Yahoo! JAPAN

「生きた都市」の条件とは? 「再開発」が壊すものとは?【重田園江『シン・アナキズム 世直し思想家列伝』】

NHK出版デジタルマガジン

「生きた都市」の条件とは? 「再開発」が壊すものとは?【重田園江『シン・アナキズム 世直し思想家列伝』】

「無秩序」「破壊」「テロ」などをイメージしてしまいがちな「アナキズム」。こんな先入観をひっくり返して、思想としてのアナキズム本来の力をよみがえらせる新しい入門書『シン・アナキズム 世直し思想家列伝』が刊行されました。

アナキズムが本当は「手持ちの資源で・日常生活から・少しずつ変える」ことを目指す、誰にでも始められる思想であることを、小気味よい文体で多くのファンを持つ政治学者・重田園江さんがわかりやすく解説します。

今回は本書より『アメリカ大都市の死と生』やマンハッタンでの再開発反対運動で知られるジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブズについての一節を特別公開します。

1955年、ジェイコブズの家の近くのワシントンスクエア公園を突っ切る道路を建設するという計画に再開発の帝王、ロバート・モーゼスが着手します。隣接する地区での再開発によって逆に地域の荒廃が進んだことを知っていたジェイコブズは、どのような考えでこの公園を守ることを決意したのでしょうか。そして1961年には、自宅を含む地区が再開発の対象となってしまいますが──。

シン・アナキズム 世直し思想家列伝 書影

「生きた都市」の条件

▼グリニッジ・ヴィレッジの救済

『アメリカ大都市の死と生』第五章で、ジェイコブズは公園というのはただ作ればいいものではないと強調している。私たちはよく「都会には緑がない」「公園を増やしてほしい」というが、実際には誰も寄りつかない放棄された公園は、都市の荒廃をかえって加速させる。なぜかいつも人でいっぱいの公園が必ずしも広くもなければピカピカでもなく、一方で新しい遊具に替えた途端に子どもが寄りつかなくなる公園もあることにみな気づいているだろう(たいていは「安全に配慮した」という行政の責任逃れの言い訳にもとづいて何のニッチもない遊具に替えられ、子どもたちをがっかりさせたのが原因である)。

 ジェイコブズは、公園が豊かであるためには、時間帯や曜日によって異なったタイプの人たちが、別々のやり方でその場所を利用することが重要であるという。平日の朝と夕方はオフィスに行き来する人たちが通り、昼時にはランチを食べるのにベンチを利用する。それ以外の日中の時間帯は小さな子ども連れの主婦がやってきて、学校が終わると子どもたちの歓声が響く。夜になると繁華街に出入りする人がたむろし、休日の昼間は大人たちが楽器を演奏したり歌ったりして通行人がそれを見物する。そして地元に住む人たちは、頻繁に公園を横切り、顔見知りと立ち話をし、見知らぬ人々の活動を眺めて過ごす。

 こうした多様性は、公園の周囲の環境が人々を惹きつけることや、その場所が繁華街や人が出入りする場所への動線の一部となっていることで成り立つ。また、近隣に活気があることも重要である。平日の昼間だけ人が増えるオフィス街近くの公園は、朝夕の時間帯以外は閑散としてしまい、夜は無人になるので危険である。小さな子どもを連れた主婦しか集まらない公園も、夕方以降は無人になり、いつしか荒廃する。つまり、都心部に緑を増やすという配慮だけでなく、近くに多様な人々の活動や暮らしがあることが、生きた公園を作るためには重要である。ジェイコブズの考えでは、ブルドーザーで「スラム」を一掃してだだっ広い通路と高層団地の間に作った芝生公園は、それがどんなに広々としてピカピカでも、すぐに誰も寄りつかなくなり地域の荒廃の象徴のようになってしまう。彼女は現にそういった公園を、ロサンゼルスやフィラデルフィアなど全米各地で見てきた。

 さらに、活気ある公園を支える多様性は、都市計画家が図面や模型でシミュレーションを行ってあらかじめ用意することはできない。公園の活力は現にそこにあるものの観察から理解できるが、それは複雑な都市機能の一部であり、たとえば何ブロックか先のビルのテナントが変わるだけで様変わりするような繊細さを持つ。そのど真ん中に道路を突っ切らせて「渋滞を解消して街の機能を合理化する」などと考えるのは、とても図々しく愚かなことなのだ。

 ジェイコブズたちの住民運動は、ワシントンスクエア公園の道路縦断計画を中止に追い込んだ。これは小さな勝利であったが、実は戦前からこの公園を「改良」しようと何度も手を伸ばしてきた再開発の帝王ロバート・モーゼスにとっては、不愉快な一撃だった。さらに彼が強調した「道路がなければひどい渋滞が起こる」は、結局本当ではなかった。その後も周辺に目立った渋滞は起こらなかったからだ。この結末から、道路を通せば渋滞がなくなるわけではなく、迂回の工夫や不便であることそのものが車の通行量を減らす効果があることが分かってきた。そしてまた、徒歩での散策を魅力的にする街づくりには、排気ガスと轟音を残してただ通過していく車にとって一瞬の風景でしかない沿道の開発とは、全く異なる価値があることも明らかになった。

 ジェイコブズは一九六一年一月に、現在も都市論の古典として参照されつづけている『アメリカ大都市の死と生』をランダムハウス社から出版した。ところがそのすぐあとの二月に、ハドソン通りの自宅を含むグリニッジ・ヴィレッジ一帯がスラム地域に指定され、再開発の対象となったことを知る。ここで起きようとしていることは、ニューヨーク中、アメリカ中、そして世界中で、これまでもそれ以降も現在に至るまで起きつづけているジェントリフィケーションの一例だった。古い建物を破壊し、中小所有者にはとても手が出ない高級マンションに建て替え、地域住民は追い出される。代わりにあてがわれる住宅の交渉に応じなければ、住むあてもないまま放り出されるのだ。移転拒否は不法占拠のように扱われ、「住民エゴ」のレッテルが貼られる(ブラジルのクレベール・メンドンサ・フィリオ監督による、映画『アクエリアス』〔二〇一六〕を見よ。移転拒否は元住民からも罵られ、開発業者にシロアリをばらまかれ、家族も離散させられる)。

 ジェイコブズたちが反対運動をはじめたとき、ニューヨークはどこもかしこもモーゼスの巨大建築物や道路や公園などの「公共」事業のブルドーザーに圧されっぱなしで、再開発反対運動が成功した例は見当たらなかった。住民たちは「交渉」の場に引きずり込まれると、全くの力の非対称によってほぼ開発側の条件をそのまま吞まされてきたからだ。かといって、リンカーンセンターの場合の一部住民のように真っ向対決を選ぶと完全に無視され、ニューヨーク市は開発側の味方をして非情にも彼らを追い立てた。

 ジェイコブズたちはヴィレッジ救済委員会を作り、スラム指定を解除できなければ必ず住民が追い出されるであろうことを確認し、全面対決を念頭に戦略を練った。彼らは手続きや法律をつぶさに調べ、その不備や怪しいところを突くという方針を採用した。それによって明らかになったのは、架空の賛成派住民組織のでっち上げや、手続きの順序がまるで逆なのに見かけだけきちんと手順を踏んでいるようにするやり口、偽の嘆願書や署名を行う事務所の存在など、杜撰かつ卑劣なやり方の数々だった。

 また、反対運動に携わった人たちは、住民に対案を出させてそれをほんのちょっとだけ計画に取り入れ、彼らを追い出す口実にする行政の常套的な手法に、決して乗せられないよう注意を払った。考え抜かれた粘り強い運動戦略によって、グリニッジ・ヴィレッジ一帯は結局スラム指定を免れた。ジェイコブズたちは再開発に代わって今度は不動産投機という市場の魔手が住民を追い出すことを避けるため、ウエストヴィレッジハウスという低層住宅プロジェクトを構想した。

本書『シン・アナキズム 世直し思想家列伝』第1章では、ジェイコブズの考える「都市」の魅力やその源泉について、また都市再開発の観点から考える東京オリンピックの問題点などについてもお読みいただけます。

『シン・アナキズム』では、
・都市に住んで「開発計画の帝王」と渡り合ったJ. ジェイコブズ
・「タネをめぐるグローバリズム」との戦いで近年注目のV. シヴァ
・東大で猫と戯れながらアナキズムのイメージを転換させた森政稔
・「資本主義の真のオルタナティブ」を最もラディカルに考え抜いたK. ポランニー
・自由な精神によって人類史の常識を覆し続けたD. グレーバー
これら意外な共通点をもつ5人のアナキストの生き方と思想を追い、このうえなく明快に、現代の問題の根源を指摘していきます。

著者

重田園江(おもだ・そのえ)
明治大学政治経済学部教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程単位取得退学。修士(学術)。専門は政治思想・社会思想史。著書に『真理の語り手――アーレントとウクライナ戦争』(白水社)、『ホモ・エコノミクス』『社会契約論』『ミシェル・フーコー』(いずれもちくま新書)、『フーコーの風向き』『隔たりと政治』(ともに青土社)、『連帯の哲学 Ⅰ』(勁草書房、渋沢・クローデル賞)『統治の抗争史 フーコー講義1978-79』(勁草書房)、『フーコーの穴』(木鐸社)などがある。
※刊行時の情報です

■『シン・アナキズム 世直し思想家列伝』「はじめに」より抜粋
■注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。

【関連記事】

おすすめの記事