韓国料理は辛いだけじゃない! 疲れた心をなだめてくれる「甘じょっぱさ」の力――【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」
人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます
流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら。
#9 단짠(タンチャン)
最近、Netflixで「隣の国のグルメイト」という番組を楽しく見ている。日本の俳優・松重豊と韓国の歌手ソン・シギョンが、日韓それぞれのおいしい店や食べ物を交代で紹介する番組だ。
松重豊の「日本では○○なんだけどな」というコメントに、ソン・シギョンが「韓国では○○なんですよ」と返す。そんなやりとりを聞きながら、私は「分かる分かる、そうなんだよね」とひとりうなずいている。
彼らは9話でソウルの薬水(ヤクス)市場で甘いクルミ菓子やドーナツを堪能したあと、10話では山口県・下関に渡って海産物ビュッフェに挑戦する。ここでソン・シギョンは、「薬水市場では甘いものばかりだったので、ここはしょっぱいもの」と言い、それを韓国では「단짠(タンチャン)」と呼ぶと説明した。
단짠(タンチャン)とは「甘じょっぱい」という意味。달다(タルダ)(甘い)と짜다(チャダ)(しょっぱい)を組み合わせた言葉だ。甘いものを食べたあとにしょっぱいものが欲しくなり、また甘いものが食べたくなる――そんな無限ループ感を強調する際は、繰り返して단짠단짠(タンチャンタンチャン)と表現される。
단짠(タンチャン)は、かつて韓国の若者たちの間で流行した表現だったが、いまではすっかり定着して、単なるトレンドを超えた存在になっている。その背景には、韓国社会特有の感覚や感情、SNS時代の「見せる文化」がある。단짠(タンチャン)は単なる「おいしさ」を表すだけでなく、現代の空気を映すキーワードになっているのだ。
今回は、韓国で愛されている「단짠(タンチャン)」の実態を見ながら、その味に込められた現代の韓国らしさをのぞいてみたい。
日本の料理は甘すぎる?
私が韓国に来て、耳にたこができるほど聞かされたのは「日本の料理って甘すぎて苦手」という言葉だった。だし巻き卵、煮物、すき焼き――確かにどれも甘い。最初は、「韓国の料理って辛いから、甘いものはあまり得意じゃないのかな」と素直に受け取っていた。
ところが、暮らしているうちに気づいた。韓国料理だってけっこう甘い。いや、むしろ日本よりも甘い料理の種類が多いのでは?と思うことすらある。プルコギやカルビなどの肉料理、煮物やジャコ炒めのようなおかず、さらにはサラダのドレッシングに至るまで、意外なほど甘みがある。
結局、日韓どちらの料理にも「甘さ」は重要な要素だ。ただし、その甘さの出し方や重ね方に違いがある。日本はしっかりとした甘みで輪郭をつくることが多い一方、韓国は香辛料や塩気のなかに、ふわっとした甘さを仕込む傾向にある。
興味深いのは、韓国人がその味を「단짠(タンチャン)」と名づけ、会話やSNS、広告のなかで使い倒していることだ。日本にも甘じょっぱい料理はあるが、その味付け表現がひとつのキーワードとして流行語化することは、あまり見られない現象だろう。こうした「名づけたがる感覚」は、韓国らしさのひとつかもしれない。
甘じょっぱさが癖になる!
단짠(タンチャン)という言葉が最初に登場したのは、2010年代半ばだ。甘いスナックとしょっぱいスナックを交互に食べることを楽しむ若者たちの間で生まれた流行語だった。
その後、人気YouTuberや먹방(モッパン)(大食い配信)系の動画で「단짠단짠(タンチャンタンチャン)」という表現が繰り返され、みるみるうちに定着していった。ソース、スナック、パン、チキン、コーヒー、ラーメン――食品業界はこぞって단짠(タンチャン)味の商品を投入し、コンビニやチェーン店には「단짠세트(タンチャンセトゥ)(セット)」のようなパッケージまで登場するようになった。
단짠(タンチャン)には、大きく分けて2つの楽しみ方がある。ひとつは、甘いものとしょっぱいものを交互に食べる「組み合わせ型」。もうひとつは、一皿の中に両方の味が同時に存在する「一体型」だ。
前者の代表例は、激辛トッポッキを食べながら砂糖をまぶしたチーズハットグ(チーズドッグ)をほおばる、あるいはスナック菓子の甘い系としょっぱい系を交互につまむ、といったスタイルだ。
ひと口ごとに味を切り替えることで、飽きることなく食べ続けられる。リセットしてはもう一度、の繰り返し。このリズム感が단짠(タンチャン)の醍醐味だ。
一方、一体型はもっと「完成された中毒性」を持つ。ひと口で甘さと塩気が同時にやってきて、脳が反応する前に「おいしい」と感じてしまうタイプだ。ヤンニョムチキン、チーズトッポッキ、塩キャラメル、ハニーバターチップ、ピザの耳にさつまいもクリームを詰めた「さつまいもピザ」などがその例だ。
どちらのスタイルにせよ、단짠(タンチャン)は「ひとくちごとに変化がある」「無限に食べられる」という設計になっている。そしてこの「飽きさせない仕掛け」こそが、단짠(タンチャン)がただの味覚トレンドで終わらない理由なのかもしれない。
「映える味」としての広がり
단짠(タンチャン)の魅力は、味だけではない。見た目のインパクトも、人気の理由のひとつだ。
真っ赤なトッポッキにとろけるチーズ、ハットグにふりかけられた白い砂糖の粒、塩クリームが載ったアインシュペナー――どれも味覚だけでなく視覚を刺激する、いわば「映える味」だ。
SNSには「#단짠단짠(タンチャンタンチャン)」「#단짠세트(タンチャンセトゥ)」「#단짠디저트(タンチャンディジョトゥ)(デザート)」などのハッシュタグが並び、食べる前から「見せるための단짠(タンチャン)」が成立している。
食後の満足感よりも、アップロードする画角の美しさ。단짠(タンチャン)は、SNS時代の「食の演出」にぴったりフィットするテーマでもあるのだ。
こうした流れは、韓国でよく言われる「모디슈머(モディシューマー)」文化ともつながっている。모디슈머(モディシューマー)とは「Modify(改造)」と「Consumer(消費者)」を掛け合わせた造語で、提示された食べ方にとどまらず、自分なりのアレンジや組み合わせを楽しむ人々を指す。
たとえば、市販の단짠(タンチャン)系ソースを家でアレンジして塩スイーツを作ったり、塩パンにチョコをはさんで「自家製단짠(タンチャン)サンド」を作ったりする投稿も多い。
ストレスを癒やす味
단짠(タンチャン)がここまで広がった背景には、ただの味覚の好みでは説明しきれない「やめられなさ」がある。甘いものとしょっぱいものを交互に食べることで、気づけば手が止まらなくなっている。
実際、これには科学的な理由もある。同じ味を食べ続けると満腹感を覚えるが、別の味に切り替えるとまた食べられるという「sensory-specific satiety(感覚特異的満腹感)」という現象だ。
こうした中毒性に加えて、단짠(タンチャン)は「感情のリセット装置」としても作用している。
韓国社会で暮らすことは、常にストレスと隣り合わせだ。就職や学歴、容姿へのプレッシャー。SNSでは常に「いいね」の数が気になり、他人の華やかな日常と自分を比べてしまう。そんな日常のなかで、단짠(タンチャン)はちょっとした慰めになるのだろう。
甘さに飽きたらしょっぱさで口直し、また甘さで落ち着く。そうやって「永遠に食べ続けられる味の設計図」が、この2語に凝縮されている。「辛いだけでもしょっぱいだけでもダメ。少し甘くないと救われない」。そんな感覚が、高ストレス社会の韓国に染みついているように思う。
心をなだめる小さな処方箋
단짠단짠(タンチャンタンチャン)。甘くて、しょっぱくて、また甘くて――。いまの韓国でこの言葉がここまで親しまれているのは、きっと味の問題だけじゃない。
なんとなく気分がのらない日。口に出すほどではないけれど、ちょっとだけ何かを欲しているとき。단짠(タンチャン)は、そんな感情の小さなくぼみに、そっと寄り添ってくれる味なのかもしれない。
食べ過ぎには気をつけつつ、それでも今日の気分にちょうどいい味を探す。甘さでゆるめ、しょっぱさで目をさます。
단짠(タンチャン)は、ちょっと疲れた心をなだめる、小さな処方箋なのだ。
プロフィール
金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。
タイトルデザイン:ウラシマ・リー