「日本人=入浴好き」という国民性はどのように共有されてきたのか?【風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか】
日本人らしさとして語られがちな「毎日風呂に入るのが当たり前」という意識。私たちが無意識に内面化しているこの感覚は、いったいどこからきたのか? 入浴をめぐる日本の歴史を丹念に紐解き、新しい日本近代史を示した新刊『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』の発売を記念し、本書の「まえがき」を公開します。
『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』まえがき
数年前、友人の子どもがまだ幼いときに、子どもが風呂に入らなくて困るという話を聞いたことがあった。それを聞いて思い出したが、私自身も幼い頃、母親や父親から毎日のように「早く風呂に入りなさい」と言われていた。私や弟たちは毎回しぶるのだが、親たちは毎日飽きもせずに言っているように子どもの私にはみえた。おそらく友人の家でも同じことが繰り広げられていたのだろう。
この話をすると、「うちもそうでした」と言われることが多いので、おそらくたいていの家では子どもを風呂に入れるのに一苦労しているのだろう。友人の子どももかつての私自身もそうだったのだろうが、子どもの多くは面倒くさがりである。それに、風呂に入るのには自分のタイミングがあるものである。
子ども心に不思議なことがあった。正直、一日や二日、風呂に入らなくても人間は死なない。なぜ母親(あるいは父親)は毎日毎日風呂に入れと一生懸命言うんだろう。そこまで熱心に言わせるものは何だったのだろう、ということである。
入浴をテーマに研究しているというと、お風呂が大好きな人なんだろうと思われることが多い。しかし振り返ると、私の関心のひとつはこの幼少期(だけでなく親と同居していた期間)のこうした疑問から始まっているように思われる。
現代に暮らす日本人の多くは、毎日風呂に入るのが当たり前だと思っている。しかし、いつから私たちは毎日風呂に入るのが「当たり前」だと思うようになったのだろうか。2024年春頃にSNSで「風呂キャンセル界隈」という言葉が流行した。「風呂に毎日入らない、風呂に入るのが面倒くさい人(自分)たち」といった意味で使われている。これも「毎日風呂に入るのが当然」「風呂に入らなければならない」という前提があるからこそ、「風呂」を(今日は/も)「キャンセル」するという概念が成立するのである。
とはいえ、ではまったく風呂に入らなくてもよいのかというと、そういうわけでもない。
たとえば病気や家庭の事情で風呂に入れなくなったときや、海外などでバスタブがなく、シャワーしか利用できない状態になると、風呂に入りたい、バスタブにお湯をためて浸かりたいと切望する人もいるのではないだろうか。毎日入浴できない状態になると風呂に入りたいと思う。バスタブがないとお湯に浸かりたいと思う。それまで自分が暮らしてきた環境から離れたときに、入浴しないと落ち着かない。この感覚はいったいなんなのだろうか。
一方で、人によっては入浴しないことで、自分の身体が汚れている、不潔だと感じることもあるだろう。風呂に入らないと落ち着かない。そういう感覚である。
こうした風呂に入るのが当たり前だと思うことも、海外でバスタブでお湯に浸かりたいという感覚も、〈日本人らしさ〉や〈日本人の国民性〉という言葉でよく説明されているし、これまでもされてきた。そう言われるとそうかな、と思うかもしれない。そうだとして、その国民性はどのようにして共有されたのだろうか。そもそも「らしさ」や「国民性」のひとことで済ませられることなのだろうか。
この本ではこうした疑問を糸口に、日本の入浴の歴史を追いながら、入浴が清潔という概念と結びつき、日本人は入浴好きで清潔な国民である、という意識が生まれた歴史を紐解いていきたい。
第一章では、日本で入浴習慣がどのような空間で行われてきたかに注意しながら、日本の前近代の入浴の歴史を振り返っていく。とくに入浴のひとつの場である銭湯、湯屋の歴史を概観しながら、それが幕末に日本に来た西洋人の目にどう映ったかをみていきたい。
第二章では、近代、とくに明治時代の公衆浴場と入浴習慣が、どのように取り締まられ、浴場をめぐる風景がいかに変わっていったのかを考える。とくに近代の浴場に対する取り締まりの強化の背景には、当時の警察行政や感染症対策が大きく関わっている。そうした背景に留意しながら、小説家である岡本綺堂の随筆から当時の浴場の様子を取り上げる。
続く第三章では、明治期から日本の医師や衛生行政に関わる専門家たちが海外視察からどのような影響を受け、日本をどう認識したのかに注目する。とくに『大日本私立衛生会雑誌』という、衛生思想を普及させる一翼を担った当時の雑誌の記述に着目しながら、「日本人は入浴好き」という言説がどのように生じ、浸透していったのか、その一端を詳らかに追っていく。
第四章では、入浴に対する認識や、浴場自体が海外からどのような影響を受けたのかを考えてみたい。日本が参考にしたのは、欧米の公衆浴場運動だった。公衆浴場運動とは、一九世紀後半から二〇世紀にかけてイギリスからヨーロッパ、アメリカで、公衆浴場を設けて人々に清潔習慣を啓蒙する動きのことである。当時の日本の社会事業の専門家たちはこの公衆浴場を視察し、またその理念に触れた。それによって、日本の社会事業や浴場はどのような影響を受けたのか、欧米と比較して入浴や清潔さがどのように考えられていったのかを検討したい。
第五章では、近代日本で入浴習慣を根づかせるための「家庭衛生」と呼ばれる領域に着目する。明治から大正期にかけて、一家の運営のあり方を説く指南書である「家政書」が多く刊行されたが、そこで繰り返し言及されたのが「家庭の衛生」を守ることだった。そのなかで清潔さや入浴がどのような目的で論じられていたのかをみていきたい。そこには当時の女性にどのような役割が課されようとしていたかと、家庭で育てられる子どもに対する当時の視点がある。これは第六章や第七章とも関わる点だ。
第六章では、清潔さが身体のみならず精神と結びつけられ、それが国民性として共有されていく過程を追う。注目したいのは、明治末期から日本で盛り上がりをみせた「国民道徳論」の「潔白性」をめぐる議論である。国民道徳論は教育勅語を機能させるべく、日本の新しい精神的紐帯として位置づけようとしたものであった。この潔白性の特徴のひとつに、日本人の入浴習慣もあった。ここでは潔白性をめぐる言説をふまえ、国民性の議論の変遷を振り返りながら、清潔さの意味を再考する。
続きは『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』でお楽しみください。
『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』目次
まえがき
第一章 風呂とは古来なんだったのか―前近代の湯屋と西洋のまなざし
第二章 管理・統制される浴場―明治期の湯屋をめぐる風景
第三章 「風呂好きな日本人」の誕生―入浴はなぜ美徳になったのか
第四章 日本の新しい公衆浴場―欧米の公衆浴場運動と日本の入浴問題
第五章 近代日本の新たな「母親」像―家庭衛生から「国民」の創出へ
第六章 精神に求められる清潔さ―国民道徳論と「潔白性」
第七章 世のため国のための身体―国定修身教科書のなかの清潔規範
あとがき
著者
川端美季(かわばた・みき)
1980年神奈川県生まれ。立命館大学生存学研究所特別招聘准教授。専門は公衆衛生史。立命館大学先端総合学術研究科修了。博士(学術)。著書に『近代日本の公衆浴場運動』(法政大学出版局)、共編著に『障害学国際セミナー2012―日本と韓国における障害と病をめぐる議論』(生活書院)がある。