この物語を構成する言葉たちには匂いがある、景色がある、触感がある。『みどりいせき』著:大田 ステファニー 歓人
『みどりいせき』著:大田 ステファニー 歓人
物語は、小学校の野球クラブでピッチャーをやっていた小春とキャッチャーとして小春とバッテリーを組んでいた主人公桃瀬が高校で再開するところから始まる。ひょんなことから小春がやっていた大麻クッキーの手押しグループに加わることになった桃瀬は、個性豊かな仲間たちの仕事を手伝ったり時には恐ろしい目に遭ったりみんなで仲良くブリったりして波乱万丈な生活を送っていく。
「ワイドアップんなっちゃった。」「どっちゃ無。」「ウイルスがバズったり」(本文より)
もうめちゃくちゃに読みにくい、というのが最初のページをめくった時の感想だった。予想外な言葉と言葉の結びつき、馴染みのない語彙、オチが分かんないまま突然投げつけられる文章の数々。その全てがこの物語のとっつきにくさと読みにくさを助長している。ひとたびページをめくるとたくさんの言葉や意識があっちにいったりこっちにいったりを繰返しながら無限に膨張を繰り返していて、読みながら混乱してしまう。しかし、途中で投げ出さず根気強く読み進めるうちに、その読みにくさは意外な形で作用する。
タイミングや場面は人によって異なるとは思うがきっと読んでいるうちに、物語と自分の呼吸がぴったり合う瞬間が訪れるのだ。
するとたちまち、今いる場所を忘れ意識や読者の身体ごと小春たちのヤサのなかへ引き込まれてしまう。部屋にこもる青臭いにおい、体を芯から揺さぶるヒップホップやR&Bの低音、容赦のない青春の傷み、そして仲間と過ごす時間のかけがえのない幸福感に包まれる。
自分でも気づかないうちにこの特殊な文体と物語自体のグルーヴにのみ込まれてしまうのだ。こうなったらもうページをめくる手は止まらない。
読み始めたときのジリジリとした違和感とほんのすこしの好奇心が、やがて逆らえないでっかい何かに体ごと巻き込まれ、それがいつしか快感になっていくような体験は、桃瀬たちの追体験、まさに"トリップ"と言えるのではないだろうか。物語後半、主人公および登場人物たちが幻覚作用のある薬物を摂取したあたりからカオスはますます加速し、そこからは文字の配置やべージの余白を活用したタイポグラフィー的な表現への挑戦も見られる。この部分は本書の大きな魅力のひとつだと言えるだろう。
扱うネタこそ非合法で危険なものに見えるし、アンダーグラウンドな、自分とは関係のない遠く離れた世界の話だと感じる人も中にはいるかもしれないが、私はこれはありふれた子供たちの、青春の物語だと確信している。彼らが過ごす日常は、緊張感こそあれど非常にコミカルで、個性的で、青年期特有の時間の生っぽさがある。その感覚はこれまで生き延びてきた私たちにも覚えがあるものだろうと思う。この物語を構成する言葉たちには匂いがある、景色がある、触感がある。それは筆者の言葉の選択の正確さ、丁寧さが成す技である。特異なものだと尻込みせずにぜひ一度手に取って体験してほしいと思う。
著者プロフィール
大田 ステファニー 歓人
1995年東京都生まれ。2023年、『みどりいせき』で第47回すばる文学賞受賞。24年、同作で第37回三島由紀夫賞受賞。
みどりいせき
著者:大田 ステファニー 歓人
出版社:集英社
定価:1,870円(税込)
[テキスト/水澤はる]
2006年生まれ、現在は福岡市在住。2024年より文喫福岡天神店にて詩歌担当。
プロ・オサンポラー(プロの散歩人)なので青信号がパカパカしだしたらちゃんと止まる。