町工場の古い機械が生み出したプライド。つくり手にも誇りを与える「レインボー組紐」が誕生するまで
繊維産業で栄えてきた福井県勝山市に、小さな組紐工場があります。手組紐は日本の伝統的な工芸品として有名ですが、工業製品としての組紐は、時代の変化も相まって「つくり手が誇りを感じることが難しかった」。しかし、視点を変えると新たな価値が見えてきたといいます。
着物の帯締めなどに使われている組紐は、色とりどりに染めた絹糸を丁寧に組んでつくる日本の伝統工芸品。奈良時代に仏教伝来とともに技術が伝えられたとされ、伊賀や京都、東京では、職人が手で組み上げる手組紐が有名です。
一方、組紐は工業製品としても活躍しています。身近でありながらあまり知られていないのが、ブラインドの引き紐。よく見ると複数の糸が組まれて1本のコードになっているため、滑りがよく、ねじれにくく、丈夫なのです。
「組み上げる際にわずかな隙間ができるため伸縮性があり、たとえ糸が1本切れたとしても紐全体が切れることはないため耐久性にも優れています。ドイツの産業革命で発明された組紐製造機が明治時代に日本に輸入され、戦時中にはパラシュートの紐が大量生産されました」
そう話すのは、福井県勝山市で1963年に創業した多田製紐の3代目となる多田寛さん。多田製紐では約400台の製紐機によって、ブラインドの紐やお守りの飾り紐など、さまざまな種類の組紐を生産しています。
創業時の機械に頼る
2階建ての工場の扉を開けると、「ザーッ」と雨が降っているかのような音。製紐機の上で、糸を巻いた管が目で追えないほどの速さで回転し、自動的に組紐がつくられていきます。
「ほとんどが創業時から使っている古い機械です。製紐機をつくっている会社は今は日本に1社しかないため、廃業した製紐工場から機械を譲り受けたり、他社から買い取ったりすることもあります」
勝山市は、明治時代から繊維産業が栄えてきました。福井名物の羽二重餅の由来でもある「羽二重」と呼ばれる平織りの絹織物の製造に始まり、昭和初期には人造絹糸(レーヨン)の織物業が最盛期を迎えました。
多田さんの祖父は京都の組紐問屋と縁ができたことで、お守りや和菓子につける飾り紐をつくりはじめたのだといいます。
マイナーな町工場の焦り
多田さん自身は東京で就職した2年後に地元に戻り、織物会社で10年間、営業をしていました。勝山の繊維産業の歴史に触れるうちに、家業のためにできることをしたい、と入社を決めました。
「父から『継いでほしい』と言われなかったのは、業界の未来を案じていたからだと思います。マイナーな産地の小さな町工場には、当時すでにネガティブな話しかありませんでしたから」
工業製品としての組紐は、衣食住の嗜好の変化や印刷技術の発展によって、ニーズが減ったり、安価な輸入の代替品に代わられたりしていました。
和菓子の箱の飾りやお守りの飾り紐の需要が減ったことで、多田製紐は主力商品をブラインドの紐などのインテリア資材や産業資材にシフトしました。さらに多田さんは、手芸店向けやアパレル用などファッション性の高い組紐を研究。反射材の特許技術がある企業とコラボして、光る靴紐を開発しました。絹ではなく化学繊維だからこそできる挑戦でもありました。
「ブラインドの紐も靴紐も、生活の中にあるのにそれが組紐だということはほとんど認知されていません。つくり手のほうも実際に使ってくれる人と接する機会がないため、自分たちの仕事の価値を実感できず、卑下してしまっていました」
多田さんは組紐の技術を応用した独自の商品開発に取り組みつつも、焦りや無力感があったのだと打ち明けます。
「差別化するためには、機能を特化しなければならないと思っていたんです。他社の製品と比べてあと何グラム軽くしなければいけないとか、もっと光らせたほうがいいなどと、わずかな差をつけることばかり考えていました」
手組紐のような工芸品ではないため、組紐そのもので芸術性を追求するという視点はなかったという多田さん。ただ、製紐機では管に巻く糸の色と配置を変えるだけで自動的に模様を組めることから、余った糸でデザインの実験を繰り返してはいました。
「余った糸を捨てることに罪悪感があり、どうにか活用したいと考えていたからです」
違いは個性
2022年、多田製紐を訪れた勝山市地域おこし協力隊の山崎瑠美さんが、多田さんが7色の余り糸を使ってつくった虹色の丸紐を見て質問しました。
「6色のレインボーカラーもできますか?」
勝山市は2023年4月1日から、同性カップルを結婚に相当する関係と認める「パートナーシップ宣誓制度」を導入することが決まっていました。性的マイノリティの尊厳と多様性を象徴するレインボーカラーの組紐でネックストラップをつくり、記念講演会などの記念品としたり、性の多様性に関する研修を受けた市職員らに着けてもらおうというアイデアが生まれました。
余った糸を活用するとなると、例えば赤の糸といっても色味の異なる赤が交じることがあります。既製品だと色味の違いはマイナスとなり、品質条件に満たないB品として扱われます。
多田さんは「レインボー組紐では、その違いも個性だと思ってもらえたらうれしい」と考え、山崎さんらに相談しました。勝山市の成人式「20歳のつどい」では記念品としてカラビナチェーンを製作し、こんなメッセージとともに贈りました。
<ひとりは細い1本の糸だとしても、いろいろな個性が集い、互いに交わり支えあう関係が組みあげられていけば、いつしか組紐のように太くなり、彩りと希望があふれる未来につながることでしょう(抜粋)>
古い機械だからできること
多田さんは、オリジナルの組紐づくりを続けています。2024年に福井まで延伸した北陸新幹線カラーの白と青、SDGsの開発目標のカラーホイールの17色、勝山左義長まつりのシンボルカラーなど、地域に根ざしたデザインにこだわっています。
「古い機械のいいところは、天然繊維でも合成繊維でも対応でき、小ロットでもつくれるので、応用の幅が広いことです。ここにきてアナログの良さや、昔ながらの仕事の可能性を見直すことになるとは。視点を変えると、新たな価値を生み出すことができるんだと実感しています」
製紐機の糸の配置やギアの調整は、職人の知見と勘が頼りだそう。「オリジナルの組紐のデザインは、頭の中の設計図を機械に描いてもらいます」
多田さんがそう言って手品のように糸を入れ替えた途端、機械から吐き出される組紐に色鮮やかな模様が刻まれていきました。