流れ、外国の雰囲気が漂う大人の社交場ともいうべき場所がたくさんあった。山手、元町、本牧などにお洒落な大人たちが集まり社交の花が開いていた。人々は異国情緒漂う横浜に憧れを抱いた。「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、そんな時代の風をまとったメランコリックなムードの曲で、西田佐知子と同じように、ビブラートをきかせることなく声をストレートに伸ばすいしだあゆみの歌唱がぴったりだった。
累計150万枚を超えるセールスを記録する、いしだあゆみの代表曲が誕生したのだ。大ヒットのほどは、朝日新聞連載の四コマ漫画「サザエさん」での、サザエが駅の窓口で横浜までの切符を買うのに、思わず「ブルーライト横浜一枚」と言ってしまうエピソードからも読み取ることができる。スポーツ・キャスター&ライターの青島健太さんと一緒に横浜スタジアムを訪れたとき、社会人野球時代、ヤクルトスワローズ時代に横浜スタジアムで試合が終わったときに聴く「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、心にしみたと言っていたことを思い出す。
いしだあゆみにとって初のオリコンチャート1位を獲得し、年間チャートでも第3位にランキングされ、「歌手・いしだあゆみ」を確立した曲であると同時に、作曲を手がけた筒美京平にとっても、自身初のオリコンチャート1位を獲得した出世曲となり、日本レコード大賞作曲賞を初受賞した。
いしだあゆみは、この曲で69年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。イントロが短かったのか、小走りでマイクの前に立ったいしだあゆみの姿をいまでも憶えている。この年の初出場組には、奥村チヨ、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ、由紀さおり、森山良子、「みんな夢の中」の高田恭子、内山田洋とクールファイブ、「グッド・ナイト・ベイビー」のザ・キングトーンズがいる。女性歌手の活躍が目立った年だった。紅白歌合戦には77年まで連続9回出場し、その後16年ぶりとなる93年にも出場している。紅白歌合戦では「ブルー・ライト・ヨコハマ」を3回歌っている。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」以降、「涙の中を歩いてる」「今日からあなたと」「喧嘩のあとでくちづけを」「あなたならどうする」「昨日のおんな」「何があなたをそうさせた」「止めないで」「砂漠のような東京で」「おもいでの長崎」「さすらいの天使」「生まれかわれるものならば」「渚にて」「幸せだったわありがとう」「時には一人で」など、次々とヒット曲を出し、「夜のヒットスタジオ」をはじめとする歌謡番組の常連となった。
73年の映画『日本沈没』あたりから女優として演技力が高く評価されるようになり、『青春の門 自立編』(報知映画賞助演女優賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞)、高倉健の元妻役で、動き出した汽車の中で笑って敬礼をするその目に涙があふれる印象的なシーンが観客の心に刻み込まれた『駅 STATION』(日本アカデミー賞優秀助演女優賞)、マドンナを演じた『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(『野獣刑事』とあわせて日本アカデミー賞優秀主演女優賞)、緒形拳の妻を演じた深作欣二監督『火宅の人』(『時計 Adieu l’Hiver』とあわせてブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、報知映画賞主演女優賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞)など、再び女優業に比重を置くようになった。
テレビドラマでも、萩原健一と共演した「祭ばやしが聞こえる」をはじめ、「事件」、「恋人たち」、「金曜日の妻たちへ」、NHK連続テレビ小説「青春家族」「春よ、来い」「芋たこなんきん」など多数の作品に出演。特に「だいこんの花」、「冬の運動会」、「阿修羅のごとく」、「源氏物語」などの向田邦子脚本作品や、「川は泣いている」、「北の国から」、「やすらぎの刻 道」などの倉本聰脚本作品で輝きを放っている。
歌手活動としては、77年に、ティン・パン・アレーと共同制作をし、「いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー」名義でリリースしたアルバム『アワー・コネクション(Our Connection)』でのニューミュージックテイストのシティ・サウンドで聴かせる歌唱が評判を呼んだ。
96年に、〝夏の紅白〟とも呼ばれていたNHK思い出のメロディで久々に歌手・いしだあゆみとして出場した。この年は、〝ニッポン歌謡黄金時代〟をテーマに昭和40年代の曲を中心に放送されただけあって、田端義夫、松山恵子、舟木一夫、森進一、加山雄三、布施明、五木ひろし、黛ジュン、ピンキーとキラーズ、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、藤圭子、ジェリー藤尾、ワイルドワンズ、南こうせつ、石川さゆりなど27組の多彩な顔ぶれだった。
いしだあゆみは、白地に花柄のサーキュラードレスというのだろうか、裾にかけて広がりを持たせたドレスで登場。キンキラキンの派手なステージ衣裳ではないところが、この人のセンスというか品性のように感じられた。赤(もしかしたらオレンジ色かもしれない)で統一されたイヤリング、指輪、ブレスレットも、実際には高価なものかもしれないが、まるでプラスチックの子どものアクセサリーのようにも見え、その遊び心がすてきだと感じた。もちろん披露したのは「ブルー・ライト・ヨコハマ」。間奏後に、そのドレスをフワフワさせながら「歩いても 歩いても」と歌う姿が、すばらしくチャーミングだった。ちなみに是枝裕和監督、阿部寛主演の映画『歩いても 歩いても』は、この曲からとったタイトル。また、同じく是枝監督、阿部寛主演の映画『海よりもまだ深く』は、テレサ・テンの「別れの予感」の歌詞からとったタイトルである。
久しぶりの歌手としてのステージだったためだろうか、最初はやや緊張の面持ちだったが、歌い終わったとき、いしだあゆみの表情に浮かんだ安堵感と満足感が印象的だった。僕は、このときの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が一番好きだ。
横浜港が開港150周年を控えた2008年12月から、京急本線の横浜駅で入線メロディとして使用されている。また、横浜港開港150周年の2009年に、横浜市が「横浜市のご当地ソング」のアンケートを募ったところ、2位の童謡「赤い靴」に大きな差をつけて、「ブルー・ライト・ヨコハマ」がダントツの1位だった。たしかに、横浜の街を歩いていると自然と「ブルー・ライト・ヨコハマ」のメロディを口ずさんでいることがある。それにしても、「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみは美しかった。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫