#4 不可抗力に立ち向かうヒントを与えてくれる『方丈記』――小林一彦さんが読む、鴨長明『方丈記』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
小林一彦さんによる、鴨長明『方丈記』の読み解き
「豊かさ」の価値を疑え!
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の有名な書き出しで始まる『方丈記』。世の中を達観した隠遁者の手による「清貧の文学」は、都の天変地異を記録した「災害の書」であり、また著者自身の人生を振り返る「自分史」でもありました。
『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明 方丈記』では、小林一彦さんによる『方丈記』の読み解きを通じて、日本人の美学=“無常”の思想を改めて考えます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第4回/全4回)
『平家物語』のネタ本として
『平家物語』も、無常の文学として有名です。成立の年時は未詳ですが、十三世紀の末頃とされています。源平の争乱を歴史を追って叙述する『平家物語』には、さまざまな諸本がありますが、特に五大災厄については、『方丈記』の描写を利用しています。その中から「安元の大火」「治承の辻風」、それから清盛が主導した「福原遷都」の部分を覚一本(かくいちぼん)によって比較してみたいと思います。
まずは「安元の大火」から見ていきましょう。
同四月廿八日、亥(ゐ)の刻許(こくばかり)、桶口冨小路より火いできて、辰巳(たつみ)の風激しう吹きければ、京中多く焼けにけり。大きなる車輪のごとくなる焔が、三町五町を隔てて、戌亥(いぬゐ)の方へすぢかひに飛びこえ飛びこえ焼けゆけば、恐ろしなんどもおろかなり。或は具平(ぐへい)親王の千種(ちくさ)殿、或は北野の天神殿の紅梅殿、橘逸勢の蠅松殿、鬼殿、高松殿、鴨居殿、東三条、冬嗣(ふゆつぎ)の大臣の閑院殿、昭宣公の堀川殿、これを始めて昔今の名所三十余箇所、公卿の家だにも十六箇所まで焼けにけり。其外、殿上人、諸大夫の家々は記すに及ばず。はては、大内(おほうち)に吹きつけて、朱雀門より始めて、応天門、会昌門、大極殿、舞楽殿、諸司八省、朝所、一時がうちに、灰燼の地とぞなりにける。家々の日記、代々の文書、七珍万宝さながら灰燼となりぬ。其の間の費へいかばかりぞ。人の焼け死ぬること数百人。牛馬のたぐひは数を知らず。
これ、ただごとにあらず。山王の御とがめとて、比叡山より大きなる猿どもが二三千おり下り、手々に松火(まつび)をともひ〔い〕て、京中を焼くとぞ、人の夢には見えたりける。
(『平家物語』覚一本)
『方丈記』の描写と、よく似ています。次は「治承の辻風」です。
同五月十二日午(むま)の刻ばかり、京中には辻風おびたたしう吹いて、人屋多く顛倒す。風は中御門京極より起こって、未申(ひつじさる)の方へと吹いて行くに、棟門平門を吹き抜きて、四五町十町吹きもて行き、桁、長押、柱なんどは、虚空に散在す。檜皮(ひはだ)、葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるが如し。おびたたしう鳴りどよむ音、彼の地獄の業(ごふ)の風なりとも、これには過ぎじとぞ見えし。ただ舎屋の破損ずるのみならず、命を失なふ人も多し。牛馬のたぐひ、数を尽くして打ち殺さる。
これ只事(ただごと)にあらず。御占(みうら)あるべしとて、神祇官にして御占あり。「今百日の内に、禄を重んずる大臣の慎(つつし)み。別しては天下の大事、並びに、仏法、王法、共に傾きて、兵革相続すべし」とぞ、神祇官、陰陽寮、共に占ひ申しける。
(『平家物語』覚一本)
覚一本はわざと治承三年「五月」としていますが、四部合戦状本(しぶかつせんじょうぼん)などは治承四年四月に『方丈記』をそのまま取り入れています。そして最後は「福原遷都」です。
軒を争ひし人のすまひ、日を経つつ荒れゆく。家々は賀茂川、桂川にこぼち入れ、筏に組み浮かべ、資材雑具舟に積み、福原へと運び下す。ただなりに花の都、田舎になるこそ悲しけれ。(……( ))
いにしへの賢き御世には、すなはち内裏に茨をふき、軒をだにもととのへず、煙の乏しきを見給ふ時は、限りある貢物をも許されき。これすなはち民を恵み、国を助け給ふによってなり。
(『平家物語』覚一本)
いかがでしょうか。
引き写しのようにして、ほぼそのまま取り込んでいる箇所もあります。『平家物語』に真似されるくらいですから、『方丈記』の迫真の災害描写は、少なくとも知識人のあいだで評判になっていたと考えられます。すぐれた作品として認識され、知る人ぞ知る存在だったのではないでしょうか。
さらに注意される点があります。災害のありようをそのままに伝える『方丈記』のリアルな描写を借りながら、『平家物語』は前近代的な、因果応報的な解釈、これらの災厄がひき起こされた原因に超自然の存在を認めようとしていることです。おそらく当時は、むしろそうした思考回路が自然だったのでしょう。たとえば「安元の大火」では、日吉山王の神罰が下ったために、今回の大火が起こったと、夢のお告げを引いて結論づけています。比叡山から降りてきた二、三千匹の大猿たちが、手に手に松火(たいまつ)を持って京中を焼いたとありました。この時代、比叡山延暦寺の僧兵たちは日吉山王神社の御神輿をおしたてて、たびたび都の朝廷へと強訴に及んでおり、それをくい止めるために、清盛ら武士の力が必要とされました。平家が御神輿に向かって矢を射た話は、よく知られています。猿は、日吉山王神社では神様のお使い、霊獣です。神が怒り、大猿たちが復讐にやって来たのだと、『平家物語』はまとめているのです。また「治承の辻風」についても、この災害は凶事の前兆で、百日以内に大臣が死ぬ、仏法も王法も共に傾いて戦乱がうち続く、という占いで結ばれていました。最後の「福原遷都」では、『方丈記』で長明がもっとも訴えたかった結語「いまの世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし」という、時の政権、為政者に対する舌鋒鋭い政治批判の文言が、『平家物語』では消え失せてしまっています。
中世文学を代表する『平家物語』と比較してみると、あらためて『方丈記』が災害文学としていかに傑出した存在であったか、現代のジャーナリズムに通じる革新性、先見性をもっていたか、理解できるのではないかと思うのです。
『平家物語』のネタ本として
面白いことに、『方丈記』という古典は、何十年かに一度、ブームのようなものが訪れ、そのたびに評価され、見直されてきたようなところがあります。
もっともよく読まれたのは戦中および戦後まもなくの時期で、多くの作家や文化人が『方丈記』に共感しました。冨倉徳次郎のアテネ文庫が出版され、蓮田善明(ぜんめい)の『鴨長明』という詳細な文芸評論も登場しました。戦災で焼け出された内田百閒(ひゃっけん)は、わずか二畳の地所にバラックのような住まいを立て、そこでの日々を『新方丈記』と題して自虐的に小説にしました。林芙美子も現代語訳を試みています。その他、佐藤春夫も『方丈記』をこよなく愛した作家でした。
みなそれぞれに長明を魅力的にとらえているのですが、なかでも特筆すべきは堀田善衞(よしえ)の『方丈記私記』です。書かれたのは戦後二十年以上たってからですが、戦中の焦土で考えた思いを振り返りながら、現代版の“極私的な『方丈記』”を著しました。
私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明「方丈記」の鑑賞でも、また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。
(堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫)
堀田は昭和二十年(一九四五)三月十日の東京大空襲を回想します。焼夷弾に襲われて逃げまどう人びと、一面焦土と化した東京で途方に暮れる人びと……( )。その思い出と八百年前の長明の経験を重ね合わせると、痛いほど心に深く突き刺さるものを感じた。それは感動ということではなくて、困惑するような、むしろ迷惑の感に近かった──( )と堀田はいいます。そして、それはいったい何なのかということを、改めて『方丈記私記』で問い直したのです。
堀田自身が述べているように、『方丈記私記』は『方丈記』そのものの解説書ではありません。しかし、『方丈記』を読む時の視点の定め方や読む角度の切り取り方を考えるうえで、非常に興味深いものがあります。
このように、多くの作家が折に触れて『方丈記』を読み直し、その時々に長明の文章からいろいろなものを受け取ってきたわけですが、いま改めて考えてみると、『方丈記』という古典は、人が個人の力ではどうしようもない困難に見舞われた時に読み直されているようです。
その困難とは、戦争であり、天変地異であり、現代ならば科学技術の発展に伴う大事故であるかもしれません。大きな災いや耐えがたい重圧に抗して生きていかなければならない時、人は何かしらのヒントを得ようとして『方丈記』を手にするのでしょう。
生命を脅かされるような恐ろしい経験をすると、人は人生観が変わります。未来は予測不可能であることや、人間の無力さなどに思いが及ぶようになる。それは天災のみに限りません。いま、政治や経済も、先の見えない混迷した状況になっています。ついこの前まで「一億総中流」といわれていたのに、今日では「格差社会」といわれ、ごく一部の豊かな人と、毎日の暮らしもままならぬ人とに分かれつつあります。就職できない人、リストラされる人も激増しています。これもまた、個人の力ではどうにもできない災害のようなものなのでしょうか……( )。
未来を知る唯一の方法は、「古典に学ぶこと」だと私は考えます。東日本大震災の発生時、またそれ以降も「想定外」という言葉があちこちで聞かれましたが、『方丈記』にはその「想定外」のほとんどの事象が映し出されていました。
そうした意味で、古典は博物館のガラスケースに保管されていればよいものではなく、ましてや一部の研究者のもてあそびものでもありません。多くの人びとに読まれてこそ意味があるものなのです。また、同じ人が同じ作品を読み返してみても、そのたびにこれまでとは違う新鮮な感動を与えてくれるのも古典の大きな魅力です。古典は時代を超えて、生き続けているものなのです。
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著者
小林一彦(こばやし・かずひこ)
京都産業大学文化学部教授。専攻は和歌文学・中世文学。和歌文学会委員、中世文学会委員、日本文学風土学会理事、方丈記800年委員会委員。教育・研究のかたわら、古典の魅力をわかりやすく伝える講演活動にも力を入れており、幅広い年代を対象に小学校の教室から大規模ホールまで、古典の語り部として各地を歩く。主な著書に『鴨長明と寂蓮』(日本歌人選049・笠間書院)、『続拾遺和歌集』(明治書院)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明「方丈記」』(小林一彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『方丈記』引用部分は大福光寺所蔵の『方丈記』を底本とし、カタカナをひらがなに改めました。また、適宜漢字をあてて読み仮名を付し、読みやすくしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年10月に放送された「鴨長明 方丈記」のテキストを底本として大幅に加筆し、新たに玄侑宗久氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。