【レビュー】『サンダーボルツ*』曇天切り裂くパワーはない、なくて構わない ─ MCUメンタルヘルス映画登場の必然性
この映画の大部分で、空はずっと曇っていて、彩度を欠いている。何も気力が起こらない時、サンダーボルツは雲を切り裂くスーパーパワーにはならない。彼らにそこまでの力はないし、なくても構わない。ただ、曇天の1日を共にやり過ごしてくれる。そんな優しさだけが必要な時もある。
映画『サンダーボルツ*』は(MCU)に登場したヴィランやアンチヒーローたちが集結する映画とあって、DC『スーサイド・スクワッド』2作のような派手で過激なアクション映画を予想していたが、その正体はアメコミ作品史上類を見ないメンタルヘルス映画。トラウマを抱えた者たちの贖罪と連帯を描く。
© 2024 MARVEL.
メンバーはエレーナ、バッキー、アレクセイ、ジョン・ウォーカー、ゴースト、タスクマスター。悪事や闇の任務を行った過去やトラウマを抱えた彼らは、決してのように讃えられず、影の道を歩んでいる。中心となるのはエレーナで、姉ナターシャ・ロマノフを失った喪失感を抱え、孤独に苛まれている。ファンであれば、彼ら全員が後ろめたい過去を抱えていることはこれまでの作品で見てきた通りだろう。彼らはある事情によって集められ窮地に陥ると、誰も予想しなかった形で結束する。
マーベル・スタジオは、もう二度と「MCU疲れ」を指摘されたくないはずであろう。そのためか、これまでの配信ドラマにしか登場したことのないキャラクターであっても、本作では初登場として違和感なく馴染ませた。ファンは過去作の予習・復習をすればより楽しめるし、そうでなくとも、彼らがどんな過去を引きずっているのかがすんなりと理解できるようになっている。
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クセ者たちが力を合わせて世界の危機を救う、といった以上の物語が描かれる。彼らは危機に対峙する前に、自分が抱える苦悩や後悔を吐き出す必要性に直面する。本作はスパンデックス姿の超人が怪物と殴り合うだけの映画ではないし、表層的な爽快感を楽しんで翌日にはほとんどの内容を忘れてしまうような娯楽作とも違う。セラピーだ。安らぐ助言を与え、いつか曇天に晴れ間が差すのを一緒に待ってくれる。
『エンドゲーム』以降のマーベル映画は、VFX多用の自重に耐えきれなくなり、完成度を欠いていると批判される機会が急増した。もちろん本作でもインディー映画が10本も20本も作れるような費用をかけ(報道によれば約2億ドルとされる)、一流の視覚効果が加えられている。しかし、重きを置いているのは視覚的なスペクタクルではなく、感情的な浄化作用だ。
本作ではA24作品で活躍するスタッフが多く携わっており、マーベル・スタジオはA24映画に目配せするプロモーションを行なっていた。確かに、奇抜な設定と余韻に委ねるような結末にはA24作品らしさを感じられる。それにしても、商業映画の権化のようなマーベル・スタジオが、独立系スタジオのA24を意識し始めたのは興味深い。
中でも印象的だったのは、ルイス・プルマンが演じるボブ/セントリー/ヴォイドを、双極性障害(躁うつ)的に描写して、メンタルヘルスの深刻性を訴えたことだ。気弱な青年ボブは、ある時は無敵のヒーロー セントリーとして超パワーを操るが、別の時は闇の人格ヴォイドとなって影を作り出す。
筆者がジェイク・シュライアー監督に取材したところによれば、このキャラクターに何か特定の症状を重ねることはしなかったというが、造形には「明らかに二面性のある私の友人」を参考にしたという。「ある時には、ものすごい興奮と、月にも届くような傲慢さみたいなものがあって、そこには誰も信じられないことを実現させるような真の力がある。でも、その目標に近づいていくと、別の側面が顔を出すんです」と、シュライアーはその友人の特徴を語ってくれた。「若い頃は、単なる『問題』の一種として、対処すればいいと思っていました。しかし大人になるにつれて、この二つはリンクしていることがわかってきました。つまり、あの高揚感を追い求めることが、裏側にある暗い部分を引き寄せていた。そして本当の旅路とは、その中央で自分自身を受け入れながら生きることなのだと。でも、それはとても難しいことです」。
いずれも生々しい人間ドラマが炸裂した「Beef/ビーフ」監督のジェイク・シュライアーと、「一流シェフのファミリーレストラン」脚本家のジョアンナ・カロが手がけているだけあって、登場人物が剥き出しの感情をぶつけ合うドラマは流石のもの。荒削りなところもあるのだが、実力派キャスト(特にフローレンス・ピュー)の熱演によって、稚拙な印象に陥るのを免れている。これまでの作品ではあくまでもサブキャラクターだったエレーナが突如として主人公格になったのは、『ミッドサマー』(2019)で破滅的な嘆きの熱演を見せて以来、ピューの演技力にますます磨きがかかっているからに違いない。
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MCU作品としての文脈で見れば、『サンダーボルツ*』は『ブラックパンサー』(2018)と似た役割を担う一本だ。どちらも、過去作で脇役だったキャラクターに光を当てた単独作であり、『アベンジャーズ』シリーズの節目直前に位置づけられている。そして何より、ヒーロー映画でこれまで見過ごされてきたテーマを真正面から描き、特定のコミュニティに深く刺さる作品となった点で共通する。
『ブラックパンサー』は、黒人ヒーローを初めて主役に据え、ブラック・コミュニティにとっての誇りと希望となり、社会現象になった。対する『サンダーボルツ*』はアメコミ映画のマッチョイズムを解体、心に傷を抱える者たちの再生を描き、メンタルヘルスという繊細なテーマに真正面から向き合っている。どちらも、ただ敵と殴り合うだけの映画ではなく、観客の心に手を差し伸べるヒーロー映画だ。だからこそ、サンダーボルツのメンバーが『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』で再び姿を見せるとき、そこには単なる“戦力”ではない、別の意味が生まれているはずだ。
ところで、MCUが本作でメンタルヘルスを題材にしたのは、ある種で必然的なことかもしれない。筋肉隆々の神ソーは『インフィニティ・ウォー』でサノスを仕留め損ねる失態を許したことでPTSDのようになり、怪力ハルク/ブルース・バナーは二つの人格の折り合いをつけられずに苦悩した。マーベル・ユニバース最強クラスの彼らの超パワーでさえ、メンタルヘルスの問題を打ち砕くことはできない。
世界保健機関(WHO)のによれば、私たちの世界では毎年72万人以上が自殺によって亡くなっている。約40秒に1人が、どこかで自ら命を落としていることになる。これはおそらく、スーパーヒーロー映画でヴィランが街を襲うことよりも現実的には恐ろしいことだ。
手を差し伸べるべき人々は、スクリーンの中ではなく現実にいる。真の脅威は宇宙からの侵略者ではなく、心の中にある。確かに『サンダーボルツ*』の彼らは最強じゃない。ヒーローじゃない。でも、やるしかない。私の曇った空が、いつか晴れるまで生きてみるために。
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これは、マーベル映画史上、最も優しい作品だ。映画『サンダーボルツ*』は2025年5月2日、日米同時公開。