ブレッド&バターの「あの頃のまま」の作詞作曲「呉田軽穂」とはハリウッド女優・グレタ・ガルボをペンネームにした〈ユーミン〉の初めての曲だった
新年度が始まったばかりのこの時期、真新しいスーツに身を包んだ若者を街や電車の中で見かけると、「彼らもこれから社会の荒波に揉まれるのだろうなぁ」などと独りよがりの想像をしながら、「頑張ってね」と声をかけたくなる。スーツが歩いているような感じを受けるからなのだろうか、不思議と社会人一年生というのはわかるものだ。そんな彼らを見ていると思い出すのが《ブレッド&バター》の「あの頃のまま」である。
初めて「あの頃のまま」を聴いたのは、1979年のリリース直後ではない。ずいぶん経ってから偶然ラジオのリクエスト曲として耳にしたのだと思う。情景がまじまじと浮かび、懐かしさで胸がいっぱいになる曲だった。それからレンタルレコード屋に行って繰り返し聴いたのだが、歌番組で見かけることもない男性デュオは、ジャケット写真のままの姿が目に焼き付いていた。ところが今年になって、アルフィーの坂崎幸之助がMCのテレビ生番組で、失礼ながら後期高齢者と化した二人を目にしたのである。歳月の流れをまじまじと感じたのはもちろんだが、やはり「あの頃のまま」は名曲だと再確認した。
《ブレッド&バター》は、岩沢幸矢と6歳下の弟・二弓の兄弟デュオである。父は、松竹からフリーになった映画監督の岩澤庸徳で二人は幼少から茅ケ崎で育った。映画監督でハイカラな父は音楽好きで、生活には音楽があったことが兄弟デュオの根底にあるようだ。兄の幸矢はホテルマンになる夢を持って渡米し、そこでサイモン&ガーファンクルなどの音楽と出合った。
幸矢は帰国後小室等のフォークグループ「六文銭」に所属し、弟の二弓もバンドグループで音楽活動しているうち、レコード会社のディレクターと出会い、兄弟デュオ《ブレッド&バター》としてデビューすることになった。当時大ヒットしていた「ブルー・ライト・ヨコハマ」を作ったゴールデンコンビの橋本淳作詞、筒美京平作曲による「傷だらけの軽井沢」を1969年6月29日にリリースした。オリコンチャート20位までいったが、レコード会社の作られた路線で歌謡曲を歌うことに抵抗があったという。
本欄で触れたが、多くのグループがいざデビューすると、自分たちのやりたかった音楽とは違う方向になってしまい、ヒット曲が出るまでに10年かかった「アルフィー」や、自分たちが作った曲ではないものがヒットしてしまい、シンガーソングライターとして自信をなくしてしまった「H2O」などの足跡をみたが、ブレッド&バターも同じだった。二人が目指したのは、サイモン&ガーンファンクルのような音楽だった。
セカンドシングルの「マリエ」は自分たちの作詞作曲によるもので、3枚目の「愛すべきボクたち」は橋本、筒美のゴールデンコンビに戻ったが、以後「今はひとり」「風 Wind」「誰が好きなの」「ピンク・シャドウ」「夕暮れ」「ともしび」は、自分たちの作詞作曲の曲をリリース、10枚目のシングル「セーリング・オン・ボード」のリリースを最後に、一時音楽活動を休止したのだった。その頃湘南で始めていた「カフェ・ブレッド&バター」の運営に専念する。やがて「カフェ・ブレッド&バター」は岩沢兄弟を中心に、かまやつひろし、松任谷由実(ユーミン)、南佳孝……他たくさんのモデルや女優、プロサーファーが週末ごとに集い、そこから新しい音楽が生まれていった。
79年7月に「あの頃のまま」でカムバックする。「あの頃のまま」は、呉田軽穂作詞・作曲、編曲は細野晴臣と松任谷正隆という布陣で作られた。呉田軽穂というのは、ユーミンの大好きなハリウッド女優のグレタ・ガルボにあやかったペンネームで、「あの頃のまま」で初めて使われた。
「あの頃のまま」の楽曲の主人公は、日焼けした湘南のサーファー(岩沢兄弟)なのだろう。久しぶりに会う学生時代の友人は、現実の世界にどっぷりつかりスーツの似合う大人になっていた。主人公は卒業しきれずに、自身の道を見つける途上だ。大人になった友人は、羨ましいというけれど、主人公も必死なのだ。誰もが経験する一つの時代との訣別と後悔、希望といった複雑な思いがユーミンの抜群のセンスで一つの世界になった。
ユーミンが呉田軽穂名義で提供した曲には、80年代の松田聖子の「赤いスイートピー」「制服」「渚のバルコニー」「レモネードの夏」「小麦色のマーメイド」「マドラス・チェックの恋人」「秘密の花園」「瞳はダイヤモンド」「蒼いフォトグラフ」「Rock’n Rouge」「ボン・ボヤージュ」「時間の国のアリス」の12曲はすべて作詞・松本隆とのコンビだ。その他にも、薬師丸ひろ子の「Woman〝Wの悲劇〟より」、山瀬まみのデビュー曲「メロンのためいき」、綾瀬はるかの「マーガレット」なども松本隆とのコンビだ。榊原郁恵の「イェ!イェ!お嬢さん」作詞は伊達歩、観月ありさの「君が好きだから」(作詞田中俊)、田原俊彦の「銀河の神話」(作詞吉田美奈子)などもある。松田聖子に「赤いスイートピー」を提供したときは、松任谷由実の名前が注目されるのを嫌い、「呉田軽穂」を使うことを条件にしたという。
4年間続いた「カフェ・ブレッド&バター」は閉鎖され、岩沢兄弟が「あの頃のまま」でカムバックしてから28年後の2007年、ユーミン、かまやつひろし、小椋佳、加藤和彦、森山良子、浜口茂外也、杉真理らのアーティストから書き下ろしの楽曲が、ブレッド&バターにプレゼントされ、アルバム『海岸へおいでよ』になった。タイトルの『海岸へおいでよ』は、松任谷由実作詞作曲による「あの頃のまま」のアンサーソングともいえる曲だ。アルバム制作にも、ユーミンは『シャングリア』の公演が迫っている中、スタジオに駆けつけてくれ、曲のクオリティを高めるため、ガイドボーカルまで歌ってくれたくれたという。
岩沢兄弟の生まれ育った「茅ケ崎」は裸足で遊ぶことができるきれいで安全な海辺だった。ところが70年代後半から、真夏には20万人の人出で賑わうようになり、大量のごみと水質汚染で湘南の海は無残な姿に変わってしまった。兄の幸矢は自身の長女も誕生し、「きれいな海を子どもたちに残したい」という思いから海岸の清掃をはじめた。その後、ロシア船籍のナホトカ号による、島根県隠岐島の日本海で発生した重油流出事故を契機に、「はだしで自由に歩けるキレイで安全な海岸を子どもたちへ」を趣旨にした「NPOベアフィット協会」を1999年6月に設立した。スティーヴィー・ワンダー、加山雄三、南こうせつ、杉山清貴、安田成美、ヒロミチナカノらも活動を応援している。
昨年2024年は、デビュー55周年の節目の年で、シングルA面楽曲集のアルバムの発売や、海三部作のアナログLPの復刻版もリリースされた。今年も5月にコンサートが予定されている。
映画監督の父親から「好きなことをして生きるのが人間の義務」と教えられたという。その言葉通りに好きな音楽の道を、コツコツと歩んできたブレッド&バターの二人は、歳を重ねたが「あの頃のまま」のように茅ケ崎の海がよく似合う粋な70代だ。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫 参考:『伝説の〔カフェ・ブレッド&バター〕』