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俯瞰なのか、歩いている地上からの視点なのか――イタリア文学の泰斗が贈る、斬新かつ詩情豊かな文学ガイド

NHK出版デジタルマガジン

俯瞰なのか、歩いている地上からの視点なのか――イタリア文学の泰斗が贈る、斬新かつ詩情豊かな文学ガイド

イタロ・カルヴィーノ、チェーザレ・パヴェーゼ、ナタリーア・ギンズブルグ、ウンベルト・エーコ、アントニオ・タブッキ、ウンベルト・サバ、ディーノ・ブッツァーティ、ジュンパ・ラヒリ、そして須賀敦子……イタリア文学の名作の数々を“街”という視点で編み直す。北はヴェネツィア、ミラノから、南はシチリア島まで。個性豊かなイタリアの各都市を訪ね、文学作品を手に歩くような視点で、作家たちが遺した声と足跡をたどる。
*本記事は、『「見えない都市」を歩く 文学で旅するイタリア』より「旅立ちにあたって──《見えない都市》とヴェネツィア」を一部再編集したものです。

「想像力」という地図を携えて、いざイタリアの旅へ

旅立ちにあたって──《見えない都市》とヴェネツィア

語るマルコ、聴くクビライ

 旅の第一歩を、二十世紀を代表する作家、イタロ・カルヴィーノ(一九二三〜八五)が残した小説『見えない都市』(一九七二)とともに踏み出すことにします。
 モンゴル帝国第五代皇帝クビライと、ヴェネツィア共和国から父親とおじに伴われてモンゴル帝国にやってきた青年商人マルコ・ポーロ。歴史上たいへん有名な二人の人物が、もし広大な領土に散らばる都市をめぐって対話を交わしていたら――。そんな仮定の上に組み立てられた物語です。
 ちなみにマルコの旅は、往路に三年半。そして大汗(皇帝)クビライのもとで広大な帝国中を遍歴して回る巡察使となって十七年、帝国各地を旅する日々を送りながら、クビライに何度も帰国を懇願するものの許されず、ようやく、イルハン朝のカザン・ハンにペルシャから王妃を迎える使節団の一員としての任務を終えたのち、帰国を果たす──。これが史実とされています。マルコ・ポーロが残した旅の記録は、『東方見聞録』として日本では知られていますが、これは、いくつかのヴァリエーションを伴う『世界の記』と題された厚大な三巻の書物として伝えられたものを指しています。

『見えない都市』の構想を練るなかでカルヴィーノが参照したこの『世界の記』は、ピサ出身のルスティケッロという人物がジェノヴァの獄中で知り合ったマルコに聞いた話をもとに、一二九八年に完成させた書物であることが判明しています。マルコの旅と体験のもつ大きな価値に気づいたルスティケッロは、騎士の遍歴になぞらえて、青年騎士マルコがクビライの宮廷に至り、諸国を遍歴し、訪れた先で数々の冒険、つまり驚異の出来事に遭遇したのちに故郷に帰還する、そのような物語に仕立てたのです。それは、「騎士物語詩」と呼ばれるイタリア文学史における主要な系譜の嚆矢でもありました。

 この『世界の記』の第一部(前編とも)を、カルヴィーノはたいそう好んでいたようです。
 長篇物語詩の形式をとって、マルコの見聞をルスティケッロが物語仕立てで読者に伝える。つまり、語り手がマルコ・ポーロ以外にいる。そのかたちが、クビライとマルコの対話へと変換されて、『見えない都市』となった。『東方見聞録』=『世界の記』は『見えない都市』に先立つほかの作家の文学作品にも影響をあたえていて、それらの作品も、カルヴィーノは『見えない都市』を書くにあたって参照していました。バルザックによるパリの都市小説や、ロシアのシクロフスキーが一九三八年に発表した『マルコ・ポーロの旅』という作品もあり、それらも『見えない都市』の成立に影響をあたえたと考えることができます。
『見えない都市』の構成を見ていきましょう。

 巡察使であるマルコが訪れた都市の模様を語り、それを聞いた皇帝クビライによる下問が、やがて両者の対話に移行していきます。
「下問」と述べましたが、二人はたしかに主従関係にあるものの、『見えない都市』で描かれるマルコとクビライは友人でもあるのです。自分がもち合わせない知見を、互いを尊重したうえで披露し合う関係です。イタリア語の原文を見ると、皇帝であるクビライだけでなく、マルコ・ポーロの側も、相手に対して二人称の親称"tu"で呼びかけ、「きみ」とか「おまえ」と呼ばれる関係のなかで話を交わしている。一人称についても、マルコが「わたし」と言ったときに、クビライは「朕」とは応じておらず、もしかしたら「俺」と言っているかもしれない。
 そう考えて主従関係を反映した丁寧な言い回しを取りはらってみると、この作品にはスピード感が備わっていることがわかります。どんなに長い一文も、そのまま風景として流れていくように読者の目には映るのです。

都市のタロット

 二人の対話は、九回にわたるやりとりを重ねていき、それがこの作品の大きな章にあたります。そしてそれぞれの対話の内側に、いずれも女性の名前を有する五十五の都市の描写が織り込まれ、六十四篇――チェス盤のマス目と同じ数――のちいさな物語でこの作品は構成されます。マルコによる五十五篇の都市の報告には、「都市と記憶」「都市と欲望」「都市と記号」「精緻な都市」……というように、十一の異なる属性があたえられています。
 この書物は、都市の属性という《記号》の連続体、あるいは集合体としてわたしたち読者に手渡されており、どこから読んでも構わないし、どこで終わっても構わない――。そう示唆されているように思えます。
 実験的手法と物語への信頼の共存を可能にしたこの物語を、河出文庫版の「解説」で英文学者の柳瀬尚紀が「透かし模様から成る長編詩の新しい開かれた書」と呼んだのは、まさに慧眼と言えるでしょう。

物語を差配するものはなにか

 皇帝クビライとマルコは、こうして都市をめぐる言葉を挟んで対峙します。都市のすがたを語りながら、マルコは皇帝の沈黙を読み、耳を澄ませる。他方、皇帝は、マルコがどの都市について語るときも、そこにはいつも少しずつ、マルコの故郷ヴェネツィアのすがたが忍び込んでいることに最初から気づいています。
 第一章と第二章で、合わせて十五の都市についての報告をマルコから受けたクビライは、つづく第三章の冒頭で、このような考察を示します。

 クビライはすでに気づいていた。マルコ・ポーロの都市はどれも似通っていて、それらを往来しようと思えばわざわざ旅などするまでもなく、あれこれ要素を交換すればすむようだ、と。

『見えない都市』、筆者訳

 クビライの言う「わざわざ旅などするまでもなく」というのは、どういう意味なのでしょうか。カルヴィーノは、一九八三年の春にニューヨークのコロンビア大学で行った講演のなかで、みずからその答えを明らかにしています。

わたしのマルコ・ポーロが気にかけているのは、人びとをそれぞれの都市で暮らすようにと連れてきた秘密の理由なのだ。(中略)都市はどれも、記憶、欲望、言語記号、といった多数の事物の集合体だ。都市はいずれも交換の場だが、その交換とは商品の交換にとどまらず、言葉、欲望、思い出の交換でもある。

『見えない都市』原書・二〇〇四年版序文より、筆者訳

 この言葉が、『見えない都市』という作品のテーマを見事に象徴しているように思います。
『見えない都市』に対して、かれら(マルコ、クビライ、カルヴィーノ)自身が生きた《見える都市》がある。それはマルコ・ポーロの故郷ヴェネツィアであり、あるいは作者カルヴィーノ自身が暮らした実在する街(《伝記的都市》と呼ぶことにします)だと言えるでしょう。
 そして、都市で「交換」されるのは、いわゆる商品だけではない。カルヴィーノの言葉にあるように、それは記憶であったり、欲望であったり、言葉であったりする。
 物語に登場する五十五の都市のうち、ディオミーラ、イシドーラ、ザイーラ、ゾーラ、マウリーリアという五つの街には、「都市と記憶」という属性のもとに短い報告が綴られています。たとえば、イシドーラは「夢の街」と定義されている。そしてその「夢の街」にはマルコの青年時代がふくまれており、また街の広場で出会う老人たちはかつての自分たちの青春が過ぎ去るさまを眺めては日がな暮らしているという描写が出てきます。
 自分の過去を遡る、夢に見るということも、人間に深く根ざした欲望なのだと、マルコは――そしてカルヴィーノは――考えているようです。だから、さまざまな欲望は「すでにして思い出なのだ」と綴られるのです。
 さらに読み進めていくと、二人の対話のなかでクビライがこのような言葉を述べます。

 「物語を差配するのは声ではない」

『見えない都市』、筆者訳

 ではいったい、何が物語を差配するのか――。それが記憶であり、欲望であり、夢であるというのです。
 すでに述べたように、この物語には各所にヴェネツィア――マルコ・ポーロの故郷――の様子がちりばめられています。
 十五の都市について語られた後、物語の第三章でクビライがマルコに、自分が夢に見た街の様子を語って聞かせるくだりがあります。

 港は北斗に向かい日陰にある。その埠頭は、城壁の下に打ち寄せる暗い水の上に築き上げられている。そこへ降りていく石の階段は、ぬるぬるした海藻で覆われている。

『見えない都市』、筆者訳

 こうクビライは語り出し、みずからの夢、夢に見た街について物語るのですが、それは実在するヴェネツィアの街の描写にほかなりません。小運河の石段を降りて、そのちいさな舟に乗り移るときに、誰もが体験する夜のヴェネツィアの光景が浮かんでくるのです

『見えない都市』の衝撃

『見えない都市』は、カルヴィーノが四十九歳のとき、一九七二年に発表された作品です。
 日本では比較的早く七七年、数々のイタリア文学の名作を翻訳したことで知られる米川良夫の訳によって刊行されました。都市をめぐるこの独特の物語は、伊東豊雄や鈴木了二をはじめ、多くの建築家に刺激をあたえました。清水徹や豊崎光一などのフランス文学者を中心に、書物としての都市論の展開に大きな影響をおよぼし、また、現在に至るまでその作品に『見えない都市』の影響を色濃く感じさせる詩人・高柳誠に象徴されるように、詩の世界にも強い刻印を残したのです。
 
 そのような『見えない都市』の日本での受容について、ひとつ特筆すべきことがあるとすれば、やはり日本を代表する建築家・磯崎新が、カルヴィーノが『見えない都市』を執筆するよりも十年以上早くに、《見えない都市Invisible City》という構想をもっていた、ということでしょうか。磯崎は、二〇〇二年に岡山県の奈義町現代美術館で行われた回顧展のカタログに寄せた文章のなかで、一九六〇年の時点で《Invisible City》なる都市概念を提唱していた、とみずからの先駆性を強調しています。それをさらに「海市(ミラージュ・シティ)」と名づけた都市計画のなかで、実在する都市(=島)としてかたちにした、と回想しています。

 はじめて世界の街を旅したのちに、私はひとつの都市論をかき、「見えない都市」という小みだしを終章につけてしまった。
 言葉は呪縛するのですね。以来四十年、私の都市についての思考、提案、デザイン、すべてこのひとことを巡ってなされてきました。
 それから十年程して、イタロ・カルヴィーノが同名の小説を書き、五年程して日本語でも読めるようになった。マルコ・ポーロが、シルク・ロードで訪れた街のことをフビライ・カンに物語るという趣向です。これは小説、私のは都市論、無関係なんですが、虚構という点では同じだと気づいたのは、更に二十年後。南支那海上に島=都市をつくり、これを『海市(ミラージュ・シティ)』と命名したときでした。砂漠の都市も蜃気楼のかなたにゆらめいていた。カルヴィーノはあの光景をイメージして『見えない都市』という題を思いついたに違いない。
 どの都市も刻々と姿を変えます。記憶もあやしくなります。空想が肥大します。だが、人々はそんな都市に住んでいると思っている。みずからの栖(すみか)をつむいでいる。集合して空中に楼閣を組みあげている。想像のなかの楽園とか死後の都市のほうがよりきらびやかに飾られている。眼前の都市の姿を信じてないためでしょうか。都市が見えないことを直観していたためだと私にはみえます。

「磯崎新版画展 百二十の見えない都市」図録より、二〇〇二

 磯崎の例は、それだけ普遍性のあるテーマが、『見えない都市』という作品によってわたしたちに手渡されている証だと言えるかもしれません。
 この先、作家およびその文学作品を道案内としてイタリアの街を旅するにあたって、『見えない都市』のように、遍在しかつ普遍性を備えた視線を、つねに指針として携えていくことが求められるように思います。
 カルヴィーノは、『見えない都市』に登場する都市の生命力について、先ほどふれたコロンビア大学での講演で「都市が生存しつづけてきた目に見えない理由、またそれゆえにおそらくは滅んでもなお再生する理由」と表現しています。これは都市がもつ普遍性についての指摘であると同時に、読者、あるいは旅をする人間は、目に見えない、不可視の理由に目を留めるための視力を養うようにしなければ、《見えない都市》は永久に見えないままだ、と述べたいのではないでしょうか。

街と物語をたどるときの視点

『見えない都市』は、カルヴィーノ自身にとっても大きな転機になった作品です。その理由は、先ほど述べた「どこから読んでも構わない、どこで終わっても構わない」というテクストとの向き合い方にあります。カルヴィーノは生涯を通して、その向き合い方を模索してきたと言ってもよいでしょう。
『見えない都市』を書いた後、カルヴィーノはさらにその成果を自身の作品のなかに投影して、いわば『見えない都市』の“続編”を手がけていました。晩年に完成された最後の作品集『パロマー』(一九八三)に、そうした痕跡を見ることができます。
 ところで、『見えない都市』の「見えない」とは、単に「目には見えない」という意味なのでしょうか。誰にとって見えないのか、そして何が見えないのか。
 物語の描写の速度、あるいはヴェネツィアを歩くときの速度。訪れた都市を見る、そして物語るマルコの視点、地上の視点と俯瞰の視点。マルコの故郷・ヴェネツィアの海と、作者カルヴィーノの故郷であるサンレモの海の記憶。そして、カルヴィーノが生まれ、二年近くを過ごした土地であるキューバの記憶。さらには、その後の人生においてカルヴィーノが旅した世界各地の街の記憶――。そういったものがすべて注ぎ込まれた、「見えないもの」たちに向けて綴った言葉。それが『見えない都市』なのかもしれません。

 本書の目的は、イタリアの作家たちが街をどう描き、その街でどう生きたのか、ということを、読者のみなさんと一緒に考えていくことです。これからさまざまな作家とその作品、そして街をめぐっていきますが、全体を通して軸となるのが、イタロ・カルヴィーノという作家の軌跡です。
 そこで冒頭で、『見えない都市』とそこに透けて見える実在のヴェネツィアという街について見てきたわけです。次章からは、カルヴィーノをはじめとする作家たちが実際に生きた街――《伝記的都市》が、作品のなかでどのように描かれているのか、そしてなぜそのように描かれたのかについて考えていきます。
 こうした視点で作品を読むときに気をつけなければならないのは、どのようなスピードでその視線が移動しているのか、そしてどこからその視線は発せられているのか、という二つの観点をもつことです。
 俯瞰なのか、歩いている地上からの視点なのか――。この視点の位置・据え方には大きな違いがあります。カルヴィーノを例に話をはじめましたが、どのような作家、作品についても、街の描写、空間の描写を読むうえで、つねにわたしたちが気に留めなければならない視点ではないかと思います。
 ちなみに、カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』という評論集の訳者でもあるイタリア文学者・作家の須賀敦子は、歩くこと、そして地上の視点をとても大切にしていたように、わたしには感じられます。『見えない都市』を読みながら、須賀敦子の視点を思い返してみると、カルヴィーノが作中でマルコにあたえた役割も、やはりもっぱら歩く視点、地上からの視点ではなかったか、と思えてきます。

プロフィール

和田忠彦(わだ・ただひこ)
イタリア文学研究者。東京外国語大学名誉教授。一九五二年長野県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。京都大学、名古屋芸術大学、神戸市外国語大学などを経て東京外国語大学教授となり、同大学副学長を務めた。著書に『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房)、『タブッキをめぐる九つの断章』(共和国)など。

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