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閉校は寂しいだけじゃない…「幸せでした」みんなで成長した日常を胸に春へ

Sitakke

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2024年度、北海道では29の小中学校が歴史に幕を下ろしました。
その1つの、ある小学校に密着しました。
  
閉校は寂しいだけじゃない。
100年以上にわたり、子どもの成長を見守り地域の絆を紡いだ学校の最後の記録です。

最後の児童は5人…地域と強くつながった小さな小学校「閉校」と向き合った最後の日々から続く

2学年がゼロになったら閉校に…込められた思い

閉校の議論が始まったのは、10年以上前のことだといいます。

「2つの学年で児童数がゼロになったら、閉校を決める」
地域の決断の背景には、将来の子どもたちへの思いもあると、田中豊校長は捉えます。

それは「いろいろな価値観に触れてほしい」という願い。

大勢の子どもたちが一斉に黒板の方を向き、先生の話を一方的に聞くという従来型の授業ではなく、いまは仲間同士で協力して子どもたちも主体となって授業を進める、「協働的な学び」の大切さが認識されているのです。

「小さい学校の少ない人数では限界がある。鈴川小学校の役目はここまでかなと。仲間に聞いてわかることもあるでしょうし、見て感じてわかることもある。聞くのを我慢しようとか遠慮しなくていいよと。そして『聞く相手は他にもいるんだ』ということに気が付いてもらいたい。実はその方が幸せがあるよ、と」

春から、喜茂別小学校に子どもたち自身が安心して通うことができるよう、田中校長は教員たちと協力して子どもたちに伝えていると話します。

鈴川小学校には、2人の担任がいます。
2・4年生の担任の髙橋大輔教諭と、5・6年生の担任の松本里和教諭。
2人とも若手の先生です。

髙橋教諭は初めての担任を経験、松本教諭は一度は「難しいのでは」と校長に反対された鈴川小の歴史を振り返る劇を子どもたちと成功させるなどしてきました。
田中校長はそうした教員の成長も目の当たりにしてきました。

「私の手元を離れてちゃんとした校長に指導を受けて立派な教員になってほしいね」と、いたずらまじりに笑う校長でしたが、そんな自分の言葉をかみしめながらもう一言こう言いました。

「子どもも成長するし、教員たちも成長するし、私幸せでしたね。いま気が付きました」

閉校をきっかけに…映像でみる自分たちに

閉校をきっかけに、新しい出会いもありました。

ある日の午後、北海道大学内の部屋に教員たちと3人の大学院生が集まりました。
授業の一環で鈴川小学校を数か月にわたり取材し、映像を作っていました。

映像のタイトルは、「明るき窓あけて」。
鈴川小学校の校歌の歌詞から名づけました。VTRでは鈴川小学校の日常のほか、児童や教員、保護者や地域の人たちの「閉校」に対する思いが記録されてます。

「人数が少ない中で自分たちにできることはやっていくという生き方、過ごし方が印象に残った」
「コミュニティが失われる悲しさがあるだけではなく、次は何をやろうかという空気感があって『追いかけたい』と思った」

人口減少や子どもたちの教育のあり方、小学校が抱える課題…。
院生たちはたくさんの学びを得て、映像制作へのモチベーションにしていました。


思い出に変わる今を焼きつけて

北大院生制作動画より

2月の下旬、完成したVTRのお披露目会に院生たちが鈴川小学校までやってきました。子どもたちが椅子を持って体育館に集まってきます。

ある教室でのインタビュー。4年生の米陀日香さんが「(2年生の)一途ちゃんが卒業するまで鈴川小学校があってほしい」と話すと、一途さんも「人数が少なくてもいい」と応じます。

北大院生制作動画より

朝の会、音楽の授業、体育の授業、給食の時間、太鼓の練習、帰りの会。
神輿を出した、夏祭り。
太鼓を披露したまちの催し。

これからは思い出に変わる、そんな何気ない日常の風景が映し出されていきます。

北大院生制作動画より

5・6年生の担任・松本里和教諭は「子どもたち主体で動いていけるかな、考えていけるかを一番に考えるようになった」と閉校が決まってからの日々を振り返っていました。

自分が映ると照れくさそうにしていた子どもたちですが、保護者や卒業生・地域の人、先生たちの学校への思いを聞き、だんだんと真剣な表情へと変わっていきます。

閉校を迎えるにあたってまとめられた記念誌には、2~5年生の子どもたちの学校への思いが綴られていました。

4年生・米陀日香さん
「私は、学校の太鼓がいつまでも今のまま残ってほしいと思っています」

2年生・小出一途さん
「私は一輪車が今のまま残ってほしいです」

5年生・工藤瞳子さん
「鈴川小学校が閉校してしまうのは悲しいし、卒業するまでいたかったな」

5年生・小出琴さん
「鈴小で勉強したり、遊んだりできて楽しかったよ。たくさんの思い出をありがとう」

この学び舎を巣立つ日は、もう目の前です。


いよいよこれが最後だ

そして、この冬を締めくくるような大雪の日。

鈴川小学校最後の卒業生を送り出そうと、たくさんの人たちが集まっていました。
春から札幌に引っ越すことを決めている校務員の金井さんがこうつぶやきます。

「1年生の小さいときから6年間であんなに大きくなったんだ…。みんなこうして卒業してくんだ。いよいよこれが最後だ」

「卒業生が入場します」

体育館の扉が開き真ん中に敷かれた花道を、担任の松本教諭とともに卒業生の加藤愛己さんが、1歩1歩進んでいきます。

この1年、鈴川小学校で過ごした児童・職員の9人で歌う校歌も、きょうで最後です。

田中豊校長の式辞です。

「在校生の4人も鈴川小学校をきょうで卒業です。4月からは新たな気持ちで、愛己さんと同じバスに乗って、喜茂別中学校と喜茂別小学校へ元気に通ってほしいと思っています」

鈴川小学校最後の卒業生となった6年生の愛己さん。一緒に過ごした後輩たちへのエールは、お姉さん役をつとめてきた愛己さんらしい言葉でした。

「最後の1年をこの5人で過ごすことができてよかったです。喜茂別小学校に行っても一人一人の良さや、優しさを大切にしながら過ごしてください」

愛己さんの両親、担任の松本教諭のほかにも、在校生の保護者など多くのひとたちの目に涙が光っていました。

撮影を終え、私たち取材班が帰ろうとしていると、子どもたちが後ろから自然に集まり、見送ってくれました。

玄関先のベンチには、以前の取材の際に学校にプレゼントした「もんすけ」のぬいぐるみ。よく見ると、脇には紙粘土でつくった小さなバナナを持っています。

図工の時間に作ってくれたのだといいます。

「ありがとうございました~おきをつけて~」
「またね~」

鈴川小の子どもたちは私たちの姿が見えなくなるまで、手を振っていてくれました。

少子高齢化の中で全国的にも学校の数は減っています。
思い出の校舎がすでにないという人も多いかもしれません。

鈴川小学校の閉校後の校舎の利活用について、町教委は「関係者と協議し、模索していく」としています。

子どもたちからは「キャンプ場」「子どもだけの遊び場」「遊園地」などとの声がありました。

田中校長は「数年後に卒業生が訪れたときに、思い出が思い起こされる状態で残ってほしい」と話していました。

文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は取材時(2025年3月28日)の情報に基づきます。

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