生粋のモネ好きによる『印象派 モネからアメリカへ』3選を担当学芸員が解説ーー画家の人生を通して見えた、印象派が「最強」になるまで
皆さんは、印象派が好きになったキッカケを覚えていますか? 私は小学生のころ、祖母からもらった絵本『リネア モネの庭で』でした。それ以来生粋のモネ好きになり、30年ほど追いかけ続けています。
これまでモネや印象派の作品を多く観てきましたが、中でも「異色」だと感じる印象派展が大阪で開催されています。2025年1月5日(日)まで、あべのハルカス美術館にて開催中の展覧会『印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵』です。フランスのイメージが強い印象派ですが、今回は「アメリカ」をテーマにキュレーションされていて、新しい切り口に驚きながら、どんな作品が観られるのだろうとワクワクしながら訪れてみました。すると魅力的な作品ばかりで、もう、うっとり。
特に大好きなモネの「睡蓮」、モネや印象派に大きな影響を与えたコローとアメリカのトーナリズムの絵画、印象派風に描かれたグランドキャニオンの絵が心に残りました。そこで同展覧会を担当する新谷式子学芸員に、この3作品について話を訊いてみることに。作品をいつもより少し深く知ると、新たな世界が広がっていきます。そんな体験を一緒に味わってみませんか?
井川茉代
ラジオ・イベントMCを中心に活動。専門学校講師も務める。学芸員資格を活かし関西唯一の「喋れるアートライター」を目指して奮闘中。
スランプを乗り越えてたどり着いた、抜け感のある「睡蓮」
――会場におけるクロード・モネ「睡蓮」の存在感は圧倒的でした! 実物を観て驚いたのですが、想像していたよりもさらに白く明るく、色合いが「かわいい」と感じました!
そうなんです。この作品は本当に鮮やかで、モネのこの年代の作品の中でも特異的にかなり明るい色調です。同じ1908年に描かれた東京富士美術館所蔵の「睡蓮」の絵も「ふわふわ系」だなと思ってはいたのですが、今回展示されている作品はもっと空が青いというか、突き抜け感があるんですよね。抜け感が半端ないのです。
――この抜け感はどこからくるものなのでしょうか。
2つの理由が考えられます。まず1つは体調の変化。この頃からモネの目に違和感が出始めていたんです。白内障の初期症状が現れていたのでしょう。でもそれ以上に彼を苦しめていたのは、おそらく「描けない」ということ。この頃のモネは七転八倒しています。 モネは1900年、60歳の時に展覧会で「睡蓮の池」を初めて発表します。これらは日本の太鼓橋があって池があって、という庭の全景を描いた作品で、「睡蓮」と同じく「水の庭」をテーマとし評判も良かった。その後、もう一度このシリーズの展覧会が計画されていたそうですが、次に開催されたのは1909年。なんと9年後です。
――9年の間に何があったのですか。
この間にモネは「睡蓮」の展覧会を数回キャンセルしています。もちろんその期間に他の作品も描いていて、1904年には「睡蓮」と前後し取り組んでいた「ウォータールー橋」などを発表していました。そのロンドン景色シリーズがヒットしたので、画家の生活として困ってはいないのだけれど、自分の中で睡蓮を描かなければいけないと任務のようなものがあって、納得できる絵が描けなくなってしまうんです。
――画家としての苦悩があったのですね。
その頃の作品の変化をみていくと、描きこみすぎて画面がごたついている絵があったりします。ですが今回展示されている「睡蓮」では、急に抜け感が出ている。自分の中で落としどころをみつけたのではないでしょうか。様々な見解があると思いますが、展覧会の開催日が決まっていて、これ以上先延ばしにすることはできない。「もうこれでどうだ!」という感じがあると私は思います。
――1枚の絵からモネの人生や心の動きまで感じとることができるのですね。
この絵を描いた後、モネは夫婦でベネチア旅行に出かけます。もしかすると、描いている最中から心はすでにベネチアに行っていたのかもしれないですね(笑)。ベネチアでは、水に映るサンマルコ広場の建物の絵を描くのですが、完全に関心は水面。 普通は有名な建物をメインに描きそうですが、モネは違います。建物が映った明るい水面を描くんです。そういう意識でみていくと前年に描いた作品と比べて、この時期は睡蓮よりも水面に興味があったように思います。
――光の中に溶けてしまうような感じがします。
特に今回の作品なんて、もう「どこに睡蓮があるのやら」という勢いじゃないですか。光や水面の状況の変化を捉えよう、捉えようとした結果がこれだと思うんです。終わりのない修行のような試みです。
――美術館としてモネの「睡蓮」を購入したのはウスター美術館が世界初だと伺いました。会場には「睡蓮」購入までの手紙のやりとりを紹介するコーナーがありますが、早い段階からモネや印象派の作品をコレクションすることに熱心だったのでしょうか。
ウスター美術館は、開館して10年ほどしか経ってない頃にこの作品を購入しています。開館当初から印象派に対する興味を持っていたようです。1つおさえておきたいのは、ほかの美術館が購入していなかったといっても、当時モネの作品が不人気だったわけではないということ。歴史をたどるとアメリカで印象派が酷評された時期もありましたが、 1880年代半ばには画商やコレクターの間ではすでに流行していました。さらにその後急速に発展して、1890年代にはアメリカ国内の印象派も成長。1900年頃にはフランスの印象派もアメリカの印象派も、アメリカ国内ではすっかり見慣れたものになっていました。ですので、アメリカ全体として一刻も早くモネの作品が欲しいという認識は共通していた時期なんです。ただ、美術館はなかなか手を出さない。というのも美術館が作品を購入するということはその作品が時代を象徴する1点になるということ。人間が存続する限りは永久にこの宝を守り続けていくぞという覚悟で作品を買うからです。
都市生活に疲れた人々の心に届く、自然派の絵画たち
――第1章に展示されているジャン=バティスト=カミーユ・コローの作品「ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所―池畔の釣り人」や「幸福の谷」の前で多くの人が足を留めていたように思いました。コローの人気の高さがうかがえます。
第1章には印象派に大きな影響を与えたコローをはじめとする、いわゆるバルビゾン派の画家たちの絵が飾られています。火曜から金曜夕方5時以降の全作品撮影可能になるタイミングで展示室をまわってみると、意外にも第1章の作品を写真に撮っている方が多かったです。
――展示の後半、第5章にコローの作品と似た雰囲気の絵が飾られています。少し後の時代にアメリカで同じような絵が流行したのですか。
トーナリズム・色調主義ですね。バルビゾン派と象徴主義がミックスされた絵です。バルビゾン派との違いは、より内面的な世界に関心があること。バルビゾン派の時代、画家たちは理想化と戦っていました。神話や宗教を描くべきだというアカデミズムの理想ではなく、現実の自然を愚直に描きたいという人たちがバルビゾン派です。バルビゾン派は森にこもって、といってもパリから結構近いフォンテーヌブローの森ですが、自然に向き合い、自然を賛美する絵を描きました。都市から逃避しているとも言えます。
――なるほど。
美術史の流れをおさらいすると、バルビゾン派は自分が見ている現実を描き、印象派の時代になると、今度は自分の印象や心持ち、関心を入れ込もうとする。次の時代の新印象派や象徴主義になると、今度は見えるものを分析しよう、見えないものも描いてやろうとなる。トーナリズムが面白いのは、バルビゾン派のように写実的でありながら見えないものを描こうとしたこと。その結果、ジョージ・イネス「森の池」のように現実ではなさそうな光を描いてしまうんです。神秘的で少し怪しい雰囲気はありますが、やはり自然を描いた絵は都市生活者の心に響くのでしょうね。この時代にアメリカでトーナリズムが出てきたということは、当時のアメリカの人たちもコローに癒される心は共通していたのでしょう。そうでなければ、改めてバルビゾン派のような画風が現れないのではないかと思います。都市生活に疲れて逃避する人々の心に届く要素に、内的なものが加わっているトーナリズムは、現代の日本人にとっても心惹かれるものがありそうです。
――トーナリズムはバルビゾン派よりも現実逃避の度合いが高めで、深入りすると危険な予感がします(笑)。
コローのほうが健康的な感じはあるかもしれませんね。だからこそ今も世代を問わず好まれるのかもしれません。
画家の運命を変えたグランドキャニオン
――展覧会の最後を締めくくるデウィット・パーシャルが描いた「ハーミット・クリーク・キャニオン」はとてもインパクトがありました!
それまで容易に足を踏み入れることができなかったグランドキャニオンですが、サンタフェ鉄道が峡谷の南に沿って鉄道を開通させ、観光目的で訪れる人が増加します。その際、鉄道会社が宣伝の一環として5人の芸術家にグランドキャニオンを描かせたんです。5人は目隠しをされたまま崖の淵まで連れて行かれ、その時目の当たりにしたのがこちらの風景です。この絵が描かれたころには批評家も一般の人も印象派の描き方に慣れていました。だからこそ、印象派風の絵が観光パンフレットにも採用されたのですね。
――印象派の画風とアメリカらしい大自然が見事に融合したスケール感のある作品ですね。パーシャルはどんな画家だったのですか。
パーシャルについての資料は多くはありませんが、ドイツの王立アカデミーに通った後、フランスのアカデミージュリアンでも勉強しています。パリのサロンに肖像画を出品するなど、アカデミズムもそれなりに描ける画家だったようです。実は、グランドキャニオンの絵を描くために西部へ旅行するまで、パーシャルの活動や作品については分からないことが多いのですが、この作品を描いたことでパーシャルの画家としての人生が変わったのだと考えられます。グランドキャニオンの風景を描き、それ以降渓谷は彼のお気に入りの題材になったのだとか。「極西部を描く画家協会」というグループも作っていたようですよ。パーシャルがどこまで自分を印象派だと思って描いていたのかは正直わかりません。でも今こうして美術史的に並べてみると印象派に続くものに見えますよね。
――定番になっていた印象派風に描いたことで人々の心をつかんだのでしょうか。
確かに一般大衆向け、パンフレット向けという感じがします。やはり、印象派最強! ということでしょうか。はじめは批判された印象派ですが、結局はみんながいいなと思ってしまう時代になっていたのでしょう。
――印象派は大衆に求められた絵画である、と。
アカデミズムの時代、絵画は教養のためにありました。でも、この絵画はエンターテインメントです。知識がなくても観られる絵、勝手に解釈する余地のある絵の時代です。なぜそうなるのかというと、経済が回って近代になるにつれ支配層がなくなっていったから。新興コレクターはどんな絵が欲しいかというと、自分がわかる絵、そしてお金になる絵ですよね。わからない高尚な絵ではなく、エンタメの印象派風がうけるんです。
印象派の再評価はアメリカのおかげ
――近代から現代に向かうとアートの中心はフランスからアメリカに移っていくことになります。今日のお話を聞いて、そのキッカケはアメリカが積極的に印象派を吸収したからなのではないかと感じました。
日本で行われる近年の印象派の展覧会はボストンやメトロポリタンなどアメリカの美術館のコレクションが中心だったりしますよね。「フランス生まれの印象派なのにどうしてアメリカ?」と思うかもしれませんが、アメリカの新興のお金持ちが美術に興味を持って買い集めていたというのは、近代の歴史の動きとしてとても重要です。後にフランスでの再評価にも繋がるコレクションが形成されていることを考えると、やはりこの時代のアメリカの美術館やコレクターの功績は大きい。だからこそ印象派の作品は残り、今も評価されているのですから。
――アメリカと印象派の関係から歴史背景も見えてくる! とても興味深いですね。
印象派を見慣れた人にとってみると、「あら、ここまで広がっていたの!」と感じるかもしれません。これまで日本でアメリカ印象派を取り上げた展覧会は数少なく、実はわたしもまだ「アメリカ印象派」という用語になじめないんです。日本国内では、感覚的にも研究史的にも新しい考え方だと思います。
ーーこの展覧会をキッカケに、日本でも「アメリカ印象派」に関心を持つ人が増えたり、研究が進む可能性もありそうですね。それぞれの画家が描いたほかの作品も観てみたくなりました。ところで、この展覧会は火曜日から金曜日の17時以降は全ての作品が写真撮影OKなのがとても嬉しいです。
海外では撮影OKの美術館が多いですが、日本ではまだ浸透していないですよね。美術館としては、撮影よりも作品を観ることに集中したいというご意見も尊重したいですし、身近に感じるという意味で写真を撮って帰るという満足の仕方もあると思っています。撮影に際するトラブル等の心配もありましたが、皆さんマナー良く撮影をされていますよ。
――今回の展覧会には若い方や普段美術館にあまり足を運ばない方も多く訪れていらっしゃるようですね。あべのハルカス美術館は内容的にも立地的にも親しみやすい印象があります。
印象派が好きでこれまでとは違うものを観たい方や、アメリカ印象派に興味がある方はもちろん、これから美術館を楽しみたいという初心者の方にも来てもらいたいと考えています。普段から、あべのハルカス美術館に来られた皆さんは年齢関係なく「稚魚」のような存在だと感じています。まずあべのハルカス美術館に来てもらって素敵だと感じて、他の展覧会や美術館に行ってみたいと思ってもらえればいいんです。稚魚を集めて放流するような気持ちでいます。
印象派とアメリカの関係を理解する上で興味深く、また歴史や美術史の流れを感じられる作品たち。知れば知るほど、印象派はこの先もまだまだわたしたちの心を離しそうにない。美しい絵を愛でる楽しみ、画家の人生に思いを馳せる楽しみ、美術史の流れを感じる楽しみ。いくつもの楽しみが詰まった充実感たっぷりの展覧会をゆっくりと味わってほしい。
取材・文=井川茉代 撮影=ハヤシマコ