明林地蔵尊と徳明地蔵尊【駅ぶら】06京王電鉄410 井の頭線41
※2024年2月撮影
トップ画像は「東松原駅」西側の踏切を南に歩いて5分ほどにある「明林地蔵尊」。
「子育 明林地蔵尊」と表示がありますが、それ以外には情報はありません。
※2024年2月撮影
昭和十六年五月四日と刻まれています。
※2024年2月撮影
1941年(昭和16年)と言えば、12月に日本海軍が真珠湾の米軍基地を急襲し太平洋戦争が始まった年です。その頃、この付近は、農地と農道の広がる長閑なエリアだったでしょう。今はびっしり住宅で埋まっていますが。
さらに西に歩きます。
※2024年2月撮影
ちょっと不思議な四叉路の中央に地蔵堂があります。
※2024年2月撮影
「徳明地蔵尊」とマップには表示されています。
※2024年2月撮影
お堂の横に案内看板がありました。
※2024年2月撮影
その内容は以下です。
「徳明地蔵尊 ー南無阿弥陀仏ー
徳明の名は、お地蔵様の慈悲、徳によってこの地が明るく住み良い町になるようにと願って、なづけられました。
この地蔵尊は、江戸時代末に建てられたが、事情があって他所に移されていた。昭和の初め、子どもが疫病にかかり、村に不幸が続いた。そこで、村人はお堂を建てて、徳明地蔵尊と命名しここに安置した。
昭和39年、地元有志で地蔵保存会(略して地蔵講)をつくり、その維持、供養に当たることになった。
それからは病はなくなり、平穏な町となりました。地蔵尊は、いつも路傍にあって雨、風に当たりながら過去、現世、未来の三界にわたって庶民の苦を救い、幸運をもたらしてくれる佛様であります。
即ち、過去に苦界、地獄に落ちた人を救い、現世の家内安全、商売繁盛、交通安全、病気平癒の願いをきき、未来は極楽浄土での往生をかなえてくれる有難い佛様である。
この講には昔、輪になって坐り、大きな数珠を順に送って念仏を唱える廻し念佛と四つの鉦と二つのうちわ太鼓とを打ちながら、念佛する六催念佛がありました。地蔵講発足四十周年を記念して、ここに由来などを識します。
平成十七年春彼岸 松原五、六丁目地蔵保存会
なお、ここから北東へ(松原駅方面)約百メートルの所に明林地蔵尊が祀ってあります。」
先に拝観した明林地蔵尊にも触れられています。
北西に歩いていたら個人のお住まいの一隅にもお地蔵様がありました。
※2024年2月撮影
「東松原駅」の方に戻っているとマップに「人魚像」と表示されています。施設のエントランスに設置されていました。
※2024年2月撮影
住宅街の中には、お庭に鳥居とお社のあるお宅が時々あります。「新代田駅」の近くでも見かけました。
※2024年2月撮影
次回は「東松原駅」から「明大前駅」に向かいます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)