上越市・高田。雁木の街並みに惹かれ移住した若者たちが、街をリノベーションで変えている
上越市の城下町高田の町家をリノベーションした移住者
新潟県上越市もご多分にもれず高齢化と人口減少が進み、中心市街は衰退してきた。
2005年には21万2273人あった人口は25年には17万9384人と3万3千人ほど減っている。また転出者のほうが転入者よりも超過しているが、年齢別に見ると20〜24歳では大卒後の就職のため転出超過であるものの、30〜34歳だと転出者が279人に対して転入者は315人である(2024年)。
転入者が転勤族であって定着はしないのか、移住者であり定着の可能性も高いのかは統計からはわからないが、実感値としては30歳前後の人がIターン、Uターンなどによる移住者が市内に増えているらしい。
移住者が増えたのは、2015年に北陸新幹線が開通した影響はあるだろう。また20年からのコロナで、地方移住、Uターン、あるいはリモートワークで地方に住む人が増えたことの影響もある。
そんな上越市への移住者のひとりが打田亮介さんだ。
2016年に31歳で東京から移住してきた。東京では店舗設計の仕事をしていたが、労働時間も長く、満員電車の通勤もストレスだった。もともと北海道出身だが、就職した会社の配属の関係で東京に来たが、もっと人間的に暮らしたいと思っていた。奥さんが新潟県の六日町出身ということで、新潟県内で移住先を探した。
金沢への旅行の帰りに上越市に立ち寄ったとき、城下町高田の古い街並みが気に入り、移住することにした。木造建築や古い建築が好きだったのだ。
31歳でJターンした打田さん。古い町家を次々と店舗などへリノベーション
しかしまったく知らない土地で建築の仕事を始めるのは難しい。
そこでまず雁木通りの空き町家をリノベーションしカフェ「Reイエ」を開いた。2017年時点で高田で今時のリノベーションしたカフェは初めてだった。物珍しさもあり、いろいろな人が集まった。そうするうちに建築の仕事が入るようになった。
8年たった今では、高田にある新しい店で主なものは打田さんがリノベーションしたものである。
古本と日本酒の店「スイミー」、サンドイッチ店「カジュアルデイズ」、ハンバーグ店「ゆきみ」など。自分がやっていたカフェはUターンしてきたイラストレーターの女性とキャンドル作家によるカフェ「サンカク×シカク」にリノベーションした。
そして2022年に後述する「たてよこ書店」ができた。
地元に個人商店や商店街の充実を重視するのは若い人ほど多い
三菱総合研究所「生活者市場予測システム」調査によれば、住みたい街について、チェーン店以外の地元の個人商店や商店街が充実していること「非常に重視する」は若い人ほど多く、特に女性で多い。
2024年は20代男性では20.5%だが、80代男性では9.0%、20代女性では25.8%だが、80代女性では13.1%である。男性では60−70代は5割近くが「重視しない」、女性でも50代、60代、80代は4割近くが「重視しない」と回答している。
では商店を重視する人は、具体的にどんな店が欲しいのだろう。
重視する女性で最も多いのは「手作りのパン屋・焼き菓子屋・サンドイッチ屋・ベーグル屋・スイーツ店」で45%である。ただし重視しない女性も48%と多い。重視する女性で二番目に多いのはごはんがおいしい定食屋である。これは重視しない女性は32%。本格コーヒー店は重視する女性は24%だが重視しない女性では12%と差が大きい。
その他にもちゃんとした外食店を求める人は重視する女性で多い(カルチャースタディーズ研究所「第五消費調査第2回」2025年)。打田さんはサンドイッチ店やハンバーグ店のリノベーションをし、今後は定食屋が欲しいと言っているので、その通りの結果である。
高田の良いところは「のんびり歩けるところ」
堀田滉樹(こうき)さんは上越市の高田地区出身。
「たてよこ書店」を出店した東本町通りを通って高校に通学していた。ある日、何もない商店街に明かりがともっていた。それが打田さんの最初のカフェだった。
2019年、東京経済大学に進んだが、翌年コロナ禍が始まり、リモート授業になった。リモートだからどこにいてもいいので、地方を旅した。山崎亮の『コミュニティデザイン』を偶然書店で手に取って読んだことも地域と関わり始めるひとつのきっかけだった。
最初は福島県の葛尾村の震災復興のプログラムに参加した。それから尾道に行き、ゲストハウスに泊まった。大学3年のときまた葛尾村に戻った。
3年生で卒業単位は取ったので、23年は1年間休学し、東本町にたてよこ書店をつくった。
高校の頃から読書は好きで、なんとなくぼんやりとだが本屋をしたいとは思っていた。新刊と古本の両方売る。地方出版社や自費出版の本も置く。家賃は2年間タダにしてもらった。オーナーは建築家で、空き家を買っては貸している人だった。
24年に卒業すると、東京で就職して働きながら、月の半分は高田で書店を運営することにした。どんな客が来るかと尋ねると、若い人は流行の小説、年配の人は短歌とかも多いというので、私は母の短歌関連の蔵書を堀田さんにあげることにした。母は若い頃から短歌が好きで、自分でも死ぬまで創作し続けた。高田短歌協会にも属していたし、短歌の本が本棚一つ分あったのだ。
書店の隣の空き家も借りてリノベーションし、イベントスペースにした。25年から「たてよこの交差点」と銘打ち月一度講演会を開くことにした。私はその第1回に講演をすることになった。その後は堀田さんがこれまで地方で知り合って来た友人や上越周辺の地域に関わる事業者を講師として呼ぶ。東京で活躍する人の話を聞くのはもちろんだが、地元で活動する人たちをつなぎ合わせたいと考えている。
私の講演会に集まった人たちの中に今回取材した人たちがいた。こんなに優秀で意欲的でクリエイティブな人たちがUターンやIターン、Jターンをして高田に集まっているのかと驚いた。しかも皆高田の雁木の街並みが好きだという。
「高田のどこが良いのですか」と尋ねると、「のんびり歩けるところ」と誰かが答えた。のんびりというか、100メートルに1人しか歩いてないからなあと私は思った。私が子どもの頃は本町通りの雁木を歩くのに、人を追い抜くのが大変だったのに。
でも今の若い人にはこういう古い街並みが響くらしい。ということを私は頭では理解していたが、自分の出身地ということになると、なかなか自信や甘い期待は持てなかった。だが彼らは本当にこの街が好きで楽しんでいるし、街を良くしようとしている。本当に有難い話だ。
良い街には良い古着屋と古本屋がある
HOME'S PRESSでもかつて紹介したことがあるが、2017年に高田の老舗料亭「宇喜世」が全国の古い料亭を集めて「百年料亭ネットワーク」という協議会をつくり、その設立総会を高田世界館で開いた。
私はそこでも基調講演を頼まれた。故郷・高田とつながり直すきっかけになった。たまたま2015年、私の母が歩けなくなり東京の老人ホームに入れたので実家の整理で年に何度か高田に帰っていたので、街を見直す機会も増えていた。
宇喜世は旧花街の仲町通りにあり、それと平行して昔は呉服屋で栄えた本町通りがある。高田世界館は本町7丁目にあり、創設110年を超える日本最古の映画館である。高田には昔、映画館が4〜5館あったが今は世界館だけである。ミニシアター系の映画を上映するほか、ピーター・バラカンさんを招いてのDJなどのイベントも開催する。
打田さんが移住して最初のカフェを開いたのも2017年だから、どうもその頃から高田にも新しい動きが出てきたということだろう。15年の新幹線開業の影響もある。それまでは長野までは新幹線が来ていた。長野でもリノベーションを核としたまちづくりが盛んになり、移住先としても人気が出ていた。それが私はとても羨ましかった。
だが高田にも新幹線が通じて、やはり動きが出てきたのだ。高田の本町通りには古着屋ができた。かなりセンスが良い。東京の三軒茶屋の古着屋に勤めていた高田出身者が開いたらしい。私は2021年頃から古着に興味を持ち始め、良い古着屋と古本屋がある街は人気が出ると考えていたので、高田にもセンスの良い古着屋ができたのはとても良いと思っていた。そして「たてよこ書店」ができたのだ。
高田が映画館と劇場がある街に
高田世界館の横には「せかいのとなり」という喫茶店があり、そこから曲がって東本町に入れば打田さんのカフェの後には「サンカク×シカク」ができていた。なので、世界館から東本町にかけてもう2,3店舗若い人の店ができれば点が線になって街がつながっていくなと考えていた。だから「サンカク×シカク」のまた先の方に「たてよこ書店」ができたのは良かった。
ちなみに「サンカク×シカク」と「たてよこ」という名前は何か仕組んだように見えるが、まったく偶然らしい。あとは「まんまる・だえん」とか「点・線・面」とかいう店ができればいいなと勝手に想像している。
東本町からつながる北本町には「ほおばる(HOBARU) 上越)」というベーグル屋さんができていた。私の生まれた糸魚川市で開業し、各地から車で客が訪れる人気店になっていたそうだ。その支店ができたのだ。自家製酵母と国産小麦粉、身体に優しい素材を使って、長時間発酵させた生地を使っており、香り高くむっちりもちもちのベーグルだという。
それから、なんと世界館と斜め向かいに小劇場「スズナリsix」が建設中だった。東京で演劇をしていた「マルまるやま」さんが空き店舗を改造したものだ。
つかこうへい、清水邦夫、唐十郎らのメジャーな作品を上演する。清水邦夫は高田の出身だ。映画館と劇場が揃うなんて、東京でもなかなかないことだ。なんだか面白くなってきた。
コワーキングスペースを高校生の居場所に
野口明子さんは上越市の隣の新井市(現在は合併して妙高市)の出身。小学校、中学校は高田に通ったので、高田の街には愛着がある。大学で東京へ出て、慶應義塾大学環境情報学部で空間デザインに活かしたい心理学などを学んでいたが、途中から建築に志望を変更した。
まちづくりなどを勉強し、卒業設計及び修士論文で高田の雁木を活かした表層空間のあり方について研究した。
実家の家業は製材業で、曾祖父時代は建築・建設業。だから建築には縁があった。いずれ家業を継ぐと言われてきたので、現在は東京の建築事務所所員だが、コロナを機会に地元に戻ってリモートワークを始めた。月1回1週間程度東京に出るが、あとは本町通りのコワーキングスペースで働く。
このコワーキングスペースは元々は婦人用品店だったが、私の同級生の実家である。同級生は郊外のモールに店を出し、ネット通販でもかなり売れたが、数年前、店を切り盛りしていたお母さんも高齢になったので実家を売ったのだった。そこにまさか雁木好きな建築家が働き、私が取材することになろうとはまったく想像しなかった。
卒論のテーマは雁木によって店の内側でも外側でもない場所をつくること。今働いているコワーキングスペースも、ガラス張りなので外から働いている様子が見える。そこにたとえば、一箱本棚オーナー制度を活用した図書館をつくる。箱1つに1人の人が何らかのテーマで本を並べて売ったり貸したりする。それによって高校生がたむろするような場所にしたいという。
コワーキングスペースの2軒隣は老舗の書店である。
私の世代は放課後この書店に集まって、立ち読みをしたり、おしゃべりをしたりしていた。お金のない高校生が時間をすごせるのは、当時は喫茶店に行くのは不良だと言われた時代なので、書店かレコード屋だけだったのだ。
レコード屋は東京の大学を出た男性が店を継いでいて、有名なフォークソング歌手は大学の同級だなどと、インターネットのない時代にわずかな東京情報を話してくれて、レコードも買わずに時間を過ごした。
だが商店が郊外に移転したり、閉店したりして、高校生がたむろする場所がなくなった。スターバックスもできたが、中心市街地からは遠い。だから、商店街に高校生でも気軽に立ち寄れて、時間を過ごせる場所をつくりたいというのである。
そういえば群馬県の駅前の設計をしている私の知人の30代の建築家伊藤孝仁さんも、地方の高校生の居場所について考えていた(三浦編著『再考ファスト風土化する日本』所収)。高齢者や子育て世代の居場所づくりは盛んだが、たしかに高校生の居場所はあまり検討されていない。
堀田さんも今後は安いゲストハウスをつくって、若者がたむろするようにしたいと言う。久野さんは雁木町家をリノベーションした宿泊施設を増やしたいという。打田さんは昼は定食屋で夜はちょっと飲める店がつくりたいという。
どれも大きな、おしゃれな、最新のものではない。大きな、おしゃれな、最新のものではないからこそ、これまで三十年間なくなってきたのだ。でも、そういう場所が今は必要なのである。