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阪神タイガースの歴代ショート 「牛若丸」吉田義男氏から受け継がれる名手の系譜

SPAIA

阪神の木浪聖也,ⒸSPAIA

吉田義男

阪神タイガースで監督を3度務め、1985年に球団初の日本一に導いた吉田義男氏が脳梗塞のため、2月3日に死去した。91歳だった。

現役時代は華麗な守備で「牛若丸」と称され、巨人のショート・広岡達朗氏とたびたび比較された。阪神には堅守でならした名ショートが多いが、その系譜は吉田氏に始まると言えるかもしれない。甲子園を沸かせ、虎党をうならせた阪神の歴代ショートを振り返る。

吉田氏は山城高から立命館大を中退して1953年に阪神入団。1年目から128試合に出場すると1954年に51盗塁、1956年に50盗塁で2度の盗塁王に輝き、ベストナインには歴代最多の9度も選出された。

不動のショートとして1962年のリーグ優勝に貢献。1964年には当時のプロ野球記録だった179打席連続無三振、打率.318をマークし、走攻守で2度目のリーグ優勝に貢献した。1969年に引退するまで通算2007試合に出場し、1864安打、350盗塁、打率.267の成績を残している。

引退後は阪神の監督に3度就任。1985年には「第2次ダイナマイト打線」と呼ばれた強力打線で21年ぶりのリーグ優勝と球団初の日本一を達成した。監督通算484勝を挙げ、現役時代の背番号23は球団の永久欠番となっている。

藤田平

吉田義男からショートのポジションを奪ったのが藤田平だ。

市和歌山商から1965年ドラフト2位で阪神入団。2年目の1967年には吉田義男をセカンドに追いやってショートのレギュラーをつかみ、リーグ最多の154安打を放って打率.291をマークした。

30歳を過ぎてからはファーストでの起用も増えたが、シュアな打撃は健在。1981年に打率.358で首位打者に輝き、1983年には生え抜きとして初の通算2000安打を達成した。通算2064安打、207本塁打、802打点、打率.286の成績を残して1984年に引退した。

二軍監督に就任した1995年シーズン中に中村勝広監督が休養したため一軍監督代行を務め、4年目・桧山進次郎の4番抜擢、捕手だった関川浩一の外野コンバートなど改革を断行。翌1996年から正式に監督就任したが、同年9月に解任された。

真弓明信

真弓明信は1978年オフに田淵幸一、古沢憲司との大型トレードで若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史とともにクラウンライターから阪神に移籍。1年目から1番ショートとして活躍し、セカンドにコンバートされた1983年には打率.353で首位打者に輝いた。

1985年には外野に転向し、切り込み隊長として打率.322、34本塁打、84打点をマーク。3番バース、4番・掛布雅之、5番・岡田彰布とともに打ちまくり、日本一に貢献した。

その後、徐々に衰えが目立ち始めると代打の切り札として活躍。通算1888安打、292本塁打、886打点、200盗塁の成績を残し、1995年に引退した。

引退後は近鉄のコーチを経て、2009年から3年間、阪神監督として指揮。3シーズンで通算433勝を挙げた。

平田勝男

明治大から1981年ドラフト2位で入団した平田勝男は、2年目の1983年に真弓明信の故障を機にショートのレギュラーに定着。1984年から4年連続ゴールデングラブに輝くなど名手として名を馳せた。

1985年は7番打者ながら7本塁打、53打点をマークするなどバットでも貢献。陽気なキャラクターで人気の高い選手だった。1994年の現役引退まで通算979試合に出場し、633安打、打率.258の成績を残している。

引退後は阪神でコーチを歴任。2002年には明治大の先輩でもある星野仙一の監督就任に伴い、監督専属広報を務めるなど、球団との関わりは誰よりも長い。2025年からは二軍監督を務めている。

和田豊

日本大から1984年ドラフト3位で入団した和田豊は、1988年に村山実監督から平田勝男に代わるショートに抜擢された。大野久、中野佐資とともに「少年隊」と呼ばれ、2番として当時のNPB記録を更新する56犠打を記録した。

その後もシュアな打撃で活躍し、1992年からは岡田彰布に代わってセカンドに定着。2001年に引退するまで通算1713試合で1739安打、打率.291の成績を残した。

引退後はコーチを歴任し、2011年オフに監督就任。優勝には届かなかったものの4シーズンで2位2回など、通算575勝を挙げた。

久慈照嘉

久慈照嘉は東海大甲府高から日本石油を経て1991年ドラフト2位で阪神に入団。1年目からショートのレギュラーとして121試合に出場し、新人王に輝いた。打率.245、本塁打なしと打撃ではそれほど目立たなかったものの堅守が高評価され、「平成の牛若丸」の異名を取った。

1997年オフに大豊泰昭、矢野輝弘との交換トレードで関川浩一とともに中日へ移籍。1998年以降は今岡誠、田中秀太、沖原佳典らがショートで起用されたが、なかなか固定できない時代が続いた。

久慈は2003年から阪神に復帰し、2005年に引退するまで通算1199試合に出場。引退後は阪神でコーチを歴任した。

藤本敦士

「暗黒時代」と呼ばれた低迷期を乗り越えて優勝した2003年、ショートのレギュラーを務めたのが藤本敦士だ。2000年ドラフト7位で入団し、野村克也監督が命名した「F1セブン」の一人。俊足巧打の左打者だった。

2003年は127試合に出場して打率.301をマーク。「恐怖の8番打者」として18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

しかし、2005年からは鳥谷敬がレギュラーに抜擢されたためセカンドへコンバート。2008年にオリックスからトレードで平野恵一が加入すると出番が減り、2009年オフにFA宣言してヤクルトに移籍した。

1000試合出場を達成した2013年に引退。その後は阪神でコーチを歴任しており、2025年から一軍総合コーチを務めている。

鳥谷敬

藤本に代わってショートのレギュラーを長く務めたのが鳥谷敬。早稲田大で三冠王に輝き、2003年自由獲得枠で阪神入りすると、2005年からショートのポジションに定着した。

2009年に自身初の20本塁打、2010年にキャリアハイの104打点をマークし、2011年には.395で最高出塁率に輝くなど攻守で活躍。2018年5月27日の巨人戦まで、667試合連続フルイニング出場を含むNPB歴代2位の1939試合連続出場を記録した。

2020年から2年間はロッテでプレー。通算2243試合で2099安打、138本塁打、830打点、131盗塁、打率.278をマークし、2021年に引退した。

鳥谷が次第にサードでの起用が増えてからは北條史也、大和、糸原健斗、植田海、小幡竜平、中野拓夢らがショートを守ったが、岡田彰布監督が就任した2023年から木浪聖也で固定。同年は8番ショートとして活躍し、18年ぶりの優勝に大きく貢献した。

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記事:SPAIA編集部

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