やなせたかし先生と大竹まことが同意見?「子どもはアンパン好きじゃない」人物像に迫る
お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組、『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜13:00~15:30)11月11日の放送は、岩波新書から発売中の『戦争ミュージアム──記憶の回路をつなぐ』を著したノンフィクション作家の梯久美子氏が出演。伝記を書いた、やなせたかし先生について伺った。
大竹「今回拝読した御本は『戦争ミュージアム』というタイトルで、いろんなところにある資料館をお尋ねになって、ちょっと読んでは一回閉じなくちゃ次に進めないような御本で、いやあ、当時と今が地続きだということがよくわかります」
梯「ありがとうございます」
大竹「さて、梯さんは大学を出てからしばらくの間、『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんの下で7年間…」
梯「そうです。私は、やなせ先生に憧れて東京の出版社に就職して、やなせ先生が編集長をなさっていた『詩とメルヘン』で編集をしていました」
大竹「当時、やなせさんはおいくつだったんですか?」
梯「60代ですね。『アンパンマン』は絵本が出ていたんですが、アニメにはまだなっていない時でした」
大竹「どんな方?」
梯「もう本当にいい人としか言えなくて。今、やなせ先生の伝記を書いていて、子ども向けの伝記は10年近く前に一回書いたんですけれども、伝記って、その人の負の部分というか、ちょっと嫌なところも書くんですけれども、もう全然なくて。本当に全然威張らないし、7年間一度も怒られたこともないですし、人を怒ってるところも見たこと無いですし」
阿佐ヶ谷姉妹・江里子「ヒーローみたいな方ですね」
梯「すごくシャイで、本当は前に出たくないタイプの方でしたね。才能があってやる気もあって、でも貧乏で若い人にものすごく親切で」
大竹「ちょっと伝記書きづらいよね」
梯「そうなんですよね。エピソードはいっぱいあって、実は昨日書いてた部分で文化放送の話があったんです。やなせ先生は、売れる前にすごくいろんなお仕事をなさっていて、文化放送のラジオドラマの脚本を書いていた時期があったそうです。1959年だそうなんですけれども」
大竹「私10歳です」
梯「『現代劇場』というラジオドラマがあって、担当のシナリオライターの原稿が遅れていて間に合わないから3日で書いてくれと言われて、急いで書いたのが『やさしいライオン』という有名な絵本の元になり、のちに映画にもなりました。文化放送にも通っていらっしゃったらしいですよ」
大竹「『アンパンマン』をお書きになったときは、梯さんが一緒にいた頃だったんですか?」
梯「もうすでにお書きになっていたんですが、あまり売れてなかった時で、アニメにもなってませんでした。だから私達『詩とメルヘン』のスタッフは、ちょっと正直言うと『アンパンマン』について軽く見てたといいますか」
大竹「まさかあんなに売れるとは誰も思ってなかった」
梯「それに、大人が初めて見ると、そんなにかわいくないっていうか。でも子どもはみんな一番最初に『アンパンマン』を好きになったりしますよね」
大竹「子どもは『アンパンマン』は好きだけどね、あんぱんはあんまり好きじゃないらしいよ」
梯「そうなんです。やなせ先生もそうおっしゃってます。あんぱんは食べ物としてあんまり人気ないんだよねっておっしゃっていて」
大竹「言ってたんだ。でも発想はすごくいいですよね。自分の顔を食べさせるというのは」
梯「先生は若い時に戦争で中国大陸に行っていて、鉄砲を撃ったりしなくて済んだけれども、食べ物がずっとなくて、すごい飢えに苦しんだんですね。それで戦争に負けてショックだった戦後、本当の正義ってなんだろうって悩んだ末に、どっちの国も自分が正義だと思うけれども、結局戦争は人殺しだから、正義の戦争というものはないんだって結論に達するんですね。じゃあ本当の正義は何かと考えた時に、飢えている人に何かあげるのは、少なくともどこの国に行っても、どんな時代にあっても、本当の正義だと言えるんじゃないかと思って。年月が経った後に『アンパンマン』として、自己犠牲というか、自分の顔を食べさせて相手を助ける。それが唯一、正義じゃないかと思われたそうなんですね」
大竹「そうか…」
梯「ご自身の経験からきているから説得力があるというか、ただの思いつきじゃないところが、子どもとかにも伝わるのかもしれないですよね」
大竹「戦争に行って、その中で正義を探ったわけだ。たどりついたのが、食べ物はちゃんと与えることなんだと。日本の戦争は、最後はねえ、どこの島でも何でも、もう飢えてどうしようもない。飢え死にした人とか、病気で亡くなった方とかが、レイテ島とか、そういうところでは本当に多かったって聞いてますね」