【京都仏像案内】南山城(みなみやましろ)の古寺巡礼(こじじゅんれい)~国宝や重要文化財の仏像に出合う
なだらかな丘陵地を木津川が流れる南山城。風光明媚なこの地に、7世紀に都が移されると寺院も建立され、いち早く仏教文化が花開いた。奈良に近いことから独自の仏教文化をもち、国宝や重要文化財の仏像など貴重な文化財も多い。
酬恩庵 一休寺/三人の庭師が造った趣の異なる3つの庭
「一休さん」の愛称で知られる一休禅師が再興させた寺。酬恩庵は一休が晩年を過ごしたところで 、遺品を見ることができる。国指定名勝の方丈庭園は、三人の名人庭師が合作したもので「三作の庭」といわれ、北、東、南に趣の異なる庭がある。
酬恩庵 一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ)
住所:京都府京田辺市薪里ノ内102/営業時間:9:00~17:00(宝物殿は9:30~16:30)/定休日:無
禅定寺/藤原時代の仏像9体は重要文化財
平安時代中期の正暦2年(991)に東大寺53代別当・平崇(へいそ)上人が創建。本堂は江戸時代中期の建築で、近年、4年の歳月をかけて茅葺き屋根を修復。宝物殿には本尊の十一面観音立像をはじめ、9体の国指定重要文化財の仏像を安置する。
禅定寺(ぜんじょうじ)
住所:京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100 /営業時間:9:00~16:00/定休日:無
神童寺/「平安時代の美術館」と呼ばれる収蔵庫
聖徳太子の創建と伝わり、のちに修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が山中で修行をしたという。室町時代の応永13年(1406)に再建された本堂、収蔵庫に保管される愛染明王坐像、不動明王立像、阿弥陀如来坐像、日光・月光菩薩立像は国指定重要文化財。
神童寺(じんどうじ)
住所:京都府木津川市山城町神童子不晴谷112 /営業時間:9:00~17:00/定休日:無
蟹満寺/1300年前と変わらぬ姿の金銅仏
平安時代後期に書かれた『今昔物語集』に、「蟹の恩返し」の舞台として登場する古刹。境内各所で見られる蟹の紋様やオブジェを探すのもおもしろい。国宝の本尊の釈迦如来坐像は、1300年以上前に造られたといわれる金銅仏で、高さ2.4m、重さ2.2t。
蟹満寺(かにまんじ)
住所:京都府木津川市山城町綺田浜36/営業時間:9:00~16:00/定休日:無
寿宝寺/実際に千本の手を持つ千手観音
飛鳥(あすか)時代の慶雲元年(704)創建。七堂伽藍を備えた寺であったが、たび重なる木津川の氾濫(はんらん)により現在地に移転し、規模も小さくなった。本尊の十一面千手千眼観音立像は、実際に千本の手を持つ観音として奈良・唐招提寺の観音像などと並ぶ傑作といわれている。1997年に206年ぶりの改築となる平成の大造営を行った。
寿宝寺(じゅほうじ)
住所:京都府京田辺市三山木塔ノ島20/営業時間:9:00~17:00(要予約)/定休日:不定
海住山寺/山の中腹にあり木津川の眺めが絶景
木津川を見下ろす海住山の中腹に立つ。鎌倉時代に建立された五重塔は国宝で、本堂と奥の院に祀られる2体の十一面観音立像菩薩は国の重要文化財。寺名は、南海にあるといわれる観音の浄土に由来し、海(南海)住(観音が住む)山寺(浄土の山にある寺)を意味する。
海住山寺(かいじゅうせんじ)
住所:京都府木津川市加茂町例幣海住山20/営業時間:9:00~16:30/定休日:無
笠置寺/巨石の岩肌に刻まれた弥勒磨崖仏
山岳信仰の修行場となっていた笠置山山頂にあり、本尊は高さ15mの巨石の岩肌に刻まれた弥勒磨崖仏。鎌倉時代末期の元弘の乱の戦火で焼亡し姿を確認することは難しいが、大きな光背が往時の姿を偲(しの)ばせる。総延長800mの修行場は遊歩道として整備され、周回することができる。
笠置寺(かさぎでら)
住所:京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29/営業時間:9:00~16:00/定休日:無
現光寺/拝観は春・秋の特別公開のみ
寺の起源や歴史については不明だが、管理をする海住山寺の記録によると、元禄10年(1697)の再興が確認され、以来、存在してきたという。無住の寺だが、本尊の十一面観音坐像は国の重要文化財。普段は非公開で、春・秋の特別公開時のみ拝観することができる。
現光寺(げんこうじ)
住所:京都府木津川市加茂町北山ノ上9/営業時間:特別公開時のみ
大御堂観音寺/間近に拝観できる国宝の仏様
約1300年前に天武天皇の勅願により開基され、聖武天皇により伽藍が整備された。かつては33の伽藍が立ち並んでいたが、火災により焼失。大御堂(本堂)のみが再建された。本尊の十一面観音立像は国宝として登録されている7体の十一面観音立像のうちの一つ。
大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)
住所:京都府京田辺市普賢寺下大門13/営業時間:9:00~17:00/定休日:無
南山城の国宝や重要文化財の仏像に出合う旅
南山城は京都府の最南部に位置し、奈良県に隣接する。山城の名は京都の旧国名「山城国」にちなんだもの。その歴史をひもとくと、今から約1300年前まで遡(さかのぼ)ることになる。
天平12年(740)、聖武天皇は平城京(奈良)から遷都し、現在の木津川市加茂町に恭仁京(くにきょう)を造営した。延暦3年(784)に都を移した長岡京(現・京都府長岡京市)、延暦13年(794)に都を移した平安京(京都)よりも前に都が置かれた古都だったのだ。
三方を山に囲まれ、なだらかな丘陵地を木津川が流れる風光明媚な地は、都を置く上で理想の地だったのかもしれない。『万葉集』を編纂(へんさん)した大伴家持(おおとものやかもち)は、恭仁宮建設にも関わっていたが、「今造る久迩(くに)の都は山川の さやけき見れば うべ知らすらし」と詠み、この地の美しい風景を称え、都にふさわしい地であるという歌を残している。
恭仁京が都であった期間は、天平16年(744)までのわずか3年3カ月だったため、規模や街並みの整備などがどの程度であったかは不明な点も多い。
しかし、京都と奈良の間に位置することから独自の仏教文化が花開き、7世紀には数多くの寺院が建立された。特に、東大寺や興福寺と深い関わりをもつ寺院が多い。また、木津川流域の山々は俗世を離れた地であることから山岳修験(しゅげん)の地にもなった。多くの塔頭も生まれ、文字どおり仏教の聖地になったのだ。
南山城の寺院には、十一面観音像が多く残っているのも特徴だ。奈良の影響を強く受けた地であることから、十一面観音像を本尊とする東大寺二月堂の信仰が大きく影響したのではないかといわれている。
現在、南山城地域には国宝や重要文化財に指定されている十一面観音像が8件ある。ほかにも、国宝の釈迦如来坐像や五重塔など、長い歴史に育まれた貴重な文化財が多い。
さらに、木津川の石仏の里と呼ばれる地域には、国宝の九体阿弥陀像や三重塔をもつ浄瑠璃寺、重要文化財の阿弥陀如来坐像を安置する岩船寺があり、まさに「祈りの地」といえる。
やさしい顔で迎えてくれる仏像たちと対峙し、静かに祈りを捧げるのも、南山城の旅の楽しみ方といえる。
取材・文=アド・グリーン
『散歩の達人 歩きニストのための京都散歩地図』より
アド・グリーン
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1982年創業の編集プロダクション。旅行関係の雑誌・書籍、インタビューやルポルタージュを得意とし、会社案内や社内報の経験も多数。企画立案から、取材・執筆、デザイン、撮影までをワンストップで行えるのがウリ。