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ピサロ《夜のモンマルトル大通り》を愛でるーーナショナル・ギャラリーの名画解説

イロハニアート

ロンドンのナショナル・ギャラリーには、西洋絵画史を語る上で欠かせない作品が並びます。例えばカミーユ・ピサロ《夜のモンマルトル大通り》は、「印象派の父」として知られる彼が晩年に挑んだ、唯一の夜景画です。都市の表情を追い続けた筆には、画家の尽きない探求心がにじみ出ています。

映画『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』(2015)


参照:『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』

ロンドンのナショナル・ギャラリーは、世界最高峰の美術館です。ヨーロッパでは珍しく、王室や貴族ではなく、美術後援家のコレクションが基礎となりました。コレクション数は約2,300点と、決して多くありませんが、西洋絵画の革新期を示す重要な作品が収蔵されています。

映画『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』(2015)に描かれるのは、展示室の様子や専門家の活動など、等身大の美術館。映像素材が流れるだけのシンプルな構成なので、「美術館」という物語をじっくり味わえると思います。

ロンドン ナショナルギャラリー, Galería Nacional, Londres, Inglaterra, 2014-08-07, DD 036

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ナショナル・ギャラリーでは、絵画を現代文化の中心へ押し出し、観客のニーズに応えるため、ロイヤル・バレエ団とのコラボレーションや、専門家によるデッサンのワークショップが開催されてきました。そこには新しい時代に柔軟に対応し、革新をいとわずに「伝統に甘んじない」意思が感じられます。

実は、同館に収蔵されているカミーユ・ピサロ《夜のモンマルトル大通り》にも、「キャリアに甘んじない」意思が込められています。いったいどういうことでしょうか?

カミーユ・ピサロの人生


1830年、当時デンマーク領だったセント・トーマス島で、カミーユ・ピサロは生まれました。しぶしぶ家業の金物屋を手伝っていましたが、1850年に転機が訪れます。デンマークの画家フリッツ・メルビーと出会い、一緒にベネズエラへ行こうと誘われたのです。その旅を経て、ピサロは画家を志しました。

ピサロのサロン・ド・パリへの入選


1859、サロン・ド・パリ(フランスの公式美術展覧会)に初出品し、《モンモランシーの風景》が入選します。両親は「息子が経済的に自立できる」と喜びましたが、結局40歳を過ぎるまで仕送りは続きました。サロンで注目されることもなく、友人ザカリー・アストリュクが「よく描けている」と評価した程度でした。

カミーユ・ピサロ《モンモランシーの風景》(1858〜1859)/オルセー美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

入選と落選を経て、1870年の《秋》《風景》が最後のサロン出品となりました。作品を見たテオドール・デュレ、ザカリー・アストリュク、ジャン・ラヴネルは、「(ピサロは)将来、風景画の巨匠となるだろう」と述べたそうです。

印象派展と経済的困難


1873年、サロンの審査がますます厳しくなったため、ピサロたちは私的な展覧会「第1回印象派展」を開催します。

「展覧会はうまくいき、成功した。しかし、批評家たちはわれわれを批判し、研究をしていないとののしる。私は研究に立ちもどることにする。なにも学ぶものがない彼らの言葉を読むよりは、ずっとましだから」

と、ピサロは友人テオドール・デュレに手紙を送ったそうです。

カミーユ・ピサロ《白い霜》(1873)/オルセー美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

同じころ、ピサロの経済状況が変化します。画商ポール・デュラン=リュエルが資金難に陥り、作品を購入できなくなったのです。1873年から住んでいたパリの家を手放し、陶製タイルに絵を描いて売ることもありました。自らの絵を競売にかけ、少額しか得られないという屈辱も味わいます。

1880年になると、デュラン=リュエルが銀行から融資を受け、再びピサロの作品を購入できるようになりました。翌年も含めると、油彩画30枚と水彩画20枚に約20,000フランを支払っています。

しかし1882年、融資を受けていた銀行が破綻し、デュラン=リュエルが破産します。彼を支援しようと、ピサロと仲間たちは第7回印象派展を開き、彼の在庫にあった計203点の絵画を展示しました。デュラン=リュエルはピサロの作品を購入しつづけ、1883年にはピサロの初個展を開催し、大成功で幕を閉じます。

ピサロの苦悩、そして新印象派へ


当時、ピサロは画風に悩んでいました。そんな中、新印象派の中心人物であるジョルジュ・スーラと知り合います。対象物を小さな点の集合で描くことにより、描かれたものを一定距離から見ると、点の集合がひとかたまりの色をつくると示した人です。この出会いから、ピサロは新印象派に活路があると考えました。

ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884〜1886)/シカゴ美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

1886年、最後のグループ展となる第8回印象派展が実施されました。ピサロが強く主張し、新印象派の画家たちも参加したのですが、仲間たちは否定的だったようです。デュラン=リュエルも、ピサロの新しい画風を嫌がり、購入作品数は減少してしまいます。

1890年ごろ、4年間熱中していた点描画法を放棄し、ピサロは印象派に立ち戻りました。長期間アトリエで制作しなければならないため、自然からのインスピレーションを自由に描写できず、ピサロの美学に反したからです。とはいえ、新印象派の画家たちと関係は続き、スーラが亡くなった際は「芸術にとって大きな損失だ」と悲しみました。

カミーユ・ピサロ《2人の若い農婦》(1891〜1892)/メトロポリタン美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

《夜のモンマルトル大通り》とピサロの意欲


1893年、ピサロは眼の病気が悪化し、医師から埃っぽい街に出ないよう忠告されます。そこで、サン・ラザール駅前のホテルに滞在し、部屋から見えるパリの町を描きました。今回解説する《夜のモンマルトル大通り》は、モンマルトル大通りを題材とした連作の1つで、ピサロによる唯一の夜景画です。


カミーユ・ピサロ《夜のモンマルトル大通り》(1897)/ナショナル・ギャラリー

, Public domain, via Wikimedia Commons.

モンマルトル大通りの描写には課題がありました。高所からの遠近法を習得しなければならなかったのです。屋根と舗道による斜線が遠近感をもたらし、線が遠ざかるにつれて三角形を形成した後、頂点は画面中央に集まります。夜空のV字形は、逆さになった形状が大通りにも反映され、空間に奥行きをもたらしています。

田園風景を描いてきた彼にとって、人工光で照らされた都市環境は挑戦です。そこで、電灯の冷たい白色光を、黄色とオレンジで描かれたガス灯の温かい光に対比させました。馬車の灯油ランプは、赤・白・黄色の点描で線状に表現され、さらなる光源になっています。行き交う群衆や都市のきらめく光を描写するため、点描や塗りつぶしをパッチワークのように重ね塗りしました。

《夜のモンマルトル大通り》の制作背景を知ると、高齢で健康状態はよくなかったものの、常に新しいテーマに取り組み、新しい画風を模索していたことが分かります。第1回印象派展で酷評されたとき、ピサロは「研究に立ちもどることにする」と語りました。その意欲は最後まで衰えず、キャリアを重ねるほど、向上心が胸を突き動かしたのではないでしょうか。

「光」に生涯をかけた画家


ピサロの生涯は、試行錯誤と挑戦の連続でした。サロンへの落選、経済的困難、新しい画法との出会い。《夜のモンマルトル大通り》には、変化を恐れず学び続けた姿勢が凝縮されています。ナショナル・ギャラリーで作品を見ると、夜の街に灯る光が、彼の情熱そのもののように感じられるはずです。

参考文献


・クレール・デュラン=リュエル・スノレール(著)、藤田治彦(監修)、遠藤ゆかり(訳)(2014年)『ピサローー永遠の印象派』創元社
・Camille Pissarro | The Boulevard Montmartre at Night | NG4119 | National Gallery, London, https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/camille-pissarro-the-boulevard-montmartre-at-night

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