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#3 時代の転換が、名著を生んだ 土屋惠一郎さんが読む、世阿弥『風姿花伝』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#3 時代の転換が、名著を生んだ 土屋惠一郎さんが読む、世阿弥『風姿花伝』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

土屋惠一郎さんによる、世阿弥『風姿花伝』読み解き

新しきが「花」である――。

室町時代、芸能の厳しい競争社会を生き抜いて能を大成した世阿弥の言葉は、戦略的人生論や創造的精神に満ちています。

『NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝』では、土屋惠一郎さんの解説で、「秘すれば花」「初心忘るべからず」など、世阿弥の代表的金言を読み解きながら、試練に打ち勝ち、自己を更新しつづける奥義を学びます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)

時代の転換期に生きた戦略家

 世阿弥はなぜ、このような画期的な仕事を残すことができたのでしょうか。それは、世阿弥が時代の大きな転換点にいたからだと考えられます。

 一つは、能が年功序列の組織から、「人気」という外部評価による組織へと変わったという転換です。これは、観阿弥の全盛期に具体的な契機がありました。京都の今熊野で、将軍足利義満臨席の下、観阿弥・世阿弥親子が演能した際、通常は座の長老がやる「翁(おきな)」という舞を、人気を重視して観阿弥が演じたのです。これが、父子が義満から後援を受ける契機となり、その後の能の大きな発展につながりました。と同時に、年功序列の安定した秩序が崩れ、より不安定な「人気」を中心とした激しい競争社会に突入していくことになったのです。

 もう一つの転換は、能の興行のうしろだてとなるパトロンが変化した点です。能はもともと、神社や寺のお祭りで上演されるなど、宗教行事と密接に結びつく形で発展してきました。能の上演のもっとも古い記録は、貞和五(一三四九)年二月、奈良は春日神社の春日若宮臨時祭で上演されたというものです。世阿弥自身、能役者はたとえ旅興行に出ていたとしても、春日の御祭(おんまつり)や、奈良の多武峰(とうのみね)で行われる祭礼などは絶対に欠席してはならないと言っています。

 しかし、同時に世阿弥は、そうした宗教的な結びつきから、能がどうやって作品として自立できるかについても考える必要に迫られていました。なぜなら、観阿弥や世阿弥が活躍した時代には、能のパトロンが神社など宗教的なものから、貴族文化を愛好した足利将軍家へと移っていったからです。世阿弥は、足利義満に始まり、義持(よしもち)、義教(よしのり)と三人の将軍の下で能に取り組みましたが、彼らの美意識や、その周りにいた文化人たちに、どうすれば能が受け入れられ、尊敬されるのかを徹底して考えぬいています。その戦略の中で、能の内容の基盤も宗教的なものから、貴族たちが愛好した文学や和歌の世界へと移っていくのです。

 世阿弥は「芸術」という言葉は使っていませんが、能を村落共同体的な「芸能」から、「芸術」として離陸させたいという思いも持っていたと考えられます。そして、そのために考え抜いた方策を、伝書として子孫に書き遺したのです。

 安定から競争へ。村落共同体から都市の文化へ。そのような時代の転換期に立っていた世阿弥だからこそ、その言葉は不安定な時代を生きる現代の私たちにもさまざまなことを教えてくれるのです。

『風姿花伝』には、能役者としての稽古(けいこ)の積み方や年の重ね方が、一つのシステムとして極めて具体的に書かれています。その背景に私は、「才能はありのままに任せればよいのではない。才能はつくられるものだ」という世阿弥の信念を見ます。

 天性の才能というものはもちろんあるでしょう。世阿弥もそれは認めていました。しかし一方で、努力することでつくられる才能もある。正しく稽古すれば才能は開花する。そう世阿弥は書いていました。

 このことを思うと、近代の小説家正宗白鳥(まさむねはくちょう)の逸話をいつも思い出します。白鳥はある編集者に小説家になるようにすすめます。その編集者は、「才能がないので」と答えました。白鳥はそれに対して「才能なんて」とつぶやいたと言うのです。才能で小説を書くのか、と言いたいのでしょう。それではどうやって小説を書くのか。

 この話につながることで、直接聞いた話で、唸りたくなる話もあります。画家の入江観(いりえかん)さんは現在の画壇を代表する一人ですが、師として仰いでいたのは、今も多くのファンがいる近代画壇の重鎮中川一政(なかがわかずまさ)でした。入江さんは、神奈川県真鶴(まなづる)にある「中川一政美術館」の美術館運営審議委員です。ある時、入江さんが手を怪我して、そのために絵が描けないと中川一政に言ったそうです。その時に中川一政が言ったセリフが凄い。「君は手で絵を描くのか」。この話を入江さんから聞いた時は、本当に唸りました。才能とか技術ではない、他の何かがあって、小説も絵もできる。世阿弥が稽古を重視し、傲慢になるなと言い続けて、能役者となるためのシステムを考えた時、正宗白鳥や中川一政と同じ問題を提起しているにちがいないのです。

世阿弥が起こしたイノベーションとは

 世阿弥は、能の世界にさまざまなイノベーションを巻き起こしました。ここでは、その代表的なものをいくつか見ていきましょう。

 まず挙げられるのは、新しい物語のシステム(形式)を確立したというイノベーションです。このシステムは、世阿弥の言葉では「二ツ切(ふたつきれ)の能」と言われ、能の研究者の間では「複式夢幻能(ふくしきむげんのう)」と呼ばれるものです。物語が前半と後半の二つに分かれていて、後半は、前半に登場した人物の見る夢が舞台上で演じられる、という形式です。これは世阿弥が確立し、今でも上演し続けられている能の物語の定型です。どのような物語になるのか、簡単に説明します。

 まず、舞台にワキと呼ばれる旅の僧が登場します。やってきたところは、『源氏物語』や『伊勢物語』など、誰もが知っている物語や和歌にゆかりのある場所という設定です。そこに、シテと呼ばれる主人公が、里の女の姿で登場します。里の女ですから、普通の女性の格好をしています。この女が旅の僧に、ここがいったいどういう場所であるかを説明し、ここで起こった物語について語ります。そして終わり際に、実は自分はその物語に出てくる人物の亡霊である、という秘密を明かして去っていきます。これで前半が終わります。

 次に、前半と後半の間になされる間狂言(あいきょうげん)で、旅の僧と別の里人とのやりとりがあります。旅の僧が「さきほどこんなことがあったが、あれはいったい何だったのだろう」と聞く。すると里人が、「その人こそ、物語に登場する女性だったのだ」と答えます。旅の僧が、「もう一度その物語を話してくれないか」と頼むと、里人が正面の観客席の方に向き直り、「この土地には実はこういう物語があった」と話をします。さらに旅の僧に、「物語に登場する人はすでに亡くなっていて、さきほどの女性はその亡霊だから、弔(とむら)ってくれ」と頼みます。

 ここからが後半で、旅の僧はそこで眠りにつき、その夢の中に、さきほどの主人公が過去の物語の中の姿になって登場します。物語の主人公ですから、今度は美しい装束(しょうぞく)を着て出てきます。例えば、世阿弥の代表作の一つである「井筒(いづつ)」という作品では、在原業平(ありわらのなりひら)の妻であった紀有常女(きのありつねのむすめ)という女性が、前半では里の女として、唐織(からおり)という着物で登場し、後半では、在原業平がかつて宮中で着ていた初冠(ういかぶり)という冠と長絹(ちょうけん)という装束を着け、美しい男性の姿で出てきます。男性の役者が女性の主人公を演じ、さらに男装をして出てくるわけですから、相当なセクシュアリティのねじれがあります。主人公は、舞台の真ん中に置かれた井戸(井筒)をのぞきこみ、「見れば、懐かしや」と言う。水に自分の姿を映しながら、業平の姿をそこに見て懐かしむわけです。そして、その女の成仏できない苦しみを僧が弔い、最後、僧の夢が覚めて舞台は終わりとなります。これが、世阿弥がつくり出した「二ツ切の能」の物語のパターンです。

 このパターンの発見は、能に画期的な力をもたらしました。このシステムが発案されたことにより、能の量産体制が確立されたからです。旅の僧と、ある物語の場所と、僧が見る夢。この形式を用いれば、あらゆる物語を能の形に構成することができます。例えば、旅の僧が奈良の石上(いそのかみ)神宮の近くへやってくれば、さきほど挙げた「井筒」になり、京都の千本を舞台にすれば、藤原定家と式子内(しょくしない)親王(しんのう)の愛憎を描いた「定家」という能になる。つまり、新たにオリジナルの物語を創作しなくとも、既存の物語の舞台に僧が訪れていけば、同じ構造の物語がどんどんできるわけです。

 また、パターンが決まっているということは、今度はどの物語が取り上げられるのだろう、後半のシテはどんな装束で登場するのだろうといった、観客側のヴァリエーションへの期待にもつながります。

 世阿弥以後、世阿弥の息子である元雅(もとまさ)や、女婿(むすめむこ)である金春禅竹(こんぱるぜんちく)もこのシステムを使いながら作品をつくることができました。逆に、このシステムがあまりによくできているがために、これをいかに壊していくかという挑戦にもつながりました。いずれにしても、世阿弥はこの複式夢幻能という形式を発案したことによって、今日私たちが見ている能の基本的なパターンをつくってしまった。そこにやはり、世阿弥の偉大な創造性があると思います。

著者

土屋惠一郎(つちや・けいいちろう)
明治大学法学部教授。専攻は法哲学。中村雄二郎のもとでハンス・ケルゼン、ジェレミ・ベンサムなどの研究をするかたわら、能を中心とした演劇研究・上演の「橋の会」を立ち上げ、身体論とりわけ能楽・ダンスについての評論でも知られる。1990年『能── 現在の芸術のために』(岩波現代文庫)で芸術選奨新人賞受賞。芸術選奨選考委員(古典芸能部門)、芸術祭審査委員(演劇部門)を歴任した。北京大学日本文化研究所顧問。主な著書に『正義論/自由論── 寛容の時代へ』『世阿弥の言葉── 心の糧、創造の糧』(以上、岩波現代文庫)、『幻視の座── 能楽師・宝生閑聞き書き』(岩波書店)、『能、ドラマが立ち現れるとき』(角川選書)など。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス 世阿弥~風姿花伝」(土屋惠一郎著)第1章より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『風姿花伝』の引用は世阿弥『風姿花伝・三道』(竹本幹夫訳注、角川ソフィア文庫)、『花鏡』の引用は世阿弥『風姿花伝・花鏡』(小西甚一編訳、タチバナ教養文庫)、『至花道』は『日本古典文学大系 第65』(久松潜一・西尾実校注、岩波書店)を底本にしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2014年1月に放送された「風姿花伝」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「能を見に行く」などを収載したものです。

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