ジャンク フジヤマ【インタビュー】② 最新アルバム「Horizon」泥臭さと反骨心のシティポップ
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4月23日にニューアルバム『Horizon』をリリースするジャンク フジヤマ。コロナ禍のもとで思い通りの活動ができなくなったこと、彼の恩師であるドラマー・村上 “ポンタ” 秀一の逝去によって新たな制作体制の確立を迫られたことなど、近年の活発なリリースへ至るまでにはまだ超えるべき山がいくつもあった。アルバム『Horizon』の制作姿勢や昨今のシティポップ・ブームへの実感などについて、引き続き話を伺った。
メンバーやスタッフを含めた ”ジャンク フジヤマ” の全員野球
ジャンク フジヤマ(以下:ジャンク):先ほど申し上げたように、僕はスタートから超一流の大先輩たちが付いてくださいました。当時僕がイメージしていたシティポップのサウンドは、もともとすでに先輩たちの世代で完成されていた音楽ですし、僕がいなくても成立しうるものでした。それに、僕の場合 “あの頃のサウンドが大好きな若者が思い切り歌わせてもらいますよ” という方向性が最初からハッキリしていました。だから先輩たちとは最初から慣れた雰囲気ができていたというか、話が早いんです。ポンタさんの提案に対して僕がほんのちょっと “違うなぁ……” という顔をすると、すぐに “これはご本人が嫌だと言っておりますのでやめましょう(笑)” とアプローチを変えてくださる。それが長い活動の中で僕が身につけていたパターンだったわけです。良く言えば頼もしく、悪く言えば頼りすぎです。
ーー 新しいドラマー探しや新しいサウンド作りよりも大変だったという、彼の試行錯誤とはいったいどんなものだったのだろうか。
ジャンク:サウンド以前にコミュニケーションの問題でした。演奏の指示の仕方や曲の雰囲気の伝え方といった共通言語がまったく通じなかった。神谷(樹)くんはもともとポンタさんが元気だったころからサポートで入ってもらっていたメンバーで、最初はコーラスだけだったんですが、やがてギターとバンマスもお願いするようになって。作曲もできるというのでまずお試しで一緒に作ってみましょう、ということで作ったのが2017年の「僕だけのSUNSHINE」。これが最初の共作でした。どうしたら自分のイメージが伝わるか、理解してもらえるか。いまもお互いにいろいろ吸収しつつ、してもらいつつでやっております。
ーー 実はコロナ禍に見舞われる前から、次なる展開の種は撒かれていた。こうしてアルバム『Happiness』からは、完全な自作曲にこだわらず、彼以外のクリエイターも積極的に曲作りに関与していくスタイルに移行していくことになった。デビュー当時の自身の様子を “メジャーリーガーたちが集まっている野球チームのなかに、いきなり草野球選手が入ってきて、しかも先発ピッチャーで4番を打たされている” と表現した彼だ。さしずめ現在の制作体制は “全員野球の精神” といったところだろうか。
ジャンク:そうです、まさにチームプレイ。僕が4番で先発ピッチャーでも、キャッチャーはもちろん野手が8人いないと守れないですから。誰かから出てきたものに自分のエッセンスを上手く合体させて、さらに良いものを生み出す。“自分は歌をがんばりますから、いい曲を作ってくださいね” という僕なりの完全分業制です。ジャンク フジヤマはアーティスト個人の名義ではありますが、僕以外のメンバーやスタッフも含めたプロジェクト全体も指しているんです。それは初期の頃からそういう気持ちでいました。僕はずっと中心にいて、ベテランから若手まで、言葉の違う人たちを比較言語学のように調整していくという……(笑)
曲作りは作家と歌い手の “良い勝負”
ーー “完全分業制” とはいうものの、職業作家が書いてきた曲をとにかく忠実に歌う、いわゆる伝統的な歌謡曲のようなやり方はしていないはず。ニューミュージックやシティポップの場合、作詞・作曲のクレジットは個人名表記でも、実際は歌手と作家とのやり取りで歌詞やメロディをブラッシュアップさせていくケースも多いが、彼の場合は?
ジャンク:もちろんあります。作曲に関して言えば、若い方が書く曲は音の数が細かくて、音符の数が多い傾向がありますね。ここはもっとゆったり聞かせたいよね、というところがあると、その部分の歌詞を少なめに調整することはよくあります。基本的にはいつもメロディが先で、後から歌詞に寄せてメロディを変えることもあります。ただ、作者は僕が歌うことをイメージして書いてくださっていますから、歌い手である僕に対するポジティブな挑戦として、楽しんで受け取っています。“なるほどなるほど、あなたはこう料理してきましたか” と、”良い勝負” ができればいいんです。
ーー では『Happiness』から、『SHINE』、『DREAMIN'』、そしてカバーアルバム『憧憬都市 City Pop Covers』を経て今回の『Horizon』で特に大切にしたものはなんだろう? 中堅と呼べるほどのキャリアを重ねた今、音楽との向き合い方が変わってきた部分はあるだろうか。
ジャンク:自分が持っている根本的なベースの部分はずっと変わりません。ただ、あえて最近の作品で変わってきたかなと思うことは、あまり力みすぎずに歌うことですね。“日本語が日本語として、聴き手にちゃんと伝わるように歌う” というのは昔からずっと心がけていることです。それに加えて最近は、歌の細かい語尾の部分を意識的に丁寧に。そこは昔以上に気を遣うようになった気がします。僕の場合はどうしても歌に比重を置くので “聴いた人に僕の歌がどう見えるだろうか?” という目線が入ります。書いてくれた人の意見も大切にしつつ、でも自分はこう行きたいんだという意志、そのバランスをとりながら作っています。
流行は必ず廃れる。では、廃れないものは?
ーー 完成したばかりのニューアルバム『Horizon』を聴いて思ったのは、言葉を選ばずに言えば “彼自身の音楽、彼自身の魅力をさらに明確に打ち出した作品だ” ということだった。“いわゆるシティポップとはこういうもの”というイメージを借りつつも、彼自身の美学や想いが歌詞から、サウンドから見えてくる。1970年代の熱狂的なフォロワー として世間に登場した彼が、長い時間をかけて到達した現在地をぜひ確認してほしい。
ジャンク:自分で言うのもどうかと思うんですが、僕はミュージシャンとして、かなり立ち位置が独特というか、孤高だと思うんですよ。こうして世間が世界的なシティポップのブームになったところで僕自身がやっていることは変わらないし、世間の流行になびいてサウンドを変えることもない。僕はシティポップというサウンドのなかでも割と泥臭いところを基軸としてやってきたという自負があって、時代によっていろんなシティポップがありますが、僕はやっぱり反骨派でいたいんです。
ーー “反骨心のあるシティポップ” はジャンク フジヤマの音楽を考える上で重要なキーワードになりそうだ。1970年代と1980年代のシティポップ観の違い、そしてリバイバルブーム以後に盛り上がったネオシティポップ。そのはざまで彼は何を思うのか。
ジャンク:シティポップと一口に言っても僕はそれを世間一般とは違う方向性で見つめているんだということは、作品を聴いていただければわかっていただけると思います。流行というものは必ず廃れますから “流行っているからこうしよう” ということはあまり考えないことにしています。僕の音楽に早いとか遅いとかはないんです。10代の頃、シティポップを聴いている同世代は誰も周りにいませんでした。
当時はおじさんが聴く音楽だと思われていて、ずいぶん長い間、振り返られることがなかった。そんな時代に山下達郎さんや井上陽水さんを聴いていた子どもがこうなってしまったという(笑)。隔世の感がありますよ。このシティポップなるサウンドは1970〜1980年代に出てきて、ひと段落、ふた段落もしながら今もずっと続いている。音楽の持っている普遍性みたいなものは、きっといつの時代の若者にも響くはずだと僕は信じています。
ーー 音楽の持つ普遍性はいつの時代にも届く。これが答えではないだろうか。最後に “水平線” と “限界点” のダブルミーニングを込めたという最新作『Horizon』と、バンド “island etc.” を率いた来るべきリリースツアーへの意気込みを伺った。
ジャンク:これから来る夏に向けての最高の1枚になりました。そして夏が来る前にまずライブがあります。いまちょうど最初の譜面ができあがって、新曲を実際にライブで演奏するにあたって細かく料理し直しているところです。やりたいことを全部やろうとするとどんどんライブの尺が伸びてしまうんですが、メンバーのソロ回しが好きなので、それはどこかで必ずやります。生のステージでスタジオと同じように歌えるのだろうか? という心配もありますが、でももう作ってしまいましたから(笑)。きっとこの盤以上の演奏が聴けると思うので、ぜひライブもアルバムとセットでお楽しみください。
Information
▶ ニューアルバム『Horizon』
2025/4/23 リリース