茅ヶ崎八景最後の1枚発見 明治末に茅ヶ崎館が発行
今から100年以上前、「茅ヶ崎八景」と題して地域の名勝を紹介する絵はがきが複数発行された。そのうち旅館「茅ヶ崎館」が作った絵はがきは、8枚のうち1枚が長く行方不明のままだった。市内在住の郷土史家がこのほど、最後の1枚を発見。茅ヶ崎館の関係者は「ずっと探していた貴重な資料なので発見されうれしい」と話す。
「八景」は景勝地として知られる中国・湖南省の景観を描いた「湘瀟(しょうしょう)八景図」が鎌倉時代に日本に伝わったと考えられている。特定の風景を8つの画題に当てはめて楽しむことが流行し、江戸時代には「近江八景」や「金沢八景」が浮世絵の題材として人気を博した。
明治に入ると、販売促進や観光プロモーションの一環として、企業や店舗が地域の八景を絵はがきにして発行するケースが増えた。
茅ヶ崎では和菓子店の「釜成屋」が商品の包装用として明治30年代に、「林屋」が作成したものが明治40年代に、そして1899年創業の旅館「茅ヶ崎館」が明治末頃に、発行したものが確認されている。
このうち「茅ヶ崎館版」は、班嶺という画家の筆によるもの。8つのうち7つまでは確認されていたが、残り1枚は行方が分からないままの状態が長く続いた。
「眞崎の夜雨」発見
そうしたなか最後の1枚となる「眞崎の夜雨」を発見したのは、中島在住の加藤哲史さん(70)。骨董商を営む傍ら郷土史を研究しており、30年にわたって数百枚の絵はがきを収集してきた。
数年前、閉店する古書店からまとめて引き取った資料を整理していたところ、ベタ焼き(写真フィルムを印画紙に密着させてプリントしたもの)の「眞崎の夜雨」があるのを見つけた。
茅ヶ崎館の5代目・森浩章さんは「20年にわたって探していたので、大変ありがたい。開業126年を迎える当館としても、明治期の茅ヶ崎風景を確認するとともに、初代・森信次郎の意図を知るうえでも貴重な資料になる。発見した加藤さん、これまで調査を続けていただいた全ての関係者に感謝したい」と話す。
加藤さんは「引き続き、実物の絵はがきを探していきたい」とする。
ところで現在の地名には存在しない「眞崎」はどこなのか。森さんは「眞埼という名称は江戸時代の名所である、隅田川西岸の地域を指す言葉なので、相模川もしくは小出川の西岸から画面後方の大山が見える風景では」と推測する。
また茅ヶ崎市博物館の学芸員・渡部敦寛さんは「1963年に郷土史家の鶴田栄太郎氏が釜成屋版茅ヶ崎八景についてまとめた文章によると『一中の東方ゴルフ場の下あたりを今でも漁夫は真崎といっているそうな』とあるので、現在の白浜町のあたりを指すのではないか」としている。