東広島トップに聞く! 白牡丹酒造㈱社長 島治正氏 創業350年。「温故知新」を土台に
創業は1675年。白牡丹酒造は、酒都西条で最も古い歴史を誇る。伝承では、石田三成の家臣だった島左近の孫である六郎兵衛晴正が「嘉登屋」の屋号で酒造業を始めた、とされている。今年が創業350年。第15代目社長の島治正氏に、350年を迎えての思いや、今後の展開などについて聞いた。(日川剛伸)
「生酛造り」で日本酒復権を
創業350年。節目を迎えての率直な思いは。
感覚的には、350年という長さは想像がつきません。家業だった酒造りを会社組織の法人にしたのが1939年。そこからの歩みでいえば、日本の酒類全体に占める清酒の出荷量が年々低下していることを懸念しています。特に白牡丹の主軸は、吟醸や純米の特定銘酒よりも、落ち込みの幅が大きい普通酒。白牡丹の立ち位置を問われている時かなと思っています。
こうした中、一昨年から江戸時代から続く伝統的な酒造りを再現した「生酛造り」を始めました。酒造りの原点に立ち返り、見直すことで、新しい日本酒の市場を開拓していきたいと願っています。
その生酛造りの可能性は。
日本酒造りでは「一麹、二酛、三造り」といわれる格言があります。酛は、酒母の別称のこと。酒母は、アルコールを生成するための酵母を大量に培養するための需要な役割を果たしており、酒母は、酵母に雑菌が入るのを防ぐため、乳酸を用いて酸性の状態に保つ必要があります。現代の酒母造りは、培養酵母に人工の乳酸を加えるのが主流ですが、白牡丹では乳酸も酵母も、江戸時代と同じように無添加で自然に湧いてくるのを待って酒母を造ります。
江戸時代には、純粋な培養工法が確立されていませんし、乳酸を化学合成することもできません。蒸米と麹と仕込み水を半切桶に入れて仕込み、櫂という木の道具ですり合わせて乳酸を作ってきました。昔から「酒は百薬の長」と言われてきました。その本質は生酛造りのような、古い仕込みの酒にあると思っています。江戸では、上方から集まる「下り酒」がもてはやされましたが、理由の一つは、生酛造りの日本酒が、熟成の速度がゆったりだったため、香りが長持ちして長期熟成が可能だったから。昔からの酒造りには、日本酒の魅力を導き出す可能性が眠っており、生酛造りで、日本酒の力を復権していきたい、と思っています。
上品ですっきりした味わい追求
白牡丹は「甘口」が代名詞です。
白牡丹では、古くから、「旨さ」が違うことをCMで使ってきました。旨さが甘さに、とつながっていったのでしょう。砂糖のようなガリッとした甘さではなく、和三盆のような上品ですっきりした甘みが白牡丹の真骨頂。これからもその味わいを追求していきます。
社員に訓示していることは。
販売会社を合わせると、現在70人の社員が在籍しています。一人一人に大切な役割がありますから、社員には健康第一を伝えています。体はもちろんですが、心も健康でないと、頑張れませんし良い仕事もできません。酒造りの会社ですから、「基本に忠実に、手を抜かない」ことも社員の共通認識として持てるよう留意しています。
これからの展開は。
生酛造りを突破口に、日本酒の価値を高めていきます。「温故知新」という言葉を心に留めながら、「これだ」と思える分野を伸ばしていきます。海外展開については、売れるのであれば売りたい、という思いはありますが、自分の目の届かないところに、積極的に売っていこうとは思っていません。自分の見える範囲でマネジメントをすることが経営の基本だと思っているからです。
企業情報
【白牡丹酒造株式会社】
1675年創業。1839年、鷹司家から銘酒「白牡丹」の銘を賜る。1900年、パリ万国博覧会出品。39年、株式会社に組織変更。61年、取締役社長に島英三氏就任。71年、販売元の白牡丹株式会社設立。75年、財団法人嘉登屋記念事業団設立。92年、H―MINAMI式自動製麹機導入。現在、3つの蔵で酒造りを行っている。
【島治正さんプロフィル】
1965年生まれ。広島大学工学部卒。広島大学大学院工学研究科博士課程修了。その後、家業の白牡丹酒造に入社。取締役(1987年)、常務取締役(1993年)などを経て2009年、代表取締役社長に就任。
プレスネット編集部