上曽我瑞雲寺 梅の名勝に信玄の痕跡? 曽我五郎との関わり説く
2月1日から始まった小田原梅まつり。しだれ梅の名所として親しまれる市内上曽我の瑞雲寺(大井道範住職)に今年、なぜか「風林火山」の旗が風に泳いでいる。
戦国武将である武田信玄の軍旗が設置されているのは、日本三大仇討ちの一つに数えられる「曽我兄弟の仇討ち」が成就祈願された「力不動尊」へ向かう石畳。のぼり旗が置かれたその訳は、武田家と曽我兄弟にまつわる興味深い逸話によるものだ。
伝説と不思議な縁
大井住職によると「武田信玄は曽我五郎の生まれ変わりだったという逸話がある」とのこと。
武田家の伝説がある山梨県甲府市の夢見山に市の解説板がある。そこには信玄の父、武田信虎が山頂で寝ていると、夢の中で男性から「今、甲斐国主として誕生した男児は曽我五郎の生まれ変わりである」と告げられた逸話が紹介されている。大井住職によると、武田三代(信虎と信玄、勝頼)の墓がある大泉寺(同市)には曽我兄弟の供養塔もあるという。
「鎌倉時代の仇討ちの主人公と戦国時代の名武将のつながりが当時から語られていたことにロマンを感じます」と大井住職は語る。
実は大井住職、独自の視点で、数字を軸に古代史を紐解く書籍を執筆するなど、歴史に造詣が深く、今回はほかにも奇妙なつながりを見出している。「信虎の妻で信玄の母は『大井の方』と呼ばれ、56歳で亡くなりますが、法名が『瑞雲院殿心月珠泉大姉』。ここ曽我の地と何らかの縁があったとしたら面白いですね」(大井住職)。
しだれ梅の季節、瑞雲寺に立ち寄った際は大井住職と歴史話に花を咲かせても良いのでは。