【藤津亮太さんの講座「アニメ映画を読む」「映像作品としての『機動戦士ガンダム』」】 富野由悠季監督の演出技法を解説。第1話は1970年代後半に積み重ねた試行錯誤の「集大成」
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は5月25日に静岡市葵区のSBS学苑パルシェ校で開かれた、アニメ評論家藤津亮太さん(藤枝市出身)の講座「アニメ映画を読む」。「映像作品としての『機動戦士ガンダム』」と題して、1979年4月9日~1980年1月26日にテレビ放送された「機動戦士ガンダム」を題材に。次回は7月27日午前10時半からで、テーマは「宇宙戦艦ヤマト」。
今年3月に、日本を代表するアニメーション監督を主題にした「富野由悠季論」(筑摩書房)を発刊した藤津さん。今回の講座では国民的アニメ「機動戦士ガンダム」の第1話の演出を柱に、分析と考察を行った。
藤津さんはこの第1話について「1970年代後半に積み重ねた演出の試行錯誤が、明確に一つの形になっている」と言い切った。どういうことか。
富野さんは大学卒業後の1964年、手塚治虫が設立したアニメ制作会社「虫プロダクション」に入社。鉄腕アトム班に配属され、制作進行を経て演出担当になるが、当初から演出にたけていたわけではなかったという。
藤津さんは、富野さんの演出手法には「二人の監督の影響がある」とする。「巨人の星」(1968~1971年)の長浜忠夫監督からは「イマジナリーライン」を守ることの大事さを学んだそうだ。
「想定線」と訳されるこの概念は、撮影や編集における人物や被写体を結ぶ線のこと。会話したりアクションを起こしたりする人物と、カメラの位置関係を固定化するのは視聴者への「伝わりやすさ」につながる。競技の特性上あらかじめポジション、立ち位置が決まっている野球を題材にした作品がこうした認識の原点になっている点が興味深い。
二人目は「アルプスの少女ハイジ」(1974年)「母をたずねて三千里」(1977年)などの高畑勲監督。書き割りのように固定化された背景ではなく、人物が存在する空間全体を意識する演出の考え方は高畑さん由来。やりとりの中で「自分で考える」という習慣も身に付けた。
藤津さんの紹介によると、高畑さんは富野さんの絵コンテを差し戻す際、「ここ、おかしいですね。直してください」としか言わなかった。どこが「おかしい」かは言わない。「自分で考えろ」というメッセージである。口調のやわらかさと内容の対比がとても興味深い。2023年度に静岡市美術館で開かれた「高畑勲展」での柔和な顔つきを思い起こした。
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