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仏像はどうやって生まれた? 仏教の始まりからわかりやすく解説!

NHK出版デジタルマガジン

仏像はどうやって生まれた? 仏教の始まりからわかりやすく解説!

あちこちのお寺や博物館などで見かける、身近な存在「仏像」。
その味わい深いいでたちと、表情の豊さや荘厳さに魅了される人も多いはず。

今回はそんな仏像、ひいては仏教がどのように生まれ、どのように日本に伝わったのか、その歴史を、村松哲文さん著の『体感する仏像』より抜粋して解説します。

 仏教は今から2500年以上も前のインドで、釈迦によって開かれた宗教であり、思想。開祖である釈迦とは、本名をゴーダマ・シッダールダといい、紀元前6〜5世紀ごろ、北インドのシャカ族の王子として生まれた。シャカ族ということから、「釈迦」と呼ばれるようになったとされる。生後、母親( 摩耶夫人)を亡くしたが、立派に成長し、結婚して子どもも生まれた。ずっと恵まれた環境で過ごしてきたが、城外では多くの人が「生・老・病・死」に苦しんでいることを知る。王子は人々が救われる方法はないかと真剣に悩むようになり、29歳のとき、地位や身分を捨てて出家した。想像を絶する厳しい修行を6年間続けたものの、苦行のむなしさを悟る結果に終わり、一緒に修行を続けた5人の修行仲間( 五比丘)とも別れた。

 それでも、菩提樹の下に座って瞑想を続けていると、7日目の朝、悟りを得たという。真理に目覚め、悟りを開いた王子は、「仏陀」(目覚めた者という意味)になったのだ。王子はこれ以降、釈迦族の聖者として「釈迦牟尼」、釈迦族の尊者として「釈尊」とも呼ばれることに。初めての説法は、再会した5人の仲間(後に弟子となる)にしたという。弟子たちは仲間や民衆にその教えを伝えていく。釈迦自身も80歳で亡くなるまでの約45年間にわたって、インド各地をまわり、仏の教えを授けていった。

釈迦は菩提樹の下で瞑想を続けてい るときに、急に悟りを得たという。

仏教が広まり、仏塔ができた

 釈迦が入滅して100〜200年くらいたったころ、弟子たちは釈迦の教えを文書にまとめた。これが経典。これをもとに、人から人へ仏教は伝えられていき、紀元前3世紀にはインド全土に広がった。アショーカ王がインドを統一すると、仏教は王室の援助を得て、さらに拡大。この時代に、インドではドーム型のストゥーパと呼ばれる仏塔が生まれ、火葬された釈迦の遺骨が一部まつられた。インド各地に仏塔が建てられ、礼拝の対象になったのだ。釈迦の教えが、ようやく仏塔という目に見える形で表現されたことで、仏教はアジアにも広まっていく。中国や日本の三重塔や五重塔の仏塔がつくられたが、その始まりはインドのストゥーパというわけだ。

 経典も各地の言語に訳されて、アジア諸国に伝わったが、そのつどいろいろな解釈が加えられていったようだ。釈迦の死後、仏教の教えもさまざまに分裂し、複雑化していった。よく知られているものに、大乗仏教、上座部仏教(小乗仏教)、チベット仏教、密教などがあり、いずれも釈迦の教えが発展したもの。

インド式の墓、ストゥーパはドーム型。釈迦の骨の代わりに、宝石などが納められていることも。中国や日本の仏塔は、2階建て以上が多い。

最初の仏像は、ギリシャ彫刻のよう

 インドのアショーカ王が国内につくった仏塔の数は、8万4000とも伝えられている。もっとも古いものは、インドのほぼ中央に位置するサーンチーに残っており、仏塔のまわりの門や柵に釈迦の生涯などを表す彫刻が施され、これが仏像の起源。ただ、風景や弟子たちは描かれても、釈迦を直接表現することはなかった。なぜなら、当時は悟りを開いた釈迦を具現化するのはタブーとされていたからだ。その代わりに、菩提樹や法輪、足跡などが釈迦のシンボルとして描かれた。

 やがて、釈迦入滅後500年たったころ、ついに釈迦の姿が仏像として、目の前に現れる。ギリシャ・ローマ文明がもたらされたことにより、古代インドのガンダーラ(現在のパキスタン北西部)とマトゥラー(インド北部)で、はじめての仏像が誕生した。ガンダーラのものは、ウェーブのかかった髪に面長で彫りの深い顔、髭などをあしらったギリシャ彫刻風、マトゥラーのものは、はつらつとした表情でインド伝統の肉体美が表現されたもの、と作風は大きく異なる。いずれにせよ、こうして出現した仏像は、シルクロードを経て、中国から朝鮮半島、日本へと伝播していく。

ガンダーラ地方の初期の 仏像は、ギリシャ彫刻風 の顔立ちと衣装をまとっている。
宗教都市マトゥラーの仏像は、若々しい健康的な肉体美に特徴がある。

日本に仏教がやって来た

飛鳥時代の538年(『日本書紀』では552年)、百済の王から29代欽明天皇に、釈迦如来像や経典が贈られ、これが日本の仏教伝来とされている。突然、異国の宗教とともに信仰の対象が現れたことに戸惑う人も多く、反対派との抗争もあった。それでも、仏教を信仰する蘇我馬子(飛鳥時代の貴族で政治家)と聖徳太子の時代になると、全国に寺院が建てられて、仏教は急速に広まっていく。

 やがて、多くの仏像がつくられるようになり、今も現代人の心をとらえている。それは単に信仰というだけでなく、仏像には美術作品として鑑賞するだけの、独特の魅力が備わっているからだろう。

仏教が日本を含むアジアに広まったルートは、 大きく2つのコースがある。インドからガン ダーラを経て、シルクロードを経由して中国、 朝鮮半島、日本へ。このルートで伝わったも のを「大乗仏教」という。インドからインドネシア、タイ、ミャンマーを経て伝わったものは、「上座部仏教(小乗仏教)」と呼ぶ。

"仏像ビジュアルブック"『体感する仏像』なら、そんな仏像たちを見て、感じることができます

 『体感する仏像』は、趣味どきっ!「仏像シリーズ」番組テキストを元に編む"仏像ビジュアルブック"。わかりやすい解説とともに約120体の仏像を紹介します。この本でしか見ることができない仏像の写真が満載の、愛好家もビギナーも納得の1冊です。

村松 哲文(ムラマツ・テツフミ)

駒澤大学教授。禅文化歴史博物館館長。
1967年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。専攻は仏教美術史。早稲田大学会津八一記念博物館を経て、駒澤大学仏教学部へ。ほかに、早稲田大学エクステンションセンター、NHK文化センター、朝日カルチャーセンターなどの講師も務める。専攻は仏教美術史。主な著書に『かわいい、キレイ、かっこいい たのしい仏像のみかた』(日本文芸社)、『すぐにわかる東洋の美術』(東京美術)、『駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像鑑賞入門』(集英社新書)など。NHKテレビ「趣味どきっ!」の仏像シリーズでは講師を務めた。

◆『体感する仏像』
◆地図・イラスト 雉〇/ Kiji-Maru Works

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