半世紀ぶりの富士見ヶ丘駅でした【駅ぶら】06京王電鉄446 井の頭線77
※2024年3月撮影
トップ画像は「富士見ヶ丘駅」のホーム吉祥寺側端部から望遠レンズで検車区の電留線に駐められた車両。
同じ場所から広角レンズで撮るとこうなります。
※2024年3月撮影
少しホームを渋谷側に歩き始めたら各駅停車渋谷行が到着しました。
※2024年3月撮影
さらにホームを歩いています。同じく画面奥は吉祥寺方面です。
※2024年3月撮影
駅名標。駅番号は“IN 13”。
※2024年3月撮影
「井の頭線」は1933年(昭和8年)帝都電鉄が開業。「富士見ヶ丘駅」はその時に設置されています。その後、帝都電鉄は小田急電鉄と合併します。さらに戦時下の政策で当時の京王電気軌道などと共に東京急行電鉄(大東急)に合併されます。
戦後各社が大東急から分離独立した際に「井の頭線」は京王電気軌道傘下になり社名も京王帝都電鉄に変更されました。(1998年に京王電鉄に改称されています)
筆者は、1963年(昭和38年)から1977年(昭和52年)まで「久我山駅」が公共交通機関の出発駅でした。「富士見ヶ丘駅」が現在の橋上駅舎になった2010年(平成22年)には「井の頭線」に乗る機会が少なかったので駅舎の工事等は残念ながら記憶にありません。
渋谷側ホーム端部から。
※2024年3月撮影
橋上駅舎の構内西側に大きな窓がありました。
※2024年3月撮影
その窓の前から改札口を見ています。
※2024年3月撮影
改札口を出ます。
※2024年3月撮影
改札の外から。
※2024年3月撮影
きっぷ運賃表。
※2024年3月撮影
実は「富士見ヶ丘駅」に降りるのは、小学生時代以来です。中学校時代に仲の良かった同級生が住んでいたので富士見ヶ丘には頻繁に来ていましたが、移動手段は自転車だったのです。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)