87年前のダットサンを学生が修復!!
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先月もスバルのレガシーが無くなるというニュースがありましたが、昔なじみの車種が消える話が多い中、今日は、ちょっと嬉しい、昔懐かしい車のお話です。
というのも、関東学院大学理工学部で1937年製造のダットサン17型ロードスターという車の修復が完了。キャンパス内を走行するなどして、お披露目されました。
(修復が終わり、キャンパス内を走る、ダットサン!運転手は武田先生です! 関東学院大学公式YouTubeより)
毎年4年生がリレーを繋ぎ、7年かけて修復、完了!!
この修復について、関東学院大学理工学部の武田克彦先生にお話を伺いました。
関東学院大学理工学部准教授 武田克彦先生
「毎年、卒業研究として4年生が担当して、後輩たちに、次はここをもっと直してくれとか調べてくれとか、バトンタッチしながら継続してやってきました。7年ちょっとですね。
それがですね、残念ながら、私、こちらの研究室のデスクに向かってるところでして、実験室が一階にありまして、実験室から、クランキングと言いまして、セルモーター回してキュンキュンキュンとかけてるような、それをですね、電動工具で無理やりグイグイグイと回してるその音が響いて聞こえてきてたんですけども。
ホントに長い時間ずっと回してて、なんの予告もなく急にバッと火が入りまして、ガラガラガラとエンジンがかかった音が聞こえてきて、ホントに何をしてたんだ!っていうくらい悔しかったんですけども、長く眠ってたエンジンが、目覚めた!っていう瞬間に、ホントに鳥肌が立ちました。」
理工学部の自動車コースの学生たちに、実際の車を通して学ぶ機会を与えたい、と考えていたところ、当時研究室に非常勤講師で来ていた、車雑誌「カーグラフィック」の元編集長・伊藤和彦先生のご縁で、この古いダットサンを譲ってもらえることになりました。
(こちらが、届いたときのダットサン。これはなかなかのボロボロ具合に見えますね・・・)
しかし、このダットサン、届いたときには錆もひどく、シリンダーのふたを開けるのも大変な作業だったそうで、毎年毎年4年生が、少しずつ修復し、研究論文を書いて、続きは後輩に託すという形でバトンを繋ぎ、ついに、今年完了したのです!(今年の学生以外は、エンジン音も聞いてない!)
エンジンがかかった瞬間は鳥肌モノだったと、武田先生。
(修復が終わったダットサンと、武田先生と。)
(シートも綺麗になりました!)
オープンキャンパスで、一般に公開した際には、ホントに動くのか?と嬉しそうに聞いてくる年配の車好きの方もとても多かったそうです。
まるでマイフェアレディ!!生まれ変わったダットサンに感激!
このダットサンを譲ったのは、横浜市内にお住いの田中紀久子さん。お連れ合いがクラシックカーのコレクター、ダットサンは4台も持っていましたが、亡くなられた後、どうしたものか、と本当に困っていたそうです。田中さんのお話です。
「ガレージを開けてあった時に、ちょうど大ごみの日でね。『これはね、レッカー車が無いと捨てらんないですよ、業者に頼んでください』って言われたことがあったほどの、もうボロくて錆だらけ。
大きくて誰も乗らなくて汚れてて場所を取るという、興味のある人だけには宝だけど、私のような者には何にもならないものでしたからね。だから持って行っていただいたときには、ああよかったと思ったんですけども、まあ、出来上がったら、あんなにきれいになって、ほんとにあれはね、マイフェアレディですよ。あんな貴婦人に生まれ変わったんですからね、感動でした。
他の三台はそれぞれ、そこで素晴らしい余生を送るみたいな所へ持ってっていただいたんですけども、他の三台とは違った新しい人生を踏み出した感じしますね。」
あまりの生まれ変わりように、本当にびっくりしていました。田中さんは、若い人たちの経験や勉強の役に立つという新しい人生を、ダットサンに渡せたことがすごくうれしい、と言っていたのですが、お話を伺っていたところ、「主人がいるうちに寄付なんかしたらぶん殴られちゃう!」というので、心配になってしまい、大丈夫ですかね、と聞いたところ、「生まれ変わったダットサンの写真を位牌の近くに飾っていつでも見られるようにしてるから大丈夫、主人もきっと喜んでるわ!」ということでした。(ホッ!よかった~!)
欧米の真似じゃない!日本のエンジニアのオリジナルな思想をもった設計!
この田中さんからの贈り物、ダットサンの修復は、日本のものづくりのこれからを担う若い世代にとって、非常に大きな成果があった、と武田先生は言います。
関東学院大学理工学部准教授 武田克彦先生
「昔からですね、ダットサン17型もそうですけど、ダットサンがイギリスのオースチン7という車をコピーしたものじゃないかみたいなことが言われてまして、でも、見比べて、明らかに違う、というところを発見しましたので、オリジナルな思想を持った設計がなされている、というところを、私たちは明らかにできたんじゃないかな、という風にも思います。
やはり本学の卒業生も、自動車メーカーや部品メーカー、サプライヤーさんに就職してというのが多いので、ダットサンの、当時、日本の技術は欧米を真似したものだと言われてたところが、違うよ!というところも、私たちのプライドにもなりましたし、なによりもダットサンを通して、『やっぱり車好きだな、楽しいな』っていう風に思ってくれた卒業生たちが、これから先も、趣のある自動車を作ってくれる、そういうエンジニアになってくれるんじゃないかなと、期待したいと思います。」
オースチン7の、単純な模倣じゃなかったんです!
簡単に言うと、燃費が悪く出力も出ないエンジンであるオースチン7に新たな設計を加え、より燃費の良いエンジンになっていたそうで、今の日本の自動車の低燃費を追求する設計の、その第一歩になっている車なのかな、ということでした。
87年前のエンジニアたちの思想、独自の工夫や設計技術の刺激を、直接受けた次の世代のエンジニアたちが、また日本に名車を生んでくれるのを楽しみにしたいですね!
(TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』取材・レポート:近堂かおり)