急がば回らず、石橋も叩かず? 韓国人が何かとせっかちな本当の理由【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」
人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます
流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら。
#5 빨리빨리(パリパリ)
韓国人はとにかくせっかちだ。「빨리빨리(パリパリ)(早く早く)」という言葉が韓国社会を象徴するように、あらゆる場面でスピードが求められる。
ソウル市内を走るバスの降車ボタンを押すとき、私はいつも緊張する。停留所に着く前に、ドアの前に移動して待っている必要があるからだ。目的地が近づいたらボタンを押してすぐに席を立ち、スピードを出して走っている車内を転ばないようにゆっくりと歩いていく。
日本だったら「バスが止まってから席を立ってください」と注意されるだろうが、韓国では違う。運転手さんが直接口にすることはないが、「降りるなら早くドアの前で待っていろ」という無言の圧力を感じる。実際、日本のバスが停留所で乗客をゆっくりと降ろしてくれるのとは違って、韓国では最後の乗客が降りきる前からドアが閉まり始め、バスは猛スピードで発車していく。
こうした「急ぐ」文化は、韓国で暮らしているとあらゆる場面で出くわす。なぜ韓国人はこんなにせっかちなのだろう? 日本と比較しながら掘り下げて考えてみたい。
早く、早く、早く!
私がよく行く近所のスーパーでは、3万ウォン(約3,000円)以上の買い物をすると自宅まで配送してくれるサービスがある。重い物を買うときはありがたく利用するのだが、驚くのはその早さだ。レジを出て自宅に戻ると、スーパーで購入した品物が私よりも先に到着している。
街の食堂でも빨리빨리(パリパリ)の力が発揮される。特にランチタイムは、注文する前から数種類のおかずが並び始め、メイン料理もオーダーから5分経たないうちに出てくることが珍しくない。ファストフードより提供が早いことすらある。韓国では、料理が早く出ることが「よいサービス」の条件なのだ。
빨리빨리(パリパリ)を追求するのは、サービスを提供する側にとどまらない。韓国人は日常のあらゆる場面で「急ぐ」ことが当たり前になっているので、映画館ではエンドロールが流れ始めると同時に観客が席を立つし、空の旅では飛行機が着陸する前から荷物を取り出す人も珍しくない。何をそんなに急いでいるのかと聞きたくなるけれど、「早いこと」は「良いこと」なのだから仕方ない。
このスピード感は恋愛にまで及ぶ。韓国のカップルは、付き合い始めるとすぐに両親に紹介したり、結婚の話も出たりすることも珍しくない。「好きなら早く進展させる」という意識が強く、慎重にゆっくり進む日本式の恋愛とは対照的だ。韓国人と付き合うことになった日本人は、そのスピード感に困惑するに違いない。
韓国の歴史に潜む「早さ」の美徳
韓国社会に深く浸透した빨리빨리(パリパリ)。その背景には、歴史的な事情がある。
1950年に勃発した朝鮮戦争は国土を荒廃させた。当時、マッカーサー国連軍総司令官が「この国を立て直すには最低でも100年はかかる」と言ったほどだ。しかし、そんな悠長に構えているわけにもいかず、戦争で破壊されたインフラは迅速に復旧させなくてはならない。当時の韓国にとって、復興のスピードがそのまま国家の生存につながっていた。
1960年代には「漢江の奇跡」と呼ばれる急成長が始まり、スピードこそが成功の鍵だという価値観が広く浸透した。すぐに決めて、すぐに実行し、すぐに結果を出す。もたもたしていれば、世界の競争から脱落する。韓国全体が焦るように前に進んだ時代だった。
1997年のアジア通貨危機で韓国がIMF体制下に入ったときも、スピードがものを言った。経済破綻寸前まで追い込まれた韓国は、迅速な構造改革や政策決定を行い、わずか数年で回復を果たした。当時、国民全員が「一日も早くこの苦境から抜け出そう」と焦るように動き、団結していたことをよく覚えている。
パリパリが原動力の韓国社会
こうした「スピードを最優先する考え方」は、産業界にも広まっていった。そのわかりやすい例が、商品開発のプロセスだろう。
韓国の製造業では「とにかく早く市場に出し、顧客のフィードバックを受けながら修正する」という手法が一般的だ。スマートフォンや家電の分野では、日本よりも短いサイクルで新モデルを発表し、短期間で市場のトレンドに対応する。
一方、日本の製造業は「品質第一」という考えのもと、時間をかけて開発と試験を繰り返す。そのため、日本製品は信頼性が高い。一度発売された商品はそう簡単に壊れず、長く使えるものが多い。
韓国のアプローチは「スピードと柔軟性」、日本のアプローチは「信頼性と持続性」。どちらが正しいというわけではないが、韓国企業の「とにかく市場に出し、改善を重ねる」戦略は、特に変化の激しいIT業界において、国際競争力を維持する大きな強みとなっている。
政治面でも、韓国人の迅速な行動力には目を見張るものがある。朴槿恵(パク・クネ)元大統領の退陣を求めて起きた「ろうそくデモ」(2016年)は、SNSを通じてあっという間に広がった。つい先日の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領に対する抗議デモも同様で、数十万人が即座に集まって、政府に対する意思を示した。
問題の程度や政治的立場も絡んでくるので一概には言えないが、短期間で多くの人を動員することができた背景には、ふだんから「早くしなければ」と考える韓国人の国民性があるのではないか。
こうして考えてみると、韓国人の빨리빨리(パリパリ)は、単にせっかちな人々の習性というだけではない。빨리빨리(パリパリ)文化が、韓国社会を動かす強力なエネルギーにもなっているのだ。
急ぎすぎてはいけない
빨리빨리(パリパリ)文化は多くの成果を生んだが、その一方で弊害も少なくない。
まず、身近な問題として挙げられるのが、人々のストレスだ。韓国の会社員は日々結果を出すことを急がされ、業務に追われ続けている。上司が빨리빨리(パリパリ)を求めるからだ。「早くやらないと」「急がなければ遅れてしまう」と焦るうちに、心も体も緊張状態に置かれてしまい、その結果、メンタルヘルスや体調を崩してしまう人が後を絶たない。
また、社会全体がスピードを求めすぎることで、安全性や品質が犠牲になるケースもある。ビルの外壁が突然崩れたり、道路が陥没したりする事故が報じられるたびに、工期を守るために急ぎすぎたのではないかと指摘される。
さらに気がかりなのは、社会全体に与える負の影響だ。結果や効率ばかりを追い求め、せっかちになってしまうと、心の余裕が失われてしまう。わずかな遅れにもイライラしてしまうなど、社会全体として「待つ」ことに対する耐性が低いと感じる。
とはいえ、近ごろはスピードの価値に疑問を持ち始め、「急ぐことは本当に必要なのか?」と考える人も増えてきたようだ。
近年、韓国では「ヒーリング(癒やし)」をうたうカフェや宿泊施設、書籍などが急増している。競争とスピードに疲れ果てた人々が、「ゆっくり休む」「癒やされる」ことを求めているのだろう。빨리빨리(パリパリ)が生み出した社会的なストレスが、「ヒーリングブーム」という現象を引き起こすひとつの要因になっているのだ。
私がソウルで暮らし始めて、もうすぐ30年になる。빨리빨리(パリパリ)を追求する韓国社会で暮らしていると、日本に帰ったとき、サービスの遅さについイライラしてしまうことがある。一方で、そのゆったり感にホッとしている自分にも気づく。
何でも早く進めることが正しいのか、それとも、もう少しゆっくり生きることも必要なのか。そこに答えはない。でも、早さばかりを求めるうちに、本当に大切なものを見落としてはいないかは注意したい。
シェイクスピアは「賢明に、そしてゆっくりと。早く走るやつは転ぶ」と言った。スピードが求められる時代だからこそ、時にはいったん立ち止まり、「時間」とどう向き合うべきかを考えてみる必要があるのかもしれない。
プロフィール
金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。
タイトルデザイン:ウラシマ・リー