真田広之 × 桜井幸子主演!ドラマ「高校教師」の半分は “ぼくたちの失敗” でできている
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.37
▶ 高校教師
▶ 脚本:野島伸司
▶ 主演:真田広之 / 桜井幸子
▶ 放送開始:1993年1月8日
真田広之、アメリカに渡って21年目の快挙
これまで時代劇を継承して支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼申し上げます。あなた方から受け継いだ情熱と夢は海を渡り、国境を越えました
2024年9月15日(日本時間9月16日)―― 米ロサンゼルスにて開催された、第76回プライムタイム・エミー賞の授賞式で、史上最多の18部門を受賞した配信ドラマ『SHOGUN 将軍』の主演とプロデュースを務めた真田広之サンが、壇上で披露したスピーチである。
それは、同ドラマがエミー賞の作品賞を受賞し、まさに会場がスタンディングオベーションで盛り上がる中、それまで流ちょうな英語で話していた真田サンが突然 “手短に日本語でスピーチさせてください” と、涙で声をつまらせながら発した言葉だった。思えば、2003年の映画『ラスト サムライ』の出演を機に、新境地・アメリカに渡って21年目の快挙だった。
“新境地” に挑んだドラマ「高校教師」
さて、今回のテーマは、そんな世界的スターとなった真田サンが、今から31年前の1993年の1月クールに主演したTBS系ドラマ『高校教師』である。忘れがちだが、同ドラマもある意味、真田サンが “新境地” に挑んだ作品だった。80年代、JAC(ジャパンアクションクラブ)に所属し、華麗な二枚目アクションスターとして鳴らした彼が、同ドラマでは運動オンチの気弱で平凡な高校教師を演じたのである。
ⓒ TBS
おっと、今日、10月12日は、真田広之サンの64回目のバースデー。おめでとうございます。今後も、世界規模でのご活躍、そして『SHOGUN 将軍』の新シリーズの配信を楽しみにしています。
一旦、話題を変えます。
“プロデューサーはハッピーエンドを求め、作家はバッドエンドを書きたがる” ―― 。古(いにしえ)よりエンタメ界に伝わる格言である。古今東西、クリエイティブの制作現場でモメる原因の8割はコレ。まぁ、プロデューサーの立場で考えると、ハッピーエンドのほうが客の “読後感” はいいし、ヒットも期待できる。続編の余地もある。一方、作家の立場としては、記録よりも記憶に残る作品にしたい。いっそバッドエンドで爪痕を残そうか―― なんて考えたくなる気持ちも分かる。
日本中のお茶の間が涙したアンハッピーエンドな「鉄腕アトム」の最終回
思えば、“漫画の神様” こと手塚治虫が初めてアニメーションに携わった、東映映画『西遊記』もそうだった。時に1958年―― 手塚は東映動画から自身の漫画作品『ぼくの孫悟空』のアニメーション映画化を持ち掛けられる。ウォルト・ディズニーに憧れる彼にとって、それは願ってもない話だった。だが、翌59年に制作が始まると、作品へのスタンスの違いから次第に両者の間に溝が広がり、遂にラストシーンを巡って決裂する。悟空のガールフレンドが命を落とす悲劇を主張する手塚に対し、東映動画はハッピーエンドを求めた。最終的に手塚が折れるが、この時の反省から、自らアニメーションを作るしかないと立ち上げたのが、かの “虫プロダクション” である。
ちなみに、虫プロが最初に手掛けたのが、日本初の本格的連続テレビアニメの『鉄腕アトム』(フジテレビ系)だった。その最終回で、アトムは気温が上昇した地球(今思えば時代を先取りしたテーマだった)を救うために、熱くなりすぎた太陽を冷まそうと、核融合を抑えるカプセルと共に太陽に “特攻” する。この時のアトムのモノローグがちょっといい。
「おとうさん、おかあさん、さようなら。僕、やっぱりお別れです。ウラン、コバルト、僕はカプセルの方向を太陽に向けて、一緒に飛び込むよ。さよなら。太陽はきっと元に戻してみせるよ」
アトムが振り返ると、地球がどんどん遠ざかっている。
「あっ、地球だ。…地球はきれいだなぁ」
―― それが、アトムの最後の言葉だった。その衝撃のラストに日本中のお茶の間が涙する。時に1966年の大晦日。映画『西遊記』の公開から6年が経過し、漫画の神様は遂に昔年の思い… アンハッピーエンドなラストを成就させたのである。それは “伝説の最終回” と呼ばれ、今なお人々の記憶に強烈に残っている。
ドラマの世界観を曲のオーラで見事に包み込んだ「ぼくたちの失敗」
そして―― 話はドラマ『高校教師』に戻る。そう、同ドラマも衝撃のラストシーンを巡り、“論争” にまで発展した歴史がある。
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
同ドラマの主題歌はご存知、独特な旋律が印象的な森田童子の「ぼくたちの失敗」(作詞・作曲:森田童子)である。脚本の野島伸司サンが高校時代、友人に誘われ、授業をサボって吉祥寺のライブハウスで彼女を見て、強烈な印象を受けたそう。その話をプロデューサーの伊藤一尋サンにしたところ、偶然、伊藤Pも森田のファンだったことから意気投合。主題歌への起用が決まったという。
ちなみに、森田童子が活動したのは、1975年から1983年にかけて。カーリーヘアにサングラスがトレードマークで、年齢や本名などは非公開。素顔をほとんど見せずに引退したため、伝説のミュージシャンと呼ばれた。伊藤Pが主題歌に起用したいとレコード会社に問い合わせたら、既にレコードは廃盤になっており、原盤しか残されていない有様だった。
“映画の半分は音楽でできている” とは、かのジョージ・ルーカスの言葉だが、ドラマ『高校教師』も、その半分は、この「ぼくたちの失敗」でできていると言っても過言じゃない。そのくらい、ドラマの世界観を曲のオーラで見事に包み込んでいた。
ギリシャ神話のような話を作りたい
同ドラマは、よく教師と生徒の禁断の愛や同性愛、更には強姦や近親相姦と言った社会的タブーに挑んだ過激な作品と評される。しかし、実は劇中、そこまで過激な描写はない。オブラートに包んだ演出が施されている。脚本の野島サンは “ギリシャ神話のような話を作りたい” と伊藤Pに語り、実際、同ドラマはどこか現実離れした寓話のようにも見える。それは多分に、主題歌の持つ独特の空気感のお陰である。
君と話し疲れて いつか 黙り こんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた
物語は3学期を迎える1月の初頭から始まる。ファーストカットは京王井の頭線の車中である。登校中の女子高生たちが大勢乗っており、この時点で女子高が舞台の話とわかる。その中に桜井幸子サン演じるヒロイン・二宮繭もいる。
そして、あまり間を置かずに(←ココ大事)主題歌のイントロが流れ、シンプルな明朝体のタイトルバック。その瞬間、僕らはドラマの “世界” にスッと引き込まれる。この、アヴァンを置かずにスッと主題歌に入る手法は、ドラマにある種の寓話的な空気をもたらした。いわば、森田童子マジック。金曜10時の時報が鳴り、間髪開けずに彼女の独特な歌声が流れることで、有無を言わさず、僕らは “高校教師” の世界へ放り込まれたのだ。
物語の空気感を撮るのに長けたディレクターの卓越した手腕
同ドラマの演出チーフは、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』などを手掛けた、TBSきってのエースディレクター(当時)の鴨下信一サンである。役者の芝居の描写を越えて、物語の空気感を撮るのに長けた御仁で、同ドラマはその卓越した手腕が見事に生かされている。
例えば、ドラマに登場する生徒たちの制服は “東京女学館” を思わせる、クラシカルな白の長袖のセーラー。それは、高校の最寄り駅である井の頭公園駅の牧歌的な雰囲気と相まって、非常にフォトジェニックである。登校中の風景だけで、自然と視聴者の目を惹きつける。現代風のブレザーの制服だと、こうはいかない。
実は以前、僕自身、井の頭公園の近くに住んだことがあって、毎日のようにあの界隈を散歩していた。ご存知の方も多いだろうが、普段は公園の敷地内の地味な小路でしかなく、ここを登校中の女子高生が大挙して歩いていたのが信じられなかった。その意味で、やはりこれは寓話的なドラマなのだ。
ⓒ TBS
ドラマの運命を決定づける名シーンとは?
さて―― 物語の早々、“2人” は出会う。場所は井の頭公園駅の事務室である。高校2年の二宮繭は定期券の期限が切れていた件で。一方、真田広之演ずる新米教師・羽村隆夫はカバンを線路に落とし、持ち主の本人確認のためだった。駅員は二宮の制服から “日向女子高校” と特定し、学校に電話しようとする。その瞬間、羽村が電話のフックボタンを押す。“何するんですか!” と詰め寄る駅員に、彼はスーツの内ポケットから1枚の紙きれを出す。“教師なんです” ―― それは、本日付けで赴任する高校教師の辞令だった。
「最近の女子高生って、どうなのかなぁ… いや、その言い方はおじさんっぽいか(笑)。要するに、務まるのかなぁって、ちょっと心配でね」
羽村と繭は並んで登校するが、話しかけるのは羽村のほうばかり。繭は何も話さない。校門の手前で羽村が振り返る。
「あ、ところで君、何年生?」
やはり繭は答えない。
「今朝のこと、担任に言いつけようってんじゃないよ。経験あるから。暮れで(定期が)切れていたのを忘れて、新学期そのまま乗っちゃったって」
そう言い残して、歩き出す羽村。
「信じるの?」
初めて発せられた繭の言葉に振り返る。
「先生はあっちからよ」
羽村が生徒の下駄箱に向かっていたのを正す繭。誤りに気付いて、バツが悪そうに礼を言って、職員用の出入り口へと歩き出す。その時である。同ドラマの運命を決定づける名シーンが流れる。
「心配いらないよ、私がいるもん」
先ほどまでの仏頂面と打って変わって、繭は笑顔を浮かべている。
「私が全部守ってあげるよ。守ってあげる」
繭の唐突な言動に、周囲の生徒たちは足を止めて怪訝な顔を見せる。言われた羽村も、どう返していいのか、戸惑いの表情を見せる。そこへ、彼自身のモノローグが流れる。過去形である。
「運命は、ほんの小さな出会いで変わると、人はよく口にする。その言葉に従うなら、僕の運命は、紛れもなく変わっていった。高校教師になった冬の朝、出会った、この少女によって」
同ドラマをリードする羽村のモノローグはすべて過去形である。つまり、ある時点から彼が繭と出会い、過ごした日々を回想しながら語っている。それが同ドラマの10話まで続く。その間、羽村は繭に戸惑い、繭は羽村への思いを寄せ、やがて2人は愛し合い、そして共に傷つく。
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急遽、代役として起用された桜井幸子
脚本の野島伸司サンは、フジテレビの第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞して、『すてきな片想い』『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』と、同局で立て続けにヒットを放って一躍人気脚本家となるが、思うところがあり、自ら旧知のTBSの伊藤一尋サンに会いたいと電話をかけた。それから、2人は時間をかけて、『高校教師』のプロットを練り上げた。
ヒロインの二宮繭は当初、観月ありさサンがキャスティングされたが、脚本を読んで、その過激な描写に自ら辞退を申し出た。急遽、代役として起用されたのが桜井幸子サンだった。結果として、日本人離れしたモデルばりのスタイルの観月サンではなく、どこか古風な匂いを残す桜井サンから放たれる繭の一途な思いがドラマの魅力を増幅して、その起用は大成功だった。僕を含めて、劇中の桜井サンの笑顔や “変顔” に胸を掴まれた男子は少なくないだろう。
ラストシーンは見る人の判断にゆだねたい
最終回―― 故郷である新潟へ繭と共に特急列車で向かう羽村。このラストシーンのみ、突如、モノローグが現在進行形になる。
「僕は今、本当の自分がなんなのか、わかったような気がする」
逃避行する2人を追って、警察が駅に乗り込んでくる。その頃、2人は一足早く特急列車を降り、寒風吹きすさぶ無人の駅のホームに立っていた。互いに笑顔を見せ合う羽村と繭。やがて来た普通列車に乗り込む。地方の列車にありがちなボックス席に並んで座り、互いの小指を赤い糸で結ぶ2人。この間、バックには「ぼくたちの失敗」が流れている。
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
「お客さん、コートが落ちてますよ。お客さん!」
車掌が2人の席に声をかけるが、返答がなく、諦めて立ち去る。カメラが回り込むと、羽村と繭が肩を寄せ合い、眠っている。2人の小指は赤い糸で結ばれている。次の瞬間、繭の腕がひじ掛けから外れ、だらんと下がる。カメラは車窓を映す。その時、列車がトンネルに入り、繭が窓に描いた2匹の猫がハートマークと共に浮かび上がる。そして―― “高校教師” と “終” の文字。
最終回の放映後、2人の生死を巡って、論争が起きた。心中説、羽村のみ自殺して実は繭は眠っている(ミスリード)説、繭は羽村の幻想説、エトセトラ――。それらについて、脚本を書かれた野島伸司サンは後にこう語っている。
見る人の判断にゆだねたい。死んだか生きているかは、その人の想いに任せます。ただひとつ言えることは、ラストシーンはハッピーエンドであったということ。二人の生死の決定はもはや作家の圏外で、視聴者が決めればいいと思っている
最終回の視聴率は、同ドラマの最高となる33.0%だった。