平安初期に仏教の大革新が起きた理由とは?【眠れなくなるほど面白い 図解 仏教】
なぜ、平安初期に仏教の大革新が起こったの?
奈良時代までの仏教は、現代日本の仏教とは少々違っていました。寺院に一般人が参拝することはありませんでしたし、葬式が行なわれることもありませんでした。宗派はありましたが、大学の学部のようなもので、僧は自分が所属する宗派以外の教えも学ぶことができました。現在見るような宗派は、最澄と空海がそれぞれ天台宗・真言宗を創始したことに始まります。しかし、それは、803(延暦22)年に渡唐するはずだった遣唐使船が嵐で戻ってくるということがなかったら、違うものになっていたことでしょう。
なぜなら、船が戻ったことにより派遣は1年延期されることになり、空海も乗船できたからです。もしこのことがなかったら、次の遣唐使派遣は空海の死後の838(承和5)年であったので、空海は唐に留学することができず、真言宗が開かれることも、最澄が空海から密教の教えを受けることもありませんでした。しかし、遣唐使船が戻ったことにより最澄と空海は共に唐に渡ることとなり、最澄は天台宗と禅、空海は密教の教えを学び、日本に伝えました。
帰国後、最澄は比叡山、空海は高野山を拠点として教えを広めました。その結果、日本の信仰は大きく変化することになりました。それまでの仏教は国家事業として国家安泰や五穀豊穣などを祈っていたのですが、最澄・空海以後、個々の心の平安を願うものとなったのです。これ以降、貴族たちはことあるごとに仏にすがり、護摩などの加持祈祷〈*〉によって病気の平癒や災厄の消除を願うようになったのです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博