不妊治療を経て、待望の妊娠!でも出産直前「あれ?どう産むんだっけ?」
ライターの“ミッキちゃん”です。私が妊娠したのは、結婚7年目のこと。私には子宮疾患のリスクがあり、2度の体外受精の失敗をのりこえての妊娠。まさに待望の妊娠でした。
不妊治療から待望の妊娠!待ちわびても来ない陣痛
臨月にいたるまで助産師さんいわく、「模範的な妊婦さん」としてすごしていた私。出産についても、帝王切開でも、自然分娩でも、安全な方法であればよいと考え、今か今かと出産する日を待っていました。
しかし、一向に陣痛が来る気配はありません。予定日を7日すぎたとき、医師から「2日後に入院を伴う陣痛誘発剤を使いましょう」と提案がありました。そのとき、自分でも出産に向けてできることを入院前にやりとげようと決意しました。
予定日を過ぎてから、動き回ってみたら…
「とにかく歩いて動くべし」だと思い、その日、30分以上歩き、帰宅後は1時間かけて床掃除にはげみました。
すると、明朝に腹痛を感じたのです。下着を確認したところ、「おしるし」も。しかし、予想に反して、いまだ陣痛が来る気配はありませんでした。
それで夕方すぎに、ショッピングモールで散歩をしていたときのこと。お尻のあたりに軽い痛みを感じたので、早々に帰宅しました。
帰宅後、だんだんと陣痛が強くなっていくのを感じました。あわてて陣痛アプリで計測。すると、15分から20分に1度の間隔で陣痛が来ていることがわかりました。
まもなく出産のとき!あれ、どうやって産めばいいの
帰宅した夫と急いで晩ご飯をすませ、病院に連絡しました。来院の指示を受け、すぐに病院へむかいましたが、予想外のできごとに遭遇。病院まで車で30分のはずが、大型トレーラーが徐行していて予定よりも遅れてしまったのです。
やっと病院に着いて、助産師さんによる子宮口の確認が終わると、入院の許可が出ました。「いよいよだ」と私の中の緊張感が高まるのを感じました。同時に、徐々に強くなる陣痛の痛みにたえながら、ふと分娩への不安が頭をよぎりました。
「そういえばどうやって産むんだっけ?」と、分娩の知識が曖昧な私は心配になってきました。でも、このとき、分娩台でひと晩中、陣痛とたたかうことになるとは私も夫も知るよしもなかったのです。
一晩中、陣痛に耐えようやく…
私の妊娠前の「出産」のイメージは、“夫は外で待ち、妊婦は助産師さんにサポートされながら分娩をする”というもの。でも、入院した病院は「立ち会い出産」を推奨していました。そのため、実際の出産では、夫に背中をさすってもらう時間が長く、助産師さんの確認は数時間に1回程度でした。
出産中にもっとも辛かったのは、強い陣痛が来ても、まったくいきんではいけないことでした。病院に、陣痛逃しをするためのテニスボールがなかったため、こぶしを作って肛門にあて、いきまないようにしていました。
苦しいさなか、何度も「帝王切開」による出産の方が自分には良かったかもしれないと思いながらも、「絶対に産むぞ!」と気合を入れて、陣痛の辛さに負けずに頑張ることにしました。そして翌朝、ようやく子宮口が開き、自然分娩ができることに。
それから分娩台でいきみはじめて1時間、「赤ちゃんの頭部が見えてきた」と助産師さんの声が。そこで最後の力をふりしぼっていきんだところ、ドサっと何かが体の外に出たのがわかりました。ついに小さな息子が誕生し、私の出産は無事に終わりをつげたのです。
その後、わが子を胸の上で抱っこをして親子ではじめての時間をすごし終えた私は、出産で使い果たした力を取り戻そうと、残さず朝食をいただきました。
助産師さんいわく、“初産にしては比較的スピード安産”だったそうです。
当初は「立ち会い出産」を希望していなかったのですが、流れで夫が立ち会うことになり、終始背中をさすってもらったのが大きなはげみになりました。また、夫も出産の大変さを目の当たりにできてよかったかなと感じます。
何事もなく無事に出産でき、しかも予定通りに退院できる出産は奇跡。そんな出産を経験させてくれた息子と夫に感謝しています。
[ミッキちゃん * プロフィール]
はじめまして。結婚7年目にして、子宮疾患と不妊治療を乗りこえて2016年秋に無事男の子を出産しました。現在は1歳の息子の育児、ライター業と家事をフル回転状態で頑張る毎日を過ごしています。週末の夫との晩酌がささやかな楽しみです♪
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。