ヤンキー映画の原点「ビー・バップ・ハイスクール」WIND BREAKERの公開前に要チェック!
連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.14 -「ビー・バップ・ハイスクール」
ヤンキー映画の元祖「ビー・バップ・ハイスクール」
『東京リベンジャーズ』シリーズや、2025年冬公開の『WIND BREAKER』など、ヤンキー映画を観ていると、このジャンルは廃れないなあと、つくづく思う。ヤンキー映画とは “不良高校生を主人公にした少々コミカルでケンカが見せ場となる作品” と、ここでは定義して話を進めよう。ちょっと前なら『HiGH&LOW』シリーズ、さらに前では『クローズドZERO』シリーズも忘れてはいけない。その多くは、少年誌連載のコミックを原作としている。
そんなヤンキー映画の元祖といえるのが1985年に公開された『ビー・バップ・ハイスクール』だ。きうちかずひろの人気コミック(講談社)を映画化した本作は予想外の好評を博し、1988年までにシリーズ全6作が作られた。“予想外” というのは、本作は2本立て公開で、併映の薬師丸ひろ子主演作『野蛮人のように』がメインとみられていたから。
コメディ色の強い映画にはふさわしいのは“不良” よりも “ヤンキー”
19歳の冬、筆者は薬師丸ファンの義務として、地元の秋田でこの『野蛮人のように』を観た。実際、面白かった記憶はあるのだが、それ以上の記憶は残っていない。しかし併映の『ビー・パップ・ハイスクール』は強烈で、今も脳裏に刻み込まれている。電車内の大乱闘、サッカーの試合という名目のケンカ、鼻に××を××する痛すぎるリンチ。それらがギャグと密接に結びついていたのだから。原作は読んでいたので笑えることは予想がついたが、映画の面白さはこれまた予想外だった。
コミックに基づく不良高校生のケンカの日々を描いた作品はそれ以前にもあった。たとえば、梶原一騎原作の『愛と誠』(1974年)や、近藤真彦主演の『ハイティーン・ブギ』(1982年)などなど。しかし、これらはユーモラスなシーンこそ少しはあるものの、コミカルと呼ぶには抵抗がある程度にシリアスだった。これらを不良映画と呼ぶならば、『ビー・パップ・ハイスクール』以後の不良映画はやはりヤンキー映画と呼びたい。“不良” よりも “ヤンキー” の方がファニーな響きがあり、人間臭さを感じさせるし、コメディ色の強い映画にはふさわしいのでは?
とにかく暴れるし、とにかく走る、主演の清水宏次朗と仲村トオル
話を『ビー・バップ・ハイスクール』に戻そう。主人公はダブリの高校2年ヒロシ(清水宏次朗)とトオル(仲村トオル)。ケンカはメチャクチャ強いが、クラスの優等生である美少女、今日子(中山美穂)には頭が上がらない。彼らの日常はユル〜い状態で続いていたが、卒業生の多くが暴力団員になると言われる悪徳高校に目を付けられたことから、それは一変する… というストーリーだ。
本稿を書くにあたり改めて観直したが、やはり面白い。製作から40年を経ているのでギャグが廃色しているのは仕方ないとしても、すさまじい躍動感を宿らせた作品であることに変わりはない。主演の清水宏次朗も仲村トオルも、とにかく暴れるし、とにかく走る。運動量はアクション俳優のそれと呼んで差し支えない。カッコをつけてはいるがヒロイックにはキマらないダサさの妙演も光る。彼らと対をなすマドンナ、中山美穂の一途で真面目、なおかつ勝ち気というキャラもいい。とにもかくにも、彼らの織り成す “若さ” がエネルギーとなってキッチリ伝わってくる。
思い返せば、このような不良性からくるバイタリティは、配給会社である東映のお家芸。当時、東映伝統のやくざ映画は世間の風当たりの強さから廃れかけていた。今もそうだが、暴力的な映画に目くじらを立てる層は一定数おり、なんらかの事件が起こる度にスケープゴートにされる。しかし、同じ不良性を扱ってもこの題材なら “高校生同士のケンカ” を描いた映画で笑って済まされる。当然だが、殺しのシーンはナシ。不良ではあるものの映画としては、当時は一定の健全さが保てていたのだ。
劇中、デパートの屋上で演奏しているバンドはSALLY
最後に、音楽の話を少々。中山美穂が歌う主題歌は当時、ヒットしたので記憶に残っている方も多いだろう。それ以上に劇中、デパートの屋上で演奏しているバンド、SALLYのインパクトは大きい。1984年に「バージンブルー」をヒットさせたこのバンドのパフォーマンスは、ケンカとチェイスの見せ場をトッぽい空気で彩っていた。SALLYは残念ながら本作の公開から4か月後に解散してしまうが、これは彼らの最後の “祭” だったのかもしれない。
現在のヤンキー映画の中で黒の学ランやボンタン、頭髪の剃り込み、顔の大きさほどあるリーゼントを観ることは稀になった。これらは今や『ビー・バップ・ハイスクール』の時代の遺物に過ぎない。しかしティーンエイジャーのエネルギーの爆発は、今も確実に存在している。そう、本作のヤンキー映画スピリットは確実に受け継がれているのだ!