「ヤシオスタン」を支え続ける八潮の老舗レストラン『アル・カラム』で楽しめる、パキスタン人の故郷の味
「ヤシオスタン」という二ツ名を持つ街である。「スタン」とは「国、〜の土地」を意味するペルシャ語起源の言葉だ。中央アジアや西アジアにあるカザフスタンとかウズベキスタンなどはここに由来する。で、埼玉県東南部に位置する八潮市はパキスタン人がたくさん住んでいることから、いつの間にかそう呼ばれることになった。
パキスタン・イスラム共和国
インダス文明など古くから文化が栄え、いまは人口2億4000万人を擁する南アジアの国。日本にはおよそ2万7000人が在住。日本人と結婚して永住権を持つ人や、経営者、会社員が多い。ヤシオスタンのある埼玉県に最多の3767人が住むほか、茨城県、愛知県などに集住。
八潮にパキスタン人が集住するようになった理由とは
「タモリさんが来てから『ヤシオスタン』って名前が広まったと思うんですよ。『タモリ倶楽部』だったかな?」
そう話すのは、ヤシオスタンを代表するパキスタン料理店のひとつ『アル・カラム』を営むズルフィカール・アリさん。
そもそも、どうして八潮にパキスタン人が集住するようになったのだろう。
「バブルの頃にはこのへんにたくさん工場があったんです。そこで働く人が多かった」
川口市から草加市、そして八潮市や三郷市にかけての一帯は、高度経済成長期から工業が栄えた。実は京浜工業地帯の一部でもあり、おもに中小の工場が密集し金属製品や機械部品などを生産していたが、常に人手が足りず、出稼ぎの外国人労働者が欠かせない地域でもあった。とりわけ目立っていたのは、パキスタン人やイラン人、バングラデシュ人といった人々だ。
やがて彼らの中から新しいビジネスにトライする人々が出てくる。それが「中古車の輸出」であった。たとえ中古であっても頑丈で性能のいい日本車は、海外では高値で取引される。そこに初めて着目したのが日本に研修に来ていたパキスタン人だと言われる。1970年代のことだ。
彼らは少しずつ日本の中古車業界に参入していった。一気に広がっていったのは「90年代のことじゃないかな」とアリさんは振り返る。
とりわけ、ソ連崩壊後のロシアで日本車の需要が増えてからは、パキスタン人業者が大活躍することになった。北海道や富山などロシアに近い輸出港がある地域だけでなく、中古車を仕入れるオークション会場がある街にパキスタン人が集まってくることになる。八潮もそのひとつで、早くからパキスタン人が住むようになった。
もともと工場労働者が多かったこともあるし、「すぐ近くの越谷に、流通オークションという会場があったんですよ。そこは外国人でも会員になりやすかった」と話すアリさんが中古車業界に入ってきたのは98年だ。そして地域に増えつつある同胞のために、アリさんの仕事仲間が開いたレストランがここ『アル・カラム』というわけだ。八潮では初めてのパキスタン料理店だった。99年のことだ。つまり「ヤシオスタン」発祥の地といえるだろう。やがてアリさんが店の経営を譲り受け、いまに至る。
現地よりうまい!と語るパキスタン人多数
「ガチ系」——すなわち日本人の味覚に寄せていない本場の味わいが楽しめ、かつパキスタン人たちでにぎわうレストランには必ず、その日のおすすめが書かれたホワイトボードがある。これは本国でも同じスタイルだ。
その中からまずは、チャプリ・ケバブをチョイス。これはマトンの挽き肉にコリアンダーやクミン、生姜などを練り込んで焼いた、いわばパキスタン風ハンバーグ。かぶりつけば肉汁が染み出す。野菜と一緒にロティ(全粒粉のパン。パキスタンでは厚めで食べごたえがあるタイプが多い)に挟んで食べればハンバーガーだ。もちろん、串焼きにした一般的なケバブもあれこれ揃っている。
ホワイトボードからもうひとつ、マトン・プラオをオーダーした。これはスパイス炊き込みご飯といった感じだが、気にかかるのは「ビリヤニ」との違いだ。こちちも「スパイス炊き込みご飯」と形容されることの多い料理で、どちらも西アジア、南アジアで広く食べられている。
「ひとつはスパイスの種類ですよね。ビリヤニはたくさん使うけど、プラオは2〜3種類でしょうか」
またプラオは、マトンの骨や肉、脂とスパイスを煮込んだ出汁というかスープに米を投入して炊くという調理法。対してビリヤニは、下ゆでした米と、肉やスパイスを煮込んだカレーを、鍋の中で層になるよう重ねて、それから炊き込んで最後に混ぜ合わせる。プラオのほうがよりシンプルな料理といえるようだ。肉の旨味の染みこんだご飯を頬ばると、スパイスがさわやかなに香る。
そしてニハリは羊のすね肉のシチュー。フェンネルシードやドライジンジャー、スターアニス、シナモンなどなど多種多様なスパイスと骨付きのすね肉を5時間ほど煮込んだものだ。スプーンでほぐれるほど柔らかな肉や深みのあるスープは、ぜひロティと一緒に食べてほしい。
「日本ではマイルドにしちゃうお店が多いんですが、うちはパキスタンの味となにも変えてない。『現地よりおいしい』と言われることもありますよ」
中古車ビジネスの一大拠点として
『アル・カラム』から始まったヤシオスタンに、いまパキスタン料理店やハラル食材店は合わせて10カ所以上あるのだとか。
流通オークションは後年、自動車オークションの最大手USSの子会社となったが、そこでパキスタン人が大きな存在感を見せているのは変わらない。中古車ビジネスは、いまではパキスタン人から同じイスラム教徒の縁でバングラデシュ人やアフガニスタン人などにも伝わり、北関東で暮らす外国人たちの間で「一大産業」となっている。『アル・カラム』はその商談の場でも、仲間同士でくつろぐ場でもある。ちなみに店名は「神さまのおかげ」という意味だそうだ。
アル・カラム・レストラン
住所:東京都八潮市中央1-8-10/営業時間:11:00~23:00/定休日:無/アクセス:つくばエクスプレス八潮駅から徒歩20分
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2025年2月号より
室橋裕和
ライター
1974年生まれ。新大久保在住。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイや周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『カレー移民の謎』(集英社新書)。