<食育>「食べたくても食べられない人がいるんだから残さず食べなさい」はあり?違和感ない?
子どもの成長のためにご飯をたくさん食べてほしいと願うのは、どんな親でも共通ではないでしょうか。しかし実際にはちゃんとご飯を食べてくれなかったり、「お腹空いていない」とお皿に手を伸ばしてくれなかったり。そんなときに皆さんは子どもにどんな声がけをしていますか? 先日ママスタコミュニティにはこんな質問が寄せられました。
『「食べたくても食べられない人もいるんだから、残さず食べなさい!」という教え、正解だと思う? 私は昔から違和感がある。なんかモヤモヤする』
投稿者さんは子どもの頃に「食べたくても食べられない人もいるんだから」と言われた経験があるようです。しかしこの言い方や考え方にはあまりいい気分がしない様子。そこでママたちにも意見を求めていました。
食糧難を経験した祖父母世代がよく言っていた言葉なのでは?
『子どもの頃から「それとこれとは別だよなあ」とは思っていた。類語の「生きたくても生きられない人もいる」とかもね』
『私も子どもの頃から好きではない言葉。なんで食べられない人の気持ちになって食べないとならないのか。食事は楽しくしたい』
『戦中戦後の食糧難を経験した人の言葉なら響く。この言葉を発するのは祖父母世代』
「食べたくても食べられない人もいるんだから」という言葉を幼少期に言われてきた経験があるママたちから、さまざまなコメントが寄せられていました。投稿者さんと同じように違和感を覚えていたママからは「どうして私が食べられない人に寄り添わないといけないのか」「私がご飯を食べることと、その人がご飯を食べられないことは別問題では?」と疑問を感じていた人は珍しくないのかもしれません。そしてこの言葉は、毎日の食べる物に困っていた経験のある祖父母世代がよく使っていたという指摘もありました。飽食の現代においてこの言葉は意味をなさなくなっているのかもしれません。
残さず食べることの大切さを上手く言えない人が言いがち?
『残さず食べなきゃいけない理由を子どもにわかるようにしっかり説明できないから、他人になすりつけて逃げているんだよね。悪いことをしている子どもに「ほらあのおじさんに怒られちゃうからやめなさい」みたいな親と一緒』
『辛いときに「もっと辛い人もいる」とか、「だれだれよりはマシ」というのは本人が自分に言い聞かせる言葉だから。他人に言うのは違う』
また長年使われてきたこの言葉を使う理由について、ママたちからはさまざまな考察も。「残さずに全部食べなさいと言いたいときに、他人を引き合いに出すのはおかしい」「楽しく食事をしたいのに義務感や脅迫で食事を促すのはよくない」といった教育的な観点からの指摘もありました。子どもからすると「食べたくても食べられない人」と、今の自分を比較するのは難しいでしょう。見ず知らずの人が辛い思いをしているんだから自分はその人の分まで食べなくてはいけないというのは、大人も子どもも理解に苦しむ理論ではないでしょうか。
「食べ物を大事にしなさい」ときちんと伝えるべき
『わが家では「自分のために出してもらったものは全部食べようね。多いなと思ったときは手をつける前に言ってね」だよ』
『「たくさん食べてくれたら作ったお母さんも嬉しいな」とか、「食べず嫌いなら一口試しに食べてみて気に入らなければ残していいよ」とかは言う』
『残さず食べると言うより、「食べられるだけの量に調節する」が正解だと思うな。お店でも量を考えて注文することは教えたい。「食べたくても食べられない人がいるんだから、食べ物は大事にしなさい」だと思う』
この言葉を親が子どもに言うのは、子どもが食事を残してしまうときでしょう。しかし食事を完食できないのは、単純にお腹がいっぱいでもう食べられないという状況かもしれません。「子どもが食べられない量の食事を作り過ぎたのなら親の責任」というコメントもありました。
また「残さずにすべて食べてほしい」という親の思いの背景には、子どもの体のためや食べ物を粗末にしないでほしい願いがあるのではないでしょうか。そうであれば他人を引き合いに出さずにそのままの思いを伝えるべきでは? という意見も寄せられています。実際にママたちが普段から行っている食育として、「食事の前に自分が食べられる量を申告させる」「好き嫌いであれば栄養面などを説明して食べさせる」といったエピソードもありました。みなさんは「食べたくても食べられない人もいるんだから、残さず食べなさい!」という言葉についてどう思いますか?