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トーマス・ヨハネス・マイヤー、新国立劇場 オペラ『ヴォツェック』を語る~「ヴォツェックは私たちの中にいる」

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トーマス・ヨハネス・マイヤー

新国立劇場のオペラ芸術監督・大野和士が「今シーズンに絶対に取り上げたかった」と語ったのが、アルバン・ベルク作曲のオペラ『ヴォツェック』(2025年11月15日~11月24日、新国立劇場 オペラパレス)だ。今年は初演から100年を迎える記念の年でもある。原作のビューヒナーによる戯曲はさらに遡って19世紀初頭に書かれた。当時20代の作家が描き出したのは、社会によって個人が破壊されていくさまだった。ヴォツェックを追い詰めた社会からの抑圧は、現在の私たちにも鋭く響く。

先日行われた関連トークイベント( https://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/6_030315.html 参照)では、指揮を務める大野が『ヴォツェック』の音楽構造について言及。「複雑ながらも全体として胸に響く音楽」と、その魅力を語った。無調や12音技法を取り入れながらも、バロックや古典をなぞった音楽形式。作品全体に厚みをもたらす複雑な変奏。そして、度々登場するレントラー、ワルツ、ホップの舞曲は重要な意味をもつ。

さらに、21世紀に本作を上演する意義について、「ベルクが音楽の中に詰め込んだ不協和音には、人間のそれぞれの姿が詰まっています」と、人間の本質は『ヴォツェック』で描かれていることと変わらないと説いた。

そんな普遍的なテーマを抱える『ヴォツェック』のタイトルロールを演じるのは、トーマス・ヨハネス・マイヤー。2009年にも新国立劇場でヴォツェックを演じたほか、世界中で何度も同役を歌っている。1日中、みっちりと稽古をした直後のマイヤーに、ヴォツェックの作品、役柄の魅力について聞いた。

トーマス・ヨハネス・マイヤー(右)と大尉役のアーノルド・ベズイエン(新国立劇場 稽古場にて)

■ヴォツェックを演じると自然と身体が反応する

——ヨーロッパのさまざまな劇場で、これまでにおよそ80回もヴォツェック役を演じられ、今回は8回目のプロダクションだそうですね。オペラ『ヴォツェック』にはどのような魅力を感じていらっしゃいますか?

原作となっているビューヒナーの戯曲『ヴォイツェック』が書かれたのは、今から190年ほども前。しかし、とても興味深いことに現代と同じ現象が描かれています。それは社会による抑圧が個人を破壊してしまうことです。

物語のなかでヴォツェックに圧力をかけるのは、医者、大尉、鼓手長といった人物たち。今の社会では、それが社会的構造やシステムのアルゴリズムに取って代わるのかもしれません。

そして、オペラ『ヴォツェック』は原作の内容をとてもよく表現しています。何度も歌ってきた立場としては、他のオペラ作品には見られないような人間の感情が描かれていて、それを音楽的にリアルに表現した作品であると感じています。

——賢くたくましい役柄が多いバリトンですが、ヴォツェックは周りに翻弄されて不安に苛まれ、ついには殺人を犯してしまいます。彼の不安や弱々しさはどのようなテクニックで表現されていますか?

ヴォツェックと向き合うことで、私の身体は自然と“そう”なります。いつも演じているような、例えばワーグナーのヴォータンのような英雄的な役から、ただの一介の兵士になってしまうのです。つまりどういうことかというと、体全体が萎縮してしまうのです。

それはヴォツェックの性格的に脆弱さが身体に反映されているといえますし、また、医者、大尉、鼓手長からの屈辱に対する防御的な姿勢だともいえます。

通常、歌手は身体を大きく開いて歌うものですが、彼の置かれている立場がそうはさせてくれません。これは長年かけてたどりついたことではなく、初めてヴォツェックを演じたときからそうでした。ヴォツェック役に挑む覚悟がそうさせたのです。

音楽的にはオーケストラにリードされてきれいな声で歌う箇所もありますが、胸を張り、声を張って歌うというよりは、繊細な声やシュプレッヒゲザングでヴォツェックの感情を表現することが大事だと思っています。

トーマス・ヨハネス・マイヤー(新国立劇場 稽古場にて)

■私たちのなかにいるヴォツェック

——今回はリチャード・ジョーンズ氏による新演出ですね。

まだ稽古が始まったばかりですが、今から大いに楽しみにしています。『ヴォツェック』は細かいニュアンスが演出によって異なるので、どのようなものになるか楽しみです。

ジョーンズ氏の演出は愛を求めるヴォツェックの姿、マリーとのやり取り、社会の抑圧によって人間性が失われていくさまがよく表現されています。もちろん大野さんや他のスター歌手との共演も楽しみです。

演出・リチャード・ジョーンズ(Photo:Pete Le May)/指揮・大野和士

——現代に生きる我々とけっして大きく違わない状況が描かれたヴォツェックの世界。観客にはこのドラマを通じて、何を感じ取ってもらいたいですか?

最も伝えたいことは、ヴォツェックは私たちの中にいるということです。単にヴォツェックの苦しみではなく、ヴォツェックの置かれている状況を理解してほしいのです。

そしてベルクの描く音楽は、観客の皆さんが自身の心のうちと対話することを助けてくれるでしょう。ヴォツェックのたどる運命、そして彼の「愛のないモラルなど考えられない」という信念、宗教的な屈辱といった、この作品のとても大切なテーマをしっかりと感じていただきたいです。

繰り返しになりますが、およそ190年前に書かれたビューヒナーの戯曲は現代人の心を大きく動かす力を持っています。そして、単にストーリーを追う楽しみだけではなく、精神的・哲学的な観点からも、私たちに深い気づきを与えてくれるでしょう。

ヴォツェックは最終的には人殺しになってしまいます。しかし、それをただ批判するのではなく、その背景には何があるのか、また何がそうさせてしまったのかを感じ、彼に共感してほしいです。そして、皆さん自身のなかにもヴォツェックがいるのだということをきっと発見できると思います。

リチャード・ジョーンズによる演出説明(新国立劇場 稽古場にて)

現代の私たちに与えられる深い気付き。その普遍性と残酷性はベルクの音楽でも示されている。最後のシーンには楽譜上に「コーダは冒頭に続く」という言葉が書かれており、悲劇は繰り返されることが暗示されているのだ。

演出のジョーンズはこの書き込みを見逃さない。「観客が最後と冒頭をつなげて考えることができるような演出を施す必要がある。悲劇が繰り返される残酷性を強調したい」とトークイベントで語った。

しかし、ただ悲劇をなぞるだけにはしたくないという思いもあるという。残酷なヴォツェックの物語が、現代社会を軌道修正させる力をもつのではないかという希望も抱いている。

マイヤーの願う、我々が自分自身のなかにいるヴォツェックと出会うことができたとき、ベルクの音楽が100年を経た今も響き続ける理由がわかるのかもしれない。

取材・文=東ゆか

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