デヴィッド・ボウイの最後のミュージカルに挑む、松岡充と白井晃が日本版『LAZARUS』のヒントを語る!
稀代のロック・スター、デヴィッド・ボウイのラストアルバム『★(ブラックスター)』と同時期に制作され、遺作ともなったミュージカル『LAZARUS』。その待望の日本初演は、演出を白井晃、主人公のニュートン役をSOPHIAのヴォーカリスト、松岡充が務めることになった。白井はボウイと共に今作の脚本を担当したエンダ・ウォルシュの作品を既に3作品も手掛けており、松岡はボウイへの憧れからロック・スターへの道を志したと公言していて、今回はまさに絶好のタイミングでの初タッグだと言える。二人に、作品への想いを語ってもらった。
――『LAZARUS』というこの作品に取り組むにあたり、白井さんはまずどういうポイントに最も魅力を感じられたのでしょうか。
白井 デヴィッド・ボウイといえば、僕が10代の頃からもうずっと音楽界を席巻していた方です。当時から僕はさまざまな音楽が好きで、クラシックからジャズ、ロック、フォークなど本当にいろいろなジャンルに興味を持っていましたから、もちろん好きなアーティストの一人でしたし、彼の音楽に非常に惹かれていたところはありました。でもそれとは別に、この作品をやるきっかけになったのはやはり脚本がエンダ・ウォルシュだったことが大きいです。僕はこれまで、『バリーターク』『アーリントン』『Medicine メディスン』とエンダ・ウォルシュの作品を3作品演出してきて、あの独特の世界にすっかり魅了されてしまっているので。ちょうど『バリーターク』をやっていた頃だったように思いますが、エンダ・ウォルシュがデヴィッド・ボウイの遺作となったミュージカルの脚本を書いていると知り、すごく驚いたんです。「ええっ? デヴィッド・ボウイの音楽で、エンダ・ウォルシュが脚本? それはちょっとどういうものか知りたい!」と思い、今回翻訳をしていただいている小宮山智津子さんに「ラフでいいからちょっと訳してほしいんです!」とお願いをして、自分だけで「ふむふむ」と読んでいたという(笑)。
――上演するかどうかは二の次で、どんな脚本なのかを個人的に知りたかったと?(笑)
白井 そう、まず知りたかったんです(笑)。それをKAATのプロデューサーに話していたんですが、あいにくその時期にコロナ禍になってしまって。
松岡 ああ、そんなに前の話だったんですね。
白井 それで、その時は有耶無耶になってしまったんですけど、いつかやれたらいいな、とぼんやりと思っていました。そうしたら幸いなことに、今回のプロデューサーが「やろうじゃないか!」とおっしゃって、KAATの芸術監督である長塚圭史さんも「ぜひ!」と言ってくださって、こうして実現することになったというのが、ここまでのいきさつです。
――時間はかかったけれど、ようやく実を結ぼうとしているんですね。
白井 そうです。でも、本当にできる日が来るとはあまり思っていなかったんですよ。いろいろな条件が揃わないとなかなか上演できる作品ではない、ということも確かなので。
――確かに、簡単な作品ではなさそうです。そもそも、いわゆるヒット曲で紡いでいくようなジュークボックスミュージカルとは全然違う作りになっていますし。
白井 逆に、ジュークボックスミュージカルだと言っちゃいけない、むしろ言わないほうがいいと思っていますから。でも、自分が何でこの作品に興味があったかと考えると、「デヴィッド・ボウイがエンダ・ウォルシュに脚本の執筆を依頼した」という事実、これがとにかく興味深くて。
松岡 はい、わかります。
――なんでなんだろう?って思いますよね。
白井 非常に不思議な本を書くエンダ・ウォルシュの作品の、どこにあのデヴィッド・ボウイが惹かれたんだろう、と。そこに俄然、興味が湧いたんですよね。のちに、エンダ・ウォルシュが語っていた記事を読むと、デヴィッド・ボウイから「君の作品を全部読んだんだ、君がなぜこういう作品を書いているのかということにすごく興味があるのでぜひお会いしたい」という連絡があって、そこからスタートした作品らしいんですよ。
松岡 へえ~!
白井 ニューヨークの事務所で、エンダ・ウォルシュは「あのデヴィッド・ボウイが目の前にいる! 僕の作品を全部読んでるだなんて、なんてことだ!」と思ったらしいです(笑)。僕も最初は不思議に思ったんですが、やはり腑に落ちるところはあったんですよね。だってデヴィッド・ボウイがそれまで描いてきた世界、たとえば彼は“ジギー・スターダスト”という特定のキャラクターになって星からやってきた人物を作り出して、そのストーリーの中で、現世を生きている自分とは別の世界観を意識させたりする曲や作品を多く出しているんです。まさにエンダ・ウォルシュもそういう作品を多く書いている作家なので、僕としても、なるほどね!と何かが腑に落ちたんです。だからこそ、この作品を日本で上演するのであれば、ぜひとも自分にやらせてほしいと思っていました。
――そういうことだったんですね。
白井 それとね、僕は誤読をするのがすごく好きなので……って、なんだか僕ばっかり喋っちゃってましたね(笑)。
松岡 いやいや、もうちょっと白井さんの誤読の話を先に聞かせてください(笑)。
白井 すみません(笑)。つまり演出というものは、本当に間違っているのかどうかは別として、どう誤読するかが大事だと思っているんです。誰もが知る名作でもなんでもいいんですけど、「僕自身は、この作品をこう読みたいよ思った」という、その思い込みの激しさが演出になるんだと思っているので。
松岡 それはわかる気がします。
白井 そういった意味では、エンダ・ウォルシュの作品って隙間をいっぱい与えてくれるんです。「なんだこれ?」とか「またこんなこと書いてるよ」とか「なに、この会話?」って思いながら読むわけですよ。「この言葉たちは一体どこを漂ってるんだろう」とか「これは本当は、誰が会話しているんだろう」とか、それぞれジョンとかメアリーって名前は書いてあるけど「これは本当にジョンなのかな」とか、いろいろ想像してみたりするのが面白い。「20代みたいに書いているけど、このジョンというのは本当はおじいちゃんかも」、そして読み進めていくと「ほぉら、やっぱりおじいさんじゃないか!」と気づいて楽しくなったりして。
松岡 アハハハ!
白井 そういう面白さが、エンダ・ウォルシュ作品にはあるんです。一度も会ったことはないですけど(笑)。きっと直接会わないほうがいいんだろうなと思ってもいます。
松岡 だけど、おそらく実際に会うよりも深い部分で会っているようなものですよ。そうやって一緒に心の旅を、作品と共にしている感覚なんでしょうね。すごく素敵です。
――その作品にお声がかかって、松岡さんはまずどう思われたんでしょうか。
松岡 もしかしたら敵に回す人が増えるかもしれませんが、僕は構わないと思ってるんで言っちゃいますね(笑)。今現在の日本で、この作品の初演の舞台にキャストとして、役者として、表現者として、ニュートンを演じることができるのは僕以外にいないと思います。そこは、自信があります!(笑) といっても、この作品でニュートンを演じるということはデヴィッド・ボウイに関して誰よりも理解できているという意味ではなくて。現実に、僕もティーンエイジャーの頃には憧れていましたが、それは何に憧れていたのかは自分でもよくわからない。デヴィッド・ボウイという名前なのか、ジギー・スターダストという存在なのか、バンドなのか、ソロアーティストなのか、ロックなのか、ジャズなのか。さらにはニューミュージックなのか、ニューウェーブなのか。とにかく追っても追っても、常に混乱させられるばかりのアーティストでしたから。そういう時代でもありましたしね。だけど気づいてみれば、僕が自分の表現としてやっていること、とても影響を受けていた。これは偶然が偶然を呼んできたのかもしれないけれど、結果的にはバンドのボーカリストとしてデビューして30年間ステージで歌い続け、その間も“外様だけど”と言いながらも20年以上芝居をやってきたんです。よく、役者の顔とミュージシャンの顔はどう違うんですか、どっちが本当なんですかと聞かれますけど、僕にとっては全部一緒なんですよ。ただ、方法論が違うだけ。舞台の時は脚本があって演出があって、その中から生まれたキャラクターの感情に初めて出会い、それを自分の人生の中に新たな自分として入れ込んで、そこから出てくる叫びを客席に向かって届けているので。
――そういう意味では、歌も演技も一緒なんですか。
松岡 一緒ですね。全部オリジナルで、全部自分が生み出したもので、全部客席に届けている。自分は一体、何者なんだろうと僕もよく思いますよ。あれもやって、これもやって、こんなこともやってみたい!とか、いつも思っているし。でもこれって、おこがましいですが、まさに僕が憧れたデヴィッド・ボウイと同じようだとも思うんですね。それこそ白井さんも今、おっしゃっていましたけど、エンダ・ウォルシュという、存在としてはもしかしたら対極にいるかもしれない人にアプローチして一緒にものづくりをしようというのも、結局はデヴィッド・ボウイが過去からずっとそれをやり続けてきた人でもあるので。
――確かに、さまざまなタイミングで、いろいろな人とコラボレーションしていました。
松岡 そう。人々がびっくりするようなカップリングを実現させ、その度にみんな「意味がわからない!」って思って(笑)。そのせいで「いやいや、あれは私たちの好きなデヴィッド・ボウイじゃない」と離れていく人が大勢いたとしても、その新たなデヴィッド・ボウイに熱狂し許容した若者たちもたくさんいた。そうやって活動してきたアーティストが、最後に自分の死を覚悟して「ああ、この現世での俺の役割を終える時が来たな、じゃあ現世での最後のメッセージを残そう」ということで、“ラザロの復活”から取った『LAZARUS』というタイトルにし、そういうメッセージを元に『★(ブラックスター)』というアルバムをリリースし、このミュージカルの脚本をエンダ・ウォルシュにお願いして、キャスティングをやって、舞台の初日を見届け、その翌年に亡くなる。そんな作品を、ここ日本でやるわけですから。もうね、僕は知りたくて仕方がないんですよ、「なんでなの?」って。もちろん、物語のストーリーとしてはわかりますけど、なぜこれを彼は伝えたかったのか。この作品に含まれている彼の本当のメッセージは何なんだろう?ということが、ものすごく知りたい。それで、これから白井さんとキャストのみなさんと一緒に、それを探す旅に出ようということです。ただし、おそらくその答えは、わからないんだと思います。きっと、本人にしかわからないことでしょうしね。
――けれど、自分の中で何か得られるものはありそうですね。
松岡 そこはもう大いに、白井さんと共に誤読していこうと思います!(笑)
白井 今、松岡さんのお話を聞いていて、松岡さんはアーティストとして、デヴィッド・ボウイが考えていたこととすごく近しいところにいらっしゃるんだなということを、改めて感じました。デヴィッド・ボウイは確か、「僕は自分の音楽の奴隷ではない」というようなことを言っていて。音楽というものは自分のために鳴っているもので、だから自分はアーティストとして表現するのにふさわしい音楽を常々選んでいるんだ、だから変わっていくんだと。つまり、その時の自分が表現したいものに合わせてどういう音楽がいいかを選ぶから、いきなりアコースティックでやりだしたりとか、急にそれまでと全然違う曲調になったりするんですね。俳優をやったり、さまざまな活動を始めたりするのも、自分がやりたい表現が、その時々でシンガーであったりアクターであったりする必要があったんだろうなと思うんです。そういった意味では松岡さんも同じなんじゃないだろうか、と思いました。SOPHIAで活動されていること、ソロでされていること、また俳優としてされていること、舞台でミュージカルに挑戦されることなどもすべて含めてそうなんだろうと。僕も直接、デヴィッド・ボウイとお話したことがあるわけでもないから本当のところはわからないけど、きっと松岡さんと同じように考えていたように思えるんですよね。今のお話を聞いていて、そう強く思いました。
――そして現段階では、日本版『LAZARUS』はどういう演出にしようと思われているのでしょうか。
白井 僕は戯曲を読んだ時の「あ、こっちの方向で行こう」とか「こういう形でやってみたい」という、ファーストインプレッションでやるケースが多いんですが、今回はなんだかぐるっと一周まわっちゃった感じがあるんですよ。
松岡 へえ~、そうなんですか!
白井 初めに台本を読んだ時には「この空間は、絶対ここに違いない」と思うものがあったんだけど、戯曲に合わせて音楽も一緒に聴いていくと「ん~? 違うかもしれないな、もっと広がっているのかな、こっちかもしれない」などと思い直したりしていたんです。初演以降、各国でさまざまな演出で上演されているようですが、デヴィッド・ボウイの「ラザルス」や「ブラック・スター」のPVをいていると、やはりここは、初演の時にボウイとエンダ・ウォルシュが演出のイヴォ・ヴァン・ホーベと作り出した世界に原点があるように思え、そこに戻るべきだと今は思っています。その上で、自分が誤読したい方向を強調し、エッジを効かせていきたいと思っているところです。
松岡 本当は、曲のアレンジもしちゃダメだし、脚本も変えちゃダメだというのがあるはずなんですけどね。曲のアレンジは、めちゃくちゃ変わっているバージョンがあったりするんですよ。
――では、日本版はどうしましょうか?(笑)
白井 そう思ったところで、やっぱりぐるっと回って「原点に戻ろう!」というのが今の自分の考えです。しかも、よりピュアに、原点に戻りたいという気持ちになってきた。自分がこの戯曲を読んでいる時に、最初に感じた「うわ、この言葉たち!」という想い、「このニュートンという男は、絶対こうに違いない!」と思った自分のイメージに傾けていこう、と。デヴィッド・ボウイが、PVとしては最後に残した『LAZARUS』の世界観、ラザロの復活のごとく、まさにあそこに戻って、この話全体を僕はどう捉えたかということをひたすらピュアにやってしまおう!と、今は思っています。
――稽古もまだこれからだとは思いますが、今の時点で松岡さんはニュートンをどう演じたいなと思われていますか。
松岡 これは白井さんがおっしゃっていたこととも近いんですけど、僕もたぶん一周ぐるっとまわって戻るという気持ちです。それは初演のニューヨーク版がすべてだということでもなく、デヴィッド・ボウイとエンド・ウォルシュが書いた、最初のメッセージを伝えるための戯曲、というところに僕は行きたいなと思っているんですね。だからニュートンをどう演じるかというよりは、人間の心をステージ上で表現するならこういう柔らかさになりましたとか、こういう襞(ひだ)がゆっくり動いていますという感じ。演出や効果的なものでみんながやっていないことをして驚かすとか、ものすごいステージングで豪華に見せるとか、そういうことではなくて本質を表現したいんです。でも、それが一番難しいんだと思う、ごまかしがきかないから。舞台上に存在する役者の表現が、それこそものすごくピュアじゃないと成立しないし、少しでも混ざりものが入っていると破綻してしまう気がする。でもだからこそ、こういうキャストになったとも思うんですよね。だって普通に考えたら「えっ、この人これだけしか出番ないの?」って場合もありえるので。つまりメインキャストでも、出番の分量じゃないんです。たとえば“怒り”とか、その感情がひとつでも欠けたら人間の心としては成立しないんだけど、それはちょっとでもあれば事足りて、そこから広がっていったり、しぼんでいったり、逆に“喜び”に占領されていったりもする。でも少しでもその要素がなければ表現にならないわけです。そういう、ちょっとずつの感情が合わさっていく表現がなされる中で、その真ん中にいてもしかしたらストーリーテラーみたいな役割になるのが、ニュートンなんじゃないかと。それを導いているのが少女で、その少女も天使に見えることもあれば悪魔に見えることもあり、でも実際は全然違ったりもする。もちろんストーリーはあるんだけど、すごく繊細で、一人一人のキャラクター、セリフも一言一言、音楽も一曲一曲がすごく複雑に組み合わせてあるから。たとえるならジェンガの塔みたいに、それもきっちりしていない状態の(笑)。場所によってはものすごく出っ張っていたりもして、どうやってこれ、立っていられるの?くらいに。
――バランスがすごいことになっている(笑)。
松岡 一個ズレたら終わる!みたいな。でもすごく純粋な形で、それは誰かが組んだものではなく、ボン!と最初からそこにあったものだというか。それを、デヴィッド・ボウイとエンド・ウォルシュは表現しようとしていたんじゃないかなと、僕は思うんです。
――とにかく壮大で繊細な、すごいものが生まれそうです。
松岡 そうなんです(笑)。だから改めて準備することもなくて、ひたすら純粋に毎回の稽古に挑みたいと思ってます。本番も一本一本、生まれて初めてという想いでいないと。これ、よく言うんですけど、慣れちゃうと良くないんです。僕の場合はほら、常にライブで生きてきたので。本当に「今日死んでもいい」と思ってギリギリのところで毎回歌っていますからね。2daysのライブでも明日のことを考えないタイプなんです(笑)。だけど、そういう気持ちでやらないと嘘になると思っちゃうんですよ。それは演劇でも同じです。
――そこまでの気持ちでなければ表現できない、成立しない作品だということ。
松岡 はい。その瞬間に生まれ、ワンステージごとに違う世界に旅立つような、そういう作品だと思います。
――では最後に、観にいこうかどうしようかと思って記事を読んでくださっている方に向けて、ぜひともお誘いの言葉をいただけたらと思いますが。
松岡 迷っているということは、きっと演劇やライブも含め、エンターテインメントというものに価値を見出してくださっている方だと思います。僕も「あ、観たいな」と思った時にはもうやっていないとか、「ナマで聴いてみたい」と思った時にはそのアーティストは居なくなっていた、みたいな経験がいっぱいあるんですよ。本当だったらリアルタイムで観たかった、聴きたかったのに、って。ですから、迷っているということは、もうこの作品と出会っちゃった方ですから。この出会いを放棄する自信があるなら、それで本当に後悔しないのなら……(笑)。僕としては、きっと後悔すると思いますよ~ということで。だからつまり、ぜひともいらしてください!
白井 僕からは……、ではこれは僕が演出する最後の作品になるのでぜひ観に来てください、と。
――ええ?(笑)
松岡 いや、本当にそうですよ。僕だって、この作品が最後の出演です!(笑)
白井 いや、これは雑談ですけど、宮沢賢治は37歳で亡くなっているんですけど、僕は『銀河鉄道の夜』を37歳の時に演出しているんです。そしてベートーヴェンは55歳6ヶ月くらいで亡くなりましたが、僕は55歳の時に『No.9』を演出していて。デヴィッド・ボウイは69歳で亡くなっているんですけど、僕もあと少しでその年齢に近づくんですよ。ですから……これがきっと最後になるんです(笑)。
――そのくらいの覚悟で、そういうこともあるから後悔しないように、と(笑)。
白井 歳をとってくると、本当に毎回そうなるかもしれないとは思っているんですよ。その上で、まあ、もうちょっとだけ真面目に話をすると(笑)。今回の舞台は少なくとも、これまでミュージカルファンの方々が想像される“ミュージカル”とはまったく違うスタイルの舞台になる、ということは確かだと思います。ストーリーとしても、こういう物語のミュージカルって他にはないと思いますし、今後もあまり出てこないかもしれません。そのくらい、ちょっと違うタイプの作品であることは事実ですので、しかもそういうのが私はとても好きでして、思いっきりやっちゃうんで!(笑) そこに好奇心を刺激された方は、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいと思います。
松岡 もう、白井さんはマジで思いっきりやっちゃいますので! そこも含めて、お楽しみに!!(笑)
取材・文=田中里津子