キャリアの軸はなくてもいい。3回の転職の先で待っていた「天職」との出会い方|ヤッホーブルーイング社長 井手直行
「ビールに味を!人生に幸せを!」をミッションに掲げ、クラフトビールメーカー国内約900社の中でトップシェアを誇るヤッホーブルーイング。3回の転職を経て、創業時に営業担当として入社した井手直行さんは、2008年に現職の社長に就任しました。自分の好きなことを模索し続けた20代の転職経験から、現在までつながる「天職」との出会い方について伺いました。
「面白そう!」の気持ちに従って20代で3回の転職を経験
Q.3回の転職を経験し、ヤッホーブルーイングの社長に就任された井手さん。20代の頃はどのようなキャリアを思い描いていましたか。
あんまり考えてなかったですね。 キャリア軸は一切なくて、自分の興味軸だけで動いてきました 。転職を繰り返すうちに、自分に合った環境や、好きだと思える仕事にだんだんにシフトしていった感覚です。
僕は工業系の高校に通っていたので、なんとなく「自分は工業系の仕事に就くんだ」と思い、そのままエンジニアになったんです。5年間働いたのちに、「もっと自分が好きな仕事が世の中にはあるんじゃないか?」というぼんやりとした不安と焦りから会社を辞めました。
かといってやりたいことも特になく、自然が好きだからという理由で環境アセスメントの会社に入ってみたものの、仕事内容が思っていたものと違い半年で辞めてしまったんです。
キャリアプランなんて全くなかったですね 。
次の仕事を決めずに辞めたので、しばらく自分探しという名の一人旅に出ました。北海道を中心に数ヶ月間バイクで旅をしたんですが、結局自分に合った仕事がなんなのかはわからなかった。でも、旅を通じて“自然が好き”という軸と、旅でお世話になった人たちに対する感謝の気持ち、つまり“人が好き”という2つの軸だけはブレないなとわかったんです。
「自然といえば北海道か信州だ!」と調べてみたら、たまたま軽井沢の広告代理店が求人を出していたので、もう旅から帰った数日後には転がり込みました。結局その会社も社長と馬が合わず3年で辞めたんですが、そこでヤッホーブルーイングの創業者である星野と縁ができ、会社を辞めたタイミングで「ビールをつくってみない?」と誘われたんです。
星野は前職の取引先だった頃から、こんな人なかなかいないぞとすごく興味がありました。その星野が「一緒に挑戦してみないか?」といってくれたものだから、なんだか面白そうだなと。それに、会社が当時借りていたアパートから5分くらいのところだったんです(笑)。お酒も好きだし家も近いしやってみるか、というくらい転職に対するフットワークは軽かったですね。
「苦手だから」と避けていたことが、実は自分の得意分野だった
Q.転職をすることに対して、周りの声を気にしたり、環境が変わることへの不安を抱いたりすることはありませんでしたか。
もちろん気にしましたよ。僕が20代の頃は終身雇用の感覚が一般的だったので、1社目を辞めると決めたときはやっぱり一大決心でしたね。3回転職していますが、仕事を辞めたときはいつも親にいえませんでした。
高校の同期たちはいい会社に勤めて給料も役職も上がっていく一方で、僕はスキルも何もないまま転職を繰り返していたので給料は下がる一方。「あいつは残念な方に行っちゃったな」「馬鹿だな、お前どうしたんだよ」と声をかけられることもありました。
それでも、 仕事を生活をするためだけのお金を稼ぐだけの役割として割り切るのはやっぱりいやだったし、不安よりも興味があるほうに行きたいという気持ちが大きかった んですよね。2社目以降は、そこまで一大決心という感じでもなく、何か面白そうなところや、興味があるところにポンと飛び込んでみた感覚です。ヤッホーブルーイングに入るときは、もう20代で4つ目の会社だったので、あんまり不安はありませんでしたね。
Q.転職後は、いつもどういう姿勢で新しい環境や仕事に臨んでいましたか。
今この記事を読まれているような方は、恐らく何か誇れるスキルや経験が最低でも1つはあると思うんです。でも、当時の僕はスキルもプライドもなかったし、 ただがむしゃらに、毎回全力で仕事にぶつかっていくみたいなスタイル でした。ポジティブに捉えれば、いつもフレッシュな気持ちで新しいことを吸収していきましたね。
Q.ヤッホーブルーイングではどのように自分の能力を発揮しようとしましたか。
ヤッホーブルーイングでは、最初は営業の仕事をしていましたが、地ビールブームが終わり業績悪化で社員がみんな辞めていってしまったので、経理も受注も出荷業務も全部やりました。でも、正直全部普通だったんです。楽しいわけでもなく、ただ責任感だけで日々の仕事をやっていました。
入社して7年が経って、本当に会社が潰れそうになったとき、唯一まだやっていなかった仕事がインターネット通販の事業でした。当時の僕はパソコン仕事が苦手でインターネットにも興味がない、小売の経験もありませんでした。だからずっと後回しにしてたんですが、いよいよ取引先からの注文がなくなって、もう打つ手がないといやいやながら手をつけたんですよ。
いざやってみたら、インターネットを通じて初めて消費者の方々とやりとりができるようになって「よなよなエールが大好き」「こんなビールを探してた」と、直接お客さんの声が聞けたんです。僕はそれがすごく楽しくて自分のモチベーションにつながり、ようやく心から「仕事って楽しい!これは天職だ!」と思えました。
食わず嫌いをやめて、一歩踏み出した先に何かが待っている
Q.それまでは短いスパンで転職を繰り返していた井手さんが、ヤッホーブルーイングでは「天職だ」と思えるまで仕事を続けられたのはどうしてですか。
今振り返ると、ヤッホーブルーイング以前の3社はどこも業績が絶好調なときに辞めていたんです。僕なんかいなくてもすぐに人が入ってくる。だから、無責任に辞めることができた。
でもヤッホーブルーイングは、入社当初は地ビールブームの真っ只中でしたが、ブームが下火になってからはバーンと売り上げが落ちてずっと赤字だったんです。僕は創業初期に入った社員でしたし、それまでと違って「自分が辞めても代わりがいるでしょ」とは思えなかった。会社をほっとけなかったんです。
そんななかで、やることすべてやり尽くして、苦手だからとこれまで避けていたインターネット通販を始めたら、ファンの方々と直接つながれるようになりました。 もともと「お酒が好き」「人が好き」で選んだ仕事でしたが、ようやく原点につながったんです 。
それによってさらに、今自分が会社を辞めたら、会社が潰れてこの人たちがうちのビールを飲めなくなってしまうという責任感と使命感が生まれました。だから辞めずに頑張れたんだと思います。
Q.転職への一歩を踏み出せないビジネスパーソンへのアドバイスをお願いします。
もし「自分に向いていること、好きなことがわからない」と思っているとしたら、いきなり環境を変えなくてもまず何か新しいことをやってみれば、僕みたいに思わぬ発見があるかもしれません。 食わず嫌いはすごくもったいないですよ 。
僕は今でもインターネットが苦手ですが、その苦手なことのなかにも実は自分の興味関心や強みを発揮できる要素があって、その先で自分にとって本当に楽しいことに出会えました。だからそれ以来、「まずはやってみないとわからない」と考えるようになりました。
うちの社員も、新卒採用の場合は3年ぐらいで所属を変えるようにしているんです。当然本人の希望をできるだけ叶えますが、本人が希望したところに配属になったからといって、それが本当に楽しかったという場合もあれば、思ったほどやりがいを感じない場合もある。
逆に、本人が希望をしていなくても、人が足りないからと配属された先で、最初は「うーん」といっていたのに、いつの間にかすごく楽しく働いている場合もたくさんあるんです。
だから、 特に若いうちは食わず嫌いをせず、まずやってみることがすごく大事 なんだと思います。自分1人だけで自分に何が向いているか判断するかはすごく難しいし、それが正しいとは限らないので、怖がらずにまずは一歩踏み出してみることをおすすめします。
プロフィール
井手 直行(いで なおゆき)
福岡県出身。国立久留米高等専門学校電気工学科卒業後、大手電子機器メーカーにエンジニアとして入社。その後、環境アセスメント事業会社・広告代理店を経て、1997年に株式会社ヤッホーブルーイングに営業担当として入社。2008年に同社代表取締役社長就任。看板ビールである「よなよなエール」を筆頭に「水曜日のネコ」「僕ビール君ビール」などを発売し、国内に約900社あるといわれるクラフトビールメーカーでシェアトップを誇る。社内でのニックネームは「てんちょ」。