30歳で深夜の警備員バイト。無名から『情熱大陸』出演の空飛ぶ写真家「山本直洋」とは。
モーターパラグライダーを使って自身が空を飛び撮影を行う「空撮写真家」。その第一人者である山本直洋さんは「地球を感じる写真」をテーマに、日本だけでなく世界中の空を飛び回っています。
現在、エベレスト、キリマンジャロなど、世界七大陸の最高峰を空撮するプロジェクトに挑戦中の山本さん。その取り組みは、『情熱大陸』でも大きく取り上げられ、話題となりました。
今回は、そんな山本さんに空撮写真家の仕事のリアルと、これまでのキャリアストーリーを伺いました。
空撮は「生き物としての充足感」を得られる仕事
──空撮写真家とはどのようなお仕事なのでしょうか?
一言で表すと、「空を飛び、写真を撮る仕事」です。僕の場合は、モーターパラグライダーを使うので、動力となるエンジンを背負って高度数千メートルの空を飛び、パラグライダーをコントロールしながら撮影しています。
また、エンジンの改良や飛ぶ場所の許可取りなど、飛ぶために必要な準備なども、チームメンバーの助けも借りながらすべて自分たちで行っています。
──空からの写真といえば、ドローン撮影も選択肢に浮かぶと思います。自身が空を飛ぶ「空撮」の魅力とはなんでしょうか?
撮り手が空を飛んでいるときの感動や喜びが、ダイレクトに写真に乗ることでしょうか。
学校の校庭に描いた人文字を上から撮るなど、撮りたい写真が明確に決まっている場合は、高さや角度を固定しやすいドローン撮影のほうが向いていると思います。
一方で、2時間、3時間と比較的長時間飛び続けるモーターパラグライダー空撮では、太陽の光や雲の形などが少しずつ変わっていきます。自分が想像していなかったような思いがけない絶景に出会うこと、それをベストな画角で切り取るような撮影はドローンではできません。
飛ぶ前に「こんな景色が撮れるかな」と当たりはつけるのですが、実際に飛んでみたら想像もしていなかった美しい景色と出会える。そんな「偶然の出会い」があるのもモーターパラグライダー空撮ならではの魅力です。
──過去には九死に一生を得る大事故を経験されるなど、空撮には過酷な一面もあります。それでも飛び続けてこられたのはなぜですか?
たしかに空撮は過酷ですね。2019年に経験した大事故では、エンジンから出火し、 背中と右腕に火が燃え移って大火傷を負ってしまいました。奇跡的に命は助かったものの、もう二度と飛べないかもしれない状況になって。
でも、手術すれば治る可能性があると医師から聞いたとき、真っ先に思ったのが「空を飛びたい」だったんです。病院のベッドの窓から青空を眺めては、毎日「早く飛びたい」と。
もう、心の底から空を飛ぶのが好きなんです。事故後に初めて飛んだとき、ただただ気持ち良くて、人生で初めて空を飛んだ瞬間を思い出して涙がこぼれて……。
空から大地を見ていると、全身で地球を感じられて、自分がちっぽけな存在にも思えるんです。自然の一部になれている感覚で、生き物としての充足感がある。この感動も景色と一緒に写真におさめられる。こんなに楽しい仕事はやめられません。
幼いころから見ていた空飛ぶ夢。訪れる空撮との出会い
──山本さんの「空を飛ぶこと」への情熱を強く感じます。どのような子ども時代を過ごされてきましたか?
物心つくころにはすでに、空を飛ぶ夢をたくさん見ていました。夢の中でウルトラマンに変身したり、ドラえもんのタケコプターを使ったり。高いところが大好きで、小学生のときには「自分も飛べるんだ!」とマンションから傘を持って飛び降りてみたこともありました。
幼いころに見ていた夢は完全にファンタジーの世界でした。それが、中学生になったころから、段々と夢にリアリティが出てきたんです。
そのうち飛ぶ夢をコントロールできるようになりました。ベッドで仰向けになって力を抜くと、ふっと体が軽くなって、部屋の窓から飛び出して自由自在に飛び回れたんです。そのときに見た景色が本当にリアルで……。
実は当時、親の仕事の都合でノルウェーのオスロに住んでいたんです。今振り返ると、夢の中でオスロ上空から見た景色が、空撮写真家を目指すきっかけになったのだと思います。
──そこから、大人になるにつれてどのようなキャリアを選んできたのでしょうか?
工業大学に進学し、就職活動では空を飛ぶ夢を叶えるために航空会社も受けてみました。ただ、結果は全滅。最終的には、ソフトウェア開発会社にエンジニアとして就職し、1年ほど会社員を経験しました。
── 1年経って退職されたのは、空飛ぶ仕事を目指すためですか?
いえ、ボクシングのプロライセンスを取るためです(笑)。実は学生時代から打ち込んでいて、就職してからも練習を続けていましたが、いつまでもライセンスを取得できない中途半端な自分に嫌気が差していました。
ただ、ボクシングを一生の仕事にするつもりはなかったので、取得後は次の仕事を何にするか悩んでいました。
そこで、もともと旅が好きだったこともあり、旅をしながらできる仕事として写真家を思いついたんです。当時は、写真を撮ることも撮られることもなんとなく苦手意識があったのですが、好きなことをするための手段として思い切って触れてみたら意外とおもしろくて。
そんなときに偶然立ち寄った本屋でモーターパラグライダーの記事と出会いました。写真とモーターパラグライダーの掛け合わせ……「これしかない!」と運命を感じて、空撮写真家を目指すようになったんです。
「俺はいつか成功する」。歯を食いしばって警棒を振った
──空撮写真家はあまりメジャーな仕事ではなかったと思います。どのように研鑽を積んだのでしょうか。
そのころは父が仕事の関係でニューヨークにいたので、とりあえず写真の勉強をするために渡米しました。知識も技術もコネクションもゼロでしたが、何かが変わるかもしれないと考えたんです。
語学学校に通い始めたころは、当時流行っていたSNS『mixi(ミクシィ)』で情報収集をしていました。mixiで偶然つながった現地在住の日本好きのアメリカ人と仲良くなったのですが、ある日彼に仕事を尋ねると、フォトスタジオのマネージャーをしていることが分かって。
「はたらかせてほしい」と頼んで、彼に連れて行ってもらった先は、なんとニューヨークで一番大きなフォトスタジオ。ラッキーですよね。そこで数カ月間はたらきながら写真の勉強をした後、モーターパラグライダーを学ぶために日本に帰国しました。
帰国後は栃木県にあるスクールでモーターパラグライダーと空撮の勉強をしました。
人生初フライトは一人。初めて飛んだとき、小中学生のときに見ていた夢の感覚とリンクして……。言葉にできないほどの感動体験で、自分は空を飛ぶために生まれてきたと実感しましたね。
──ようやく、空飛ぶ夢を叶えたんですね。
ここからが長い道のりでした。30歳でフリーランスの写真家になったのですが、まったく稼げず、バイトを掛け持ちする日々が続きました。深夜の警備員のバイト中、「俺はいつか成功するんだ」と歯を食いしばりながら、警棒を振っていましたね。
35歳を過ぎたころ、ようやく写真で生活できるほど稼げるようになりました。キヤノンギャラリーで写真の展示をさせてもらったり、有名な写真誌『アサヒカメラ』や『ナショナルジオグラフィック日本版』で写真を使ってもらったり……。
写真を始めたころの目標を次々と叶えられた一方で、写真家として一歩抜きん出た存在になれないことに悶々としていました。であれば、自分にしかできない仕事を“つくる”しかないと考えて、思いついたのが世界七大陸の最高峰を空撮するプロジェクトです。
世界七大陸最高峰空撮への挑戦で「本当の自分」になれた
──2022年にはアフリカ大陸・キリマンジャロでの空撮に挑戦されました。実際に挑戦してみていかがでしたか?
資金集めや許可取りなど、大変なことも多くありましたが、行動を起こして良かったと感じています。
また、昔から抱いていた「俺は絶対に成功するんだ」という漠然とした自信が、根拠のある自信に変わりました。「世界七大陸最高峰空撮」達成に向けて動き始めたときから、ようやく自分が本当にやりたかったことをやれるようになったと感じられたんです。
振り返ってみれば、明確なやりたいことが分からず、とにかくいろいろなことに手を出してきた人生だったと思います。ただ、どれも本当にやりたいことなのか、確信が持てなかった。
「世界七大陸最高峰空撮」はクライアントワークではなく、初めて自分でゼロから企画したプロジェクトです。通常のヘリコプターやセスナでは、4,000m以上上がることは難しい。ジェットエンジン搭載の航空機であれば上がることはできるものの、機外に出て撮影することは困難です。
また現在のドローン性能は著しく向上していて、エベレストの上まで飛んだという記録もありますが、僕は機械で撮っても意味がないと思っています。
生身で空を飛び、その場の風、温度、匂い、空気感などを全身で感じて、自分自身が心が震えるくらい感動してシャッターを切るからこそ、人間の感情が入った写真になるのだと感じています。このような撮影を可能にするのがモーターパラグライダー空撮です。
まだ挑戦は始まったばかりですが、「このプロジェクトで生活できるようになる」という覚悟を持って、自分が本当に望む仕事をできている実感があります。
──プロジェクト成功に向けて、初めてのクラウドファンディングにも挑戦されていますね。ただ「自分が本当にやりたいこと」が分からず、悶々としている20代は多いと思います。どうすれば見つけられるのでしょうか?
とにかく、たくさんのことにトライしてみるしかないと思います。トライのなかで、「これだ」と確信できるものと出会えるはず。僕も、今はやっと空撮に落ち着きましたが、これまでやってきた写真以外のことも無駄だったとは決して思っていません。
少しでもいいので、普段の自分がやらないことをやってみる。たとえば、朝いつもと逆方向の電車に乗って、会社をサボって気になっていた場所へ行ってみるなど、なんでもいいんです。ルーティンワークから抜け出してみるだけで、世界が変わって見えるかもしれません。
変化や気付きがあったら、あとは自分を信じて一直線に歩みを進めていくだけ。迷ったら、未来の自分が後悔しない道を選んでください。その先にはきっと、見たこともないような景色が広がっているはずです。
(文・写真:水元琴美・編集:いしかわゆき・写真提供:山本直洋さん)