これだけは聴いておきたいエリック・クラプトンの名作アルバム「461 オーシャン ブールヴァード」
2025年4月、80歳を迎えたエリック・クラプトンの日本武道館公演が開催される。1974年以来、半世紀にわたって日本のステージに立ってきたクラプトンの魅力とは何なのか。今回、Re:minder では『来日記念!これだけは聴いておきたいエリック・クラプトンの名作アルバム』と題して5枚のアルバムを紹介する。3枚目は、1974年に発表され、全米1位を記録した『461 オーシャン・ブールヴァード』(461 Ocean Boulevard)です。
タイトルはクラプトンが住んでいた家の住所から
白い洋館の前には、巨大な椰子の木。その横で腕を組んでたたずむエリック・クラプトンの姿。1974年7月にリリースされた、クラプトンのソロアルバム『461 オーシャン・ブールヴァード』は、当時 “レイドバック” という言葉で表現されることが多く、サウンド面はリラックスした雰囲気が漂っている。タイトルは、このアルバムをレコーディングしていた時期に、クラプトンが住んでいた家の住所からとられている。
レコーディングは1973年4月から1ヶ月間にわたって、マイアミのクライテリア・スタジオで行われた。1970年にクラプトンがデレク&ザ・ドミノスで発表したアルバム『いとしのレイラ』(Layla and Other Assorted Love Songs)をレコーディングしたスタジオでもある。このアルバムから4年ぶりに発表されたのが『461 オーシャン・ブールヴァード』であった。
ダウナーな状況下からの脱却
デレク&ザ・ドミノスが1971年5月に空中分解してからというもの、クラプトンはドラッグ中毒からの脱却のため、療養生活を送っていた。この間、ステージに立ったのは1971年8月1日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの『バングラデシュ難民救済コンサート』と、1973年1月13日にロンドンのレインボー・シアターで行われた『レインボー・コンサート』の2回のみ。後者はザ・フーのピート・タウンゼントがクラプトンの復帰支援のために企画したものだった。
そんなダウナーな状況下からの脱却が見え始めた1973年の4月から、1ヶ月間に渡りレコーディングされたのが本作である。中心メンバーはドミノス時代のベーシスト、カール・レイドル、ドラムはジェイミー・オールデイカー、ギターにジョージ・テリー、オルガンのディック・シムズ、そしてロックミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』への参加で人気を博したイヴォンヌ・エリマンがバックコーラスで参加している。
クラプトンの願望が投影されているレイドバック感
アルバム全体に漂うレイドバック感は、ギターの神様として崇め奉られた時代の重荷を下ろしたい、というクラプトンの願望が投影されているようにも、薬物依存症のリハビリ的な状態を反映しているとも受け取れる。このアルバムではそれまでの作品で延々と奏でられてきたギターソロは少なく、むしろ歌うことを楽しみ、そちらに注力している様子が窺える。とはいえこの時期、クラプトンは酒量が増え、アルコール依存が強くなっていた。同時に「いとしのレイラ」で愛を捧げたジョージ・ハリスンの元妻、パティ・ボイドと暮らし始めたのもこの頃だった。
このアルバムには、当時の音楽シーンに絶大なインパクトを与えた曲が収録されている。それが「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だ。1973年にボブ・マーリーがピーター・トッシュやバニー・ウェイラーと共に在籍したウェイラーズのアルバム『バーニン』で発表していたナンバー。この曲のカバーを提案したのはジョージ・テリーだったと言われており、ギターはカッティングとオブリガードのみで従来のクラプトンらしさはどこにも無いが、レゲエの鮮烈なリズムはリスナーに大きなインパクトを与えた。
1974年6月にアメリカで先行シングルとしてリリースされると、同年9月14日付のビルボードHOT100で首位に立ったほか、カナダやニュージーランドでも1位となり、世界的な大ヒットとなった。クラプトンのカバーは、まださほど馴染みのなかったジャマイカのレゲエを、世界の音楽シーンに紹介する役割を果たしたとも言える。
ファンキーな演奏に生まれ変わった「ステディ・ローリン・マン」
アルバムは半数以上がカバー曲で占められており、冒頭の「マザーレス・チルドレン」はブラインド・ウィリー・ジョンソンのブルース名曲をミディアムアップ・チューンにリメイクし、ジョージ・テリーとのスライドギターが炸裂するエモーショナルなナンバーに仕上がっている。
R&B界のゴッド・ファーザーと呼ばれたジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」もスカ風の解釈で軽やかな曲調に変貌。「ステディ・ローリン・マン」はクラプトンに大きく影響を与えたブルースマン、ロバート・ジョンソンのカバーだが、リズムがシンコペートする軽快でファンキーな演奏に生まれ変わっている。
そして、ザ・カウボーイの「プリーズ・ビー・ウィズ・ミー」のカバー。デレク&ザ・ドミノス時代に「いとしのレイラ」で共演を果たしたデュアン・オールマンが参加した作品だ。こちらは原曲の良さを生かしつつ、少しスローに変えており、イヴォンヌとのデュエットも軽やかな仕上がり。オリジナルでデュアンが弾いていたドブロギターをクラプトンが弾いているのも印象深い。ブルースギターの名手、エルモア・ジェイムスの「アイ・キャント・ホールド・アウト」も原曲に忠実なカバー。
オリジナル曲は少ないが、クラプトン作による名バラード「レット・イット・グロウ」、ツインリードが鮮烈なテリー作の「メインライン・フロリダ」など、いずれもリラックスムードの中で生まれた佳曲。また「ギヴ・ミー・ストレンクス」では、ブッカー・T&ザ・MG'sのドラマー、アル・ジャクスンがタメの効いた独特のドラムプレイを披露している。
本格的にロックシーンにカムバックしたクラプトン
『461 オーシャン・ブールヴァード』は、クラプトンのソロアルバムとしては初めて全米1位を獲得する。シングルカットされた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の全米1位と併せ、商業的な成功を収め、本格的にロックシーンにカムバックした。
この1974年にクラプトンは待望の初来日を果たしている。初日は10月31日の日本武道館公演。ちなみに2004年にリリースされた2枚組のデラックス・エディションでは、アウトテイクの5曲に加え、1974年12月に行われたライヴの模様が11曲追加されており、初来日公演を思わせるセットリストなのが嬉しい。
それまでの作品ほどギターを派手に弾かず、歌に注力した印象があるため、ザ・ヤードバーズやクリームの頃のクラプトンが好きなファンには、このアルバムは物足りなく感じるかもしれない。だが、リラックスした雰囲気の中で録音された幾多の楽曲は、クリーム時代の幻影を吹っ切るかのような、クラプトンの新しい路線を感じさせる。この時期でないと生まれなかった名盤なのである。