下関市のデジタルノマド誘致への取り組み 地域交流と持続可能なコミュニティ形成がもたらす新たな可能性
新たなインバウンド市場として注目されるデジタルノマド
近年、場所を選ばずに働く「デジタルノマド」というライフスタイルが世界的に注目を集めている。日本でも、2024年に「デジタルノマドビザ」が発行され、新たなインバウンド市場として大きな関心を集めている。そのような中で、山口県下関市では、独自の予算を活用したデジタルノマド誘致のための実証事業が実施された。
世界のデジタルノマド人口は約3,500万人とされ、彼らがもたらす年間の経済効果は約7,870億ドル(約121兆円)に上ると推計されている。彼らは高度な専門スキルを持ち、長期滞在する傾向にあることから、地域経済に与える影響も大きい。2023年6月には「経済財政運営と改革の基本方針2023」(骨太方針2023)が閣議決定され、日本国内でもデジタルノマドの誘致に向けた動きが本格化している。
今回の下関市での取り組みは、単なる観光客の誘致とは異なり、地域との深いつながりに主眼を置いたプロジェクトである。デジタルノマドが持つ国際的な視点や専門的なスキルを地域課題の解決に活かし、同時に日本文化の深い理解と体験を提供する。そのような双方向的な関係構築を目指した意欲的な取り組みについて、実証事業に携わった株式会社ARCHの橋本千嘉子さんと一般社団法人 日本デジタルノマド協会代表理事のモエ(中野智恵)さんに伺った。
多文化共生と豊かな自然環境がデジタルノマドに適している下関市
下関市は、「関門海峡」という交通の要衝に位置し、古くから「人が行き交う街」として発展してきた。朝鮮半島や中国大陸との玄関口として国際的な交流の歴史が深く、多文化共生の素地が地域に根付いている。このような環境は、グローバルな感性を持つデジタルノマドにとって、非常に親和性の高い要素だ。
また、下関は福岡空港からおよそ1時間という距離にありながら、都市としての機能と自然環境がバランス良く共存している。人口は約25万人とコンパクトであり、生活の多くを徒歩や公共交通機関で完結できる利便性も兼ね備えている。北九州市や福岡市など周辺都市へのアクセスも良好である。
今回の実証事業を通じて、下関市の地域活性化には、単に観光資源を提供するだけでなく、地域住民が「自分ごと」として積極的に関わることが重要であることが浮き彫りになった。特に、地域の人々がデジタルノマドとの橋渡し役を果たし、彼らと共に地域を活性化する役割を担っている点が、成功の鍵となった。こうした人材の存在が、地域全体を支える基盤となっている。
地域との深いつながりを目指した「デジタルノマド受入モデル創出実証事業」
今回の「デジタルノマド受入モデル創出実証事業」は、下関市が中心となって推進した。2025年3月16日から23日にかけて、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、アメリカ、コロンビア、シンガポール、台湾、韓国など、さまざまな国や地域のデジタルノマド12名が下関に滞在。地域住民とのふれあいを重視したファムツアーが実施され、単なる観光ではなく、「暮らすように旅する」体験を通じて、下関の魅力を実感してもらうことが目的とされた。
地域住民との交流の場「おもし路地SUMMIT」は予想以上の盛況ぶり
実証事業の終盤である2025年3月22日、下関市の路地裏空間を活用した地域イベント「おもし路地SUMMIT」が開催された。テーマは「歩いて路地を楽しもう」。普段人通りが少ない路地裏が、シャッターアートや出店、トークセッションなどで彩られ、地域住民とデジタルノマドが自然に関わり合う場となった。
当初は300人程度の来場を見込んでいたが、実際には約1,000人が参加し、予想を大きく上回る盛況ぶりを見せた。注目すべきは、まちづくりに関心を持つ層だけでなく、杖をついた高齢者や、これまで地域イベントに参加することが少なかった住民たちも足を運んだ点である。年齢や属性を超えた多様な人々が自然に交わり、貴重な出会いの場となった。
「ふだんは白やグレーが目立つ町並みに、カラフルな子どもたちや訪問者が交じり合う光景がとても印象的だった」と橋本さん。地元の人々からは「この路地に初めて来た」という声も多く挙がり、見慣れた町に新たな発見が生まれる機会にもなった。
イベント会場となった空き店舗は15年以上利用されておらず、準備段階では掃除や装飾などに多くの手間がかかったという。「文字通り泥臭く準備したからこそ、私たちの熱量が参加者に伝わったのだと思います」(橋本さん)
デジタルノマドたちも、シャッターアートの制作や子どもたちとのふれあいに積極的に参加し、地域の活動に自然に溶け込んでいた。モエさんは、「デジタルノマドは社会貢献を重視し、単なる観光では得られない経験を求めています」と述べ、参加者一人ひとりに役割や目的を持たせることが、将来的な関係継続の鍵になると指摘している。
地域と世界をつなぐ新たなコミュニティの形成へ
参加したデジタルノマドたちからは、「地域コミュニティと自然につながれた」「子どもたちと深く交流できた」といった好意的な声が多く寄せられた。橋本さんも、「地元とのつながりをポジティブに感じてくれたことが何よりの成果だった」と振り返る。
特に印象的だったのは、ノマドたちが観光客としてではなく、地域の一員として溶け込んでいた点である。橋本さんは、「1週間の滞在期間で彼らは特別な来訪者ではなく、日常の一部となっていました」と述べ、これが今回のプロジェクトの象徴的な成果であったと語っている。
一方、今後の課題としては、長期滞在が可能な宿泊施設の整備、高速Wi-Fiの充実、多言語での案内体制の強化などが挙げられる。モエさんは「2~3ヶ月間、気軽に快適に滞在できる中長期型の宿泊施設の整備が急務です。デジタルノマド同士が、仕事だけでなく日常生活でもつながりを持ちながら暮らせる場所が必要です」と述べている。
将来的には、海外の人々、地元の子どもたち、そして多様な世代が自然に交わる「共創拠点」をつくりたいと橋本さんは語る。空き家の活用や地域のハブとなる場づくりに取り組み、次のステップへと動き始めている。モエさんも、「デジタルノマドは一時的な観光客ではなく、地域と持続的な関係を築く存在」であると強調する。
下関市の取り組みは、短期的な経済効果や観光誘致にとどまらず、地域と世界を結ぶコミュニティの形成に向けた新たな取り組みである。橋本さんは「一歩進んでは二歩下がることもあるが、確実に前へ進むと感じている」と語る。地域にどのような変化をもたらすか、今後の発展が期待される。
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