論理的な主張より、「結局君は、何がしたいんだ」を聞きたい人は、結構いる。
今日書きたいことは、以下のような内容です。
・昔会社の上司に、「何かを提案する時は、「○○したい」という主観的な希望の形でも表現できようにしておけ」「特に希望がなくてもある振りをしろ」と言われました
・仕事の上で、客観的に、冷静な意見を表明することはとても大事です
・ですが、時には「私は○○したい」という、主観的な希望の形で表現するのが有効な場合もあります
・何故かというと、「この人は自分ごととして語っている」という受け取り方でプラス加点をする人がいるから、またそれによって相手の希望も引き出しやすくなるからだと思っています
・仕事上で「どうしたい」「どうなりたい」というのを適切に言語化出来る人は稀です
・ここには、「仕事上で「自分の希望」なんてもってない方が普通」という話と、「仕事に限らず「希望」を言語化することが苦手な人も多い」という二つの要因があると思います
・単純に「○○という選択肢が適切」ということを「○○したいと思っている」と言えるだけでもだいぶ違います
・ロジックを「主観的な希望」の形で言語化する、自分なりの手法を身につけられるといいですよね
以上です。よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。
私が新卒で入社してから、三年目くらいのことでした。仕事のやり方も多少は分かってきて、一方人前でプレゼンや提案をする機会も増えてきて、「いまいちこっちの言いたいことが通じないなー」などと悩んでいる時期だったと思います。
当時の私は、業務系システムのリプレース案件で、客先常駐で仕事をしていました。リプレース元のシステムは、Delphiという言語を使ってGUIが組まれていて、開発した業者と揉めて喧嘩別れになった結果、社内の誰も保守ができなくなったといういわくつきの代物でした。
Object Pascalなんて大学でちょっと習っただけだったので、当時めっちゃ頑張って勉強し直して、必死に中身を解読していた記憶があります。
機能改修を提案する資料を作っていた時、上司に何度かレビューしてもらい、様々なダメ出しを受けました。
「駆け出しの頃、適切なダメ出しの元改善点を指摘をしてもらえたかどうか」というのは結構重要なことだと思うんですが、私はその点恵まれていまして、この上司を始め、ちゃんとダメ出しをしてくれる人が周囲にたくさんいました。
そのダメ出しを元に修正した後、「大体よくなったと思うんだけど、もう一つ、敢えて言うなら」と前置きされた上で、全体の要約のスライドについて、
「ちょっとここ一人称で話してみて」
と言われました。
最初、「???」となりました。
「えーと?一人称というのは、主語を「私」にしろってことでしょうか」
「そう。もうちょっというと、「こういう風にしたい」っていう、あなたの主観的な希望を表明するような感じにしてみて欲しい」
困ってしまいました。
おおよそ、テクニカルな提案というものは、最も主観的な希望と縁遠いものだと思っていましたし、そう教えられてもいました。主観なんて、排除できるなら全部排除した方がいいと考えていました。
更に正直なことを言うと、私は仕事で命じられたからその資料を作っただけで、別に自分が「こういう風に機能改修したい」と思っていたわけではありませんでした。システムを改善したいのは客側であって、私ではありません。希望なんて「さっさと帰りたい」以外にありゃしません。
困っていた私に対して、上司は大体こんな話をしてくれました。
「技術者にとって、一番大事なのは客観的な検証事実やデータの積み上げと、そこから論理的な結論を導く手法。それはもうある程度はできてると思う」
「散々注意されましたから」
「ただ、特に相手を説得する必要がある時、相手によっては「主観的な希望」をそこに載せた方がいい場合もある。というか、客観性を放っておいても主観性が求められる場面がある」
「技術的な話でそれってあんまり良くないんじゃ……」
「そうとも限らない。こっちが論理的に話してたら、「結局君は何がしたいんだ」とか「どういう風にしていきたいんだ」とか聞いてくる人、結構いるでしょ」
「あーいますね……」
「ああいうのあんまり印象よくないだろうけど、「こうしたい」って言われたら「自分ごととして捉えているんだ」って受け取って説得力を加点してくれる人、結構多いんだよね。それに、こっちが「こうしたい」って希望の話をすれば、向こうもそれに対して「いや、俺はこうしたいんだ」って言いやすくなるでしょ。いい悪いじゃなくて、「そういう人もいる」「そういう場合もある」って話」
「あー……」
「しんざきの今の客先って割と「主観」を重視する人たちだと思うから。そういうニュアンスを入れていった方が、多分いいと思う」
ははー、と思いました。
まず当たり前の前提として、「筋が通っていること」「客観的な根拠に基づいていること」は、誰かを説得する上でとても重要です。そこにどの程度の説得力や適切さを見出してくれるかは場合によるでしょうが、そもそもきちんとした論拠に基づいていなければステージに上がれない。それは当然です。
それに対して上司は、「相手によっては「主観的な希望」をスパイスに乗せろ」と言っていたわけです。
確かに、例えば仕事の上で、「希望をちゃんと表明できるヤツ」が「希望を表明しないヤツ」より優先されることはままあります。「こいつ、なんかやる気がありそう」「同じような能力なら「やりたい」ってヤツにやらせてみるか」という判断が下ることは、別に珍しいことではありません。
人間は感情の動物ですから、相手を説得する、相手に何かを訴える際には、「熱意」とか「希望」というものが有効に動作することはしばしばあります。分かりやすい形で「私はこの件を自分ごととして捉えています」と表現する、少なくともそういう表現方法を選べるようにしておく、というのは、実際有効なやり方だったと思います。
上司のユニークな所は、「別に「○○したい」と本音で思っていなくても、「したい振り」できるようになっておけ」と言っていたところでしょう。
「意志」とか「希望」なんて、ないところに無理矢理沸かせるようなものではありません。ある人はあるし、ない人はない。そんなもんです。
特に仕事の上で、本当に一人称の希望として「○○したい」と考える人なんて、相当仕事熱心な人だけでしょう。大抵の人は、現状のままでなんとか仕事が回っていれば、それ以上の変化なんて求めないものです。
別に、しっかりしたビジョンがなくても課題は解決できますし、目標がなくてもタスクさえこなせば給与は出ます。誰でも明確に持っている希望なんて「帰りたい」くらいでしょう。それはそうなんです。
ただ、現実問題として、「〇〇したい」「〇〇するとこういういいことがある」と説明できる人は、単純にその場をリードしやすいし、相手を説得できる可能性も高まる。元々「希望」なんてもってない人が大半なのだから余計、「俺は〇〇したい!」と適切に言語化できる人が強い。
上司が言いたかったことは、多分そういうことなんだろう、と思っています。
ちなみに、この教えがあったおかげで私のプレゼンや提案が劇的に改善されたかと言えば全くそういうわけではなく、私はこの後も相変わらず、「どういえば相手に伝わるんだろう」「どうすれば提案が通るんだろう」と悩み続けていましたし、今でも悩んでいます。何度か書いていますが、「ハッとするような言葉」ひとつで仕事ができるようになれば苦労はしません。
冒頭書いたDelphiの業務システム改修プロジェクトも、成功裏に終わりはしましたが、私の提案やプレゼンがその中でどれだけの位置を占めていたかというと、そんな大した話でもなかったような気もします。
とはいえ、この時教わったことはその後も折々思い出していますし、場合によっては「今回〇〇したいと思っているんですが」という言い方を意識して選択することもあります。それによって仕事がうまく回ったなーと思うこともしばしばあります。
その後十何年か仕事をしてきましたが、自分の経験の上でも、「〇〇したい」という希望を表明しない人、もしくは表明するのが苦手な人、というのは結構な割合でいるなーと感じています。何か課題やテーマがあれば、きちんと適切な解決案を考えられるけれど、主観的な希望として言語化するのは苦手。普段から「希望を表明」し慣れていない人もそれなりに多い、ということなんでしょう。
そんな中、ただ「〇〇したい」という言い方ができる、というだけでもそれなりに仕事に寄与する部分はあります、と。
そんな話だったわけです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo:Devin Justesen