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「海を越えた天皇杯。」“small island”沖縄のキングスが初優勝した意味…清水由規・元日本代表HCや福岡第一高の井手口孝監督も祝福

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初めて沖縄に渡った天皇杯全日本バスケットボール選手権の賜盃
天皇杯全日本選手権で初優勝を果たし、セレモニーに臨む琉球ゴールデンキングスのメンバー=3月15日、東京の国立代々木競技場第一体育館©琉球ゴールデンキングス

歴史が動いた。 戦前の1921年(大正10年)に始まり、日本バスケットボール男子の「真の日本一」を決める大会として4つの元号をまたいできた天皇杯全日本選手権。各カテゴリのチームが垣根を越え、数々の名勝負を繰り広げてきた伝統ある大会だ。 大きな節目となる第100回の記念大会は3月15日、東京の国立代々木競技場第一体育館で決勝を行い、琉球ゴールデンキングスがアルバルク東京に60ー49で勝利し、初優勝を飾った。 大会MVPを獲得したジャック・クーリーとアレックス・カークを中心にリバウンドで優位に立ち、チームの総数で58本対37本と圧倒。最後はキャプテンの一人である小野寺祥太の勝負強い3Pシュート、“ミスターキングス”こと岸本隆一の技ありレイアップシュートで勝負を決めた。平良彰吾や脇真大らまだ経験の浅い選手も躍動し、各々が自らの役割を全うした。 国内に2つのリーグが併存していたあおりを受け、bjリーグ時代には出場権すらなかったキングス。2016年のBリーグ開幕後、8度目の挑戦にして遂に頂点に立った。 過去の王者を振り返ると、関東圏のチームが大半を占める。大学を中心とした戦前、実業団が台頭した戦後ともに同様な傾向だ。愛知県や大阪府など大都市圏に拠点を置くチームが頂点に立つこともあったが、沖縄にバスケットボール全日本選手権の天皇杯が渡るのは初という快挙である。 沖縄バスケ史において一線を画す偉業であると同時に、Bリーグ発足後に目覚ましい発展を遂げている日本バスケにとっても「変化」を象徴する歴史的な出来事と言える。 天皇杯が海を越え、南国の小さな離島県に渡った意味とはーー。

EASL準決勝後に選手ミーティング「同じ方向を…」

決勝で10得点15リバウンドを記録し、大会MVPを獲得したジャッククーリー©琉球ゴールデンキングス

代々木での興奮から2日が経った17日午後、キングスのホームタウンである沖縄市役所。市長への優勝報告を終え、生え抜き13シーズン目の岸本隆一が落ち着いた様子で記者会見に臨んだ。 「優勝できたことをすごくうれしく思っています。今回を含めると(天皇杯で)3回ファイナルに進み、これまではすごく悔しい思いをしてきました。今回の優勝で、その悔しさを晴らせたと思っています」 キングスが初めて決勝に進出したのは2年前の第98回大会。そこから3年続けて最終決戦の舞台に立ったが、過去2回はいずれも千葉ジェッツに敗れた。特に昨年は69ー117という屈辱的な大敗を喫したため、「三度目の正直」で悪夢を振り払えた喜びはひとしおだろう。 Bリーグでは西地区首位を走るが、直近のチーム状況も決して良いとは言えなかった。 3月7〜9日にマカオであった東アジアスーパーリーグ(EASL)のプレーオフ「ファイナル4」ではチームが一つにまとまり切れず、痛恨の2連敗。Bリーグ西地区で上位争いを続ける島根スサノオマジックとのホーム戦でも延長戦の末に惜敗した。岸本は「結果が伴わない中で挑んだ決勝でした」と振り返る。 それでも本番では「みんなが同じ方向を向いて、同じ温度感で戦えた」(岸本)と言う。桶谷大HCも「それまではみんなプレッシャーを感じている様子で練習や試合をしていましたが、決勝会場に行った時にはチームに『怖いもの知らず』な雰囲気を感じました。自信を持って試合を迎えられたと思います」と語り、試合前から勝利の予兆を感じ取っていたようだ。 苦しい3連敗の中、何か好転するきっかけがあったのか。岸本の見解はこうだ。 「EASLの準決勝で負けたタイミングで、選手同士でミーティングをする機会がありました。『プレーするのは自分たちなんだ』とか、いろいろな事を話し、もう一回みんなが同じ方向を向くきっかけになったと思います。そこからまた2連敗はしましたが、優勝できたことで、誠意を込めて頑張ればこういう結果に繋がること、何度でも挑戦することに意味があることを再確認できました」 タイトルが懸かる試合での黒星ほど大きなダメージはない。EASLファイナル4のようにチームがバラバラになった状態で敗れれば尚更だ。気持ちが折れても不思議ではないような試合が続く中、選手たちは度重なる「悔しさ」を力に変え、団結して戦うという本来の姿を大一番で取り戻してみせた。

「全部繋がってる」岸本隆一が語る“先人”への思い

優勝会見で沖縄の先人たちへの思いを語る岸本隆一=3月17日、沖縄市役所

沖縄のチームが初めて天皇杯の本戦に出場したのは1993年(第68回大会)の「白石クラブ」である。燃料販売などを手掛ける白石グループの社員で作り、沖縄県バスケットボール協会の現会長である日越延利氏らが中心となって立ち上げたチームだった。1990年代は中学、高校のカテゴリーでも県勢が躍動し、沖縄バスケが一躍全国区にのし上がった時代だ。 とはいえ、2017年に都道府県レベルからの一貫したトーナメント形式になる前までは、実業団などを中心とした国内トップリーグや大学の上位チーム以外に関しては、1月の集中開催だった本戦に出場するためにはブロック大会で優勝する必要があった。 ブロック枠は関東や東海、近畿など9つのみ。つまり沖縄のチームが出場権を得るためには、まず県大会で優勝し、さらに九州代表を決めるトーナメントでも頂点に立たないといけないという極めて高いハードルがあった。 難関をくぐり抜け、新たな歴史の扉を開いた白石クラブ。県協会の創立50周年記念誌には、記念すべき第68回大会の本戦トーナメント表が掲載されている。 初戦の相手は奇しくも、第100回大会でキングスと頂点を競ったアルバルク東京の前身であるトヨタ自動車(実業団6位)だった。結果は84ー108。沖縄勢にとっては史上初の舞台だったため、十分に善戦したと言えるだろう。 その後も、沖縄教員や大米建設クラブなどが本戦までたどり着いた記録が残る。沖縄の実業団やクラブチームが下火となった2000年代は縁遠い大会になっていったが、長い空白期間を経て、沖縄から「真の日本一」を目指す熱情はプロ球団であるキングスへと受け継がれた。 そして、白石クラブが大いなる一歩を踏み出してから32年の時を経て、遂に天皇杯が沖縄へと渡った。

先人たちの奮闘の歴史に思いをはせる。

現在、地元出身プレーヤーである岸本は、先人たちの奮闘の歴史に思いをはせる。 「正直、天皇杯は沖縄の人にとってそこまで馴染みのある大会ではなかったと思います。僕も小さい時に大会を見た記憶はありますが、いつ開催してるとかまで知りませんでした。でも、そういう時期から日本一を目指して戦ってきた人たちがいて、その思いが繋がって今に至り、今回優勝することができました。全部が繋がってると思います。先人たちの頑張りがなければ僕らはここにいない。沖縄の方たちに、天皇杯の価値を広げられたんじゃないかと思っています」 離島県である沖縄はどの競技においても県外の強豪と日々切磋琢磨することが難しいため、全国で戦う力を身に付けることは容易ではない。それでも「沖縄から日本一を目指す」という熱意を持った選手、コーチたちが試行錯誤を重ね、学生カテゴリを中心にバスケットボールや野球、ハンドボールなどで黄金期を作った時代もある。 県外との情報格差や行き来をすることのハードルが和らいだ現代においても、小さな島から全国に挑むという気概は脈々と受け継がれている。地域的な独自性の強さからなのか、「沖縄のために…」と郷土愛を口にするアスリートも多い。 そのスピリットは、所属6シーズン目となった米国出身のジャック・クーリーにも乗り移っているようだ。天皇杯優勝後のコート上インタビューで「small island」という言葉で沖縄を表現し、こう言った。 「こんなに大勢のファンが小さな島から来てくれて、皆さん一人ひとりのことを本当に誇りに思います。毎試合応援してくれてありがとう。これで(Bリーグを合わせて)2つのチャンピオンシップを獲得することができました。重ねて感謝します」 クーリーは2022-23シーズンにキングスがBリーグで初優勝を遂げた時も、「沖縄という本当に小さな島のチームが日本一になったんだ」と誇らしげに語っていた。 今回の決勝を含め、チームはアウェー戦など県外での試合の度に飛行機で移動するため身体的負担が大きい。球団経営の面から見ても人口の多い大都市圏のチームとはマーケットが比べ物にならないほど小さい。 地理的な不利性も含めて高い壁が立ちはだかっているからこそ、「小さな島」から日本一を掴み取るという成功体験は何事にも変え難い達成感があるのだろう。

日本バスケを変える“旗振り役”として…

天皇杯で優勝した意義を語る桶谷大HC

NBLとbjリーグが統合し、2016年にBリーグが誕生してから9年。開幕時から関東圏のチームが常に頂点に立っていたが、2022-23シーズンにキングスが西地区のチームとして初めて優勝を達成し、昨シーズンも西地区の広島ドラゴンフライズが戴冠した。 そして悠久の歴史を誇る天皇杯においても、今回初めて沖縄のチームが優勝を果たした。九州地区全体としても、初の快挙だと見られる。 17日の優勝会見において、桶谷HCは「歴史的なことを達成できたと思っています」と胸を張った。実感を深めた理由の一つとして、二人のレジェンドコーチから祝福メッセージがあったことを明かした。一人目は選手、コーチとして松下電器(のちのパナソニック)を幾度も天皇杯優勝に導き、日本代表男子のヘッドコーチも歴任した清水良規氏である。 「天皇杯に出場された先輩のコーチたちからも祝福のメッセージを頂き、清水コーチから『本当におめでとう』と言っていただきました。天皇杯はなかなか関東以外に行かなかったのですが、(大阪を本拠地としていた)パナソニックが西に持ってきた。清水さんは『お前がやっとそれ以西の地域に持って行った。これは歴史的なことなんだよ』と教えてくれました」

本当にすごいこと教えてくれもう一人は

もう一人は、2000年代の高校バスケを席巻する福岡第一高校の井手口孝監督だ。 「井手口先生も『九州に天皇杯が来るということは本当にすごいことなんだよ』と教えてくれました。天皇杯はとても歴史がある大会だし、そういう素晴らしい人たちにとっても大切な大会だったんだと改めて思いました」 キングスが旗振り役となり、Bリーグにおいて地方を本拠地とするチームが存在感を増してきたことで、天皇杯の勢力図も変わってきた。それは日本バスケの裾野が広がり、全体のレベルが底上げされている証左の一つとも言えるだろう。 桶谷HCも「Bリーグができた頃は、正直NBLとbjリーグのチームに差があったと思います。でもキングスや三遠など、地域密着のチームが力を付けてきて、どのチームも優勝争いができるようになってきた印象があります」と実感を語る。 同時に、それはBリーグにおいても、天皇杯においても優勝の難易度が高まってきていることを意味している。だからこそ、今回のタイトル奪取の価値は極めて大きく、チームは自信を深めたはずだ。 再びBリーグの戦いに戻り、2年ぶりの頂点を目指すキングス。過去、同じシーズンに天皇杯とBリーグをどちらも制したチームはいない。が、岸本は「今回の経験をしっかりと自信に変え、2冠を取れるように頑張っていきたいと思います」と前人未到の偉業を真っ直ぐに見据える。 「small island」で綿々と育まれてきた挑戦心を受け継ぎ、沖縄、そして日本バスケの歴史を塗り替えてきたキングス。これからも新たな境地を切り開いてくれるに違いない。

初めて沖縄に渡った天皇杯全日本バスケットボール選手権の賜盃

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